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インド マーケット 食文化 イメージ

20)スパイス使いのセオリーとローカルナレッジ

2019.07.24

Updated by Toshimasa TANABE on July 24, 2019, 18:23 pm JST

インドカレーは、スパイスが難しそう、あるいは揃えるのが大変、と思われる場合も多いかと思う。実際、巷のレシピ本などを見ても、似たようなカレーでもスパイスが全然違ったり、それにしか使わないようなものを指定していたりしていて、「こりゃ面倒だな」などと思ってしまうこともある。しかし、基本となるセオリーをいくつか覚えてしまえば、そんなに難しいものではない。

師匠のメヘラ・ハリオム氏は、最低限必要なスパイスについて、こう語っている。

「インド料理を作るにあたって、これだけは揃えたほうがいい、これだけは欠かせないというスパイスはなんですか?」というご質問をよくいただきます。

インド料理に使用するスパイス、本当に数え切れないぐらいあるわけですが、ハリオム厳選の「最低限必要なスパイス」は以下の4種類です。この4種類の使い回しで、本当にいろいろなお料理ができます。

ラニで開催しているインド料理教室も、ほぼこの4種類の使い回しです。この4種類にプラス、そのメニューに特有のスパイスが1~2種類追加される、というパターンが多いですね。

・クミンシード
・パプリカ
・ターメリック
・カイエンペッパー(チリペッパー)

またスパイスは、船便で日本にやってくることが多いようです。そのため、店頭に並んだ時点で古くなってしまっている場合もあります。インド家庭料理ラニでは新鮮で香り高いスパイスを直接インドから買い付けています。そして、スパイスは輸入後3カ月以上経過したものは使用していません。

日本茶は新茶が美味しいといわれていますよね。スパイスも同様で、新鮮な方がより香りも高く、味も良いのです。また、日本茶はリーズナブルなものから高級品まで、木の品種や産地、1本の木の中でもどこの部分の茶葉なのか、など数え切れないほどの種類があると思います。スパイスも同様で、同じターメリックやパプリカでも、たくさんの種類があります。その中から最適なものを選んで使用しています。

インド家庭料理ラニでは、 パプリカ、ターメリック、カイエンなどの基本中の基本のスパイスはもちろんのこと、日本では手に入りにくい、薬草・香草(ハーブ)やアーユルヴェーダに使用するような珍しいスパイスなど、おおよそ40~50種類のスパイスを常備しています。例えば、乾燥させた赤唐辛子(鷹の爪)だけでも4種類以上あります。日本でも、おなじみのコショウやマスタードなどの「粒」(種)のスパイスも数種類ずつ揃えています。その多種多様のスパイスをカレーの種類により使い分けています。

最低限は4種類、と意外にシンプルだということが分かると思う。これを踏まえて、まずは、ホールスパイスとパウダースパイスの役割の違いを覚えておこう。ホールスパイスは、素材や作るカレーの狙いに合わせて選び、最初に油で熱してスパイスの香りを油に出して、カレー全体の土台にするために使う。

ジャガイモのカレーならクミンシード、ヨーグルト風味のチキンカレーならカルダモン(包丁で切れ目を入れておく)、サグカレーならカルダモンとシナモンスティックなどが代表的な例である。キーマカレーではブラウンマスタードシードを入れることもある。

こうしてスパイス風味になった油で、玉ねぎやニンニク、ショウガ、トマトなどを炒めてカレーに仕上げていく。

一方のパウダースパイスは、カレーの風味を完成させ、辛さや味、見た目の色なども調整する。塩とともに、カレーの調味料として機能するのだ。

次に、スパイス使いはシンプルを良しとする、ということを肝に銘じよう。ハリオム氏も語っているように、基本のスパイスをベースに素材やカレーの個性に合わせて一つか二つくらいを追加する程度にしておこう。あまりたくさん使うと「0)インドカレーについての大いなる誤解」でも触れたように、結果的に全部同じ味になってしまいがちだ。素材の味わいよりもカレーの味が支配的になってしまったりもする。

そして、一番大事なのがスパイスの力強さ「スパイス力」だ。ハリオム氏が「3カ月以上経過したものは使わない」と語っているように、スパイスはフレッシュで力強く香ることが重要だ。ラニのインド料理教室では、その日のお題で使ったスパイスを販売しているが、同じものが手元にあったとしても、これを使うのと手元のものを使うのとでは、まったく違う仕上がりになるのに驚かされる。同じレシピで同じカレーを作っても、同じにならないのは、家庭のスパイスはスパイス力が弱い、というのも理由の一つなのである。

素材とスパイスの組み合わせにはセオリーがある。ジャガイモにはクミン、ナスにはアジョワン、魚にもアジョワン、ホウレンソウのカレーにはカスリメティ、カルダモン、シナモンスティックなど、挙げていくとキリがないが、このくらいの基本を押さえておくだけで、応用が利くようになるはずだ。

アジョワンについてちょっと追加しておくと、お腹の調子が悪いときの民間療法として、アジョワンを胃薬のように水と一緒に飲んだりするという。日本でいうと正露丸的な役割を担っているというところか。したがって、アジョワンを魚介に使うのは味の相性だけでなく「中るのを防ぐ」という意味合いもある。

巷のカレーレシピで良く見かけるコリアンダーについても、ちょっと触れておこう。ハリオム氏は基本のスパイスにコリアンダーは入れていないが、コリアンダーを使う料理としては、「ダールマッカニー」(バターをたっぷり入れた豆のカレー)などの豆のカレー、サモサ(揚げ物)、シークカバブ(スパイシーに味付けした挽き肉を串に刺してタンドールで焼いたもの)などがあるという。すべてホールで使うが、シークカバブだけはホールを潰して粉状にするという。ただし、あくまでコリアンダーは主役ではないという。

食材とスパイスの組み合わせは、日本の食卓でいうと、家庭によって目玉焼きになにをかけるかは違うというのと似た側面もある。目玉焼きなら、醤油、ソース、塩コショウあたりだろう。天ぷらは、普通は天汁で食べるが、お店であれば素材によっては塩やカレー粉が出てきたりする。また、家庭では天ぷらに醤油をかけたり、関西の一部ではソースをかけたりもするらしい。刺身ならマグロはワサビ、イワシやアジはショウガ、イカはショウガかワサビか迷うところ、白身の薄造りならポン酢にもみじおろし、鰻なら蒲焼は山椒だが、白焼きはショウガ醤油かワサビ醤油か迷うところである。

インド家庭料理であっても、それと同じようなことはいくつもある。フライドポテトにどんなスパイスを使ってマサラポテトにするか、と考えても、ジャガイモだからクミンと塩気は欲しいとは思うが、こうでなければいけない、という決まりがあるわけではない。

相性が悪い組み合わせもある。例えばホウレンソウのカレー(サグ)とターメリックだ。ターメリックの色素によって、ホウレンソウの色が悪くなってしまうというのが最大の理由だが、ホウレンソウの独特のえぐ味とターメリックの味が喧嘩してしまうという感じもある。色が悪くなるという理由で、ナスのカレー、特にベインガンバルタ(焼きナスの皮をむいて刻んだもので作るトロトロのカレー)にはターメリックを使わないという。

では、なぜジャガイモにはクミンなのだろうか? これは、先に刺身を例にしたように、マグロの刺身にはワサビ、的な話なのだ。インドカレー的にはジャガイモにはクミン、なのである。他には、ナスにはアジョワン、羊なら独特の匂いがあるのでブラックカルダモンなどのちょっと強いスパイスを組み合わせる、などが定番だ。

例えば、ジャガイモにコリアンダーをメインスパイスとして組み合わせて、それが個人の好みでクミンより好きなのであれば、それはそれで良いだろう。また、含まれているものから考えてこの組み合わせが良いはずだ、と思っても、実際に美味しいかどうかは別問題だろうし、最終的には一人ひとりの好みや味覚の感性に委ねられる。

食文化として、その組み合わせが長きに渡って多くの人々に愛されてきた、素材の味わいをスポイルしない相性が良い組み合わせだと認知されてきた、ということだろう。

ショウガやワサビには毒消し作用がある、あるいはシュウ酸が多く含まれているホウレンソウはお浸しにするときはカルシウム豊富なシラスなどをトッピングすると、消化するときにカルシウムがシュウ酸と化合してシュウ酸カルシウムになりシュウ酸の排出が促進される。このため、シュウ酸が原因の結石になりにくい、などというのは、かなり後付け的な理屈であって、昔の人の知恵、とはちょっと違うのではないだろうか。

ただし、こういうこともある。科学的な根拠はそれとして、食文化というのはその地の知恵「ローカルナレッジ」の結晶なのである。例えば、サバの刺身。福岡や長崎あたりでは、サバは生のまま刺身で食べる。一方で関東では、塩で締めてから酢に漬けるシメサバが中心だ。これは、海域によってサバの餌が異なるので、サバに寄生しているアニサキスの性質が異なるからなのだ。

九州のサバのアニサキスは、内臓寄生が多くサバの死後も筋肉に移動する割合が低いという。逆に関東のサバは、筋肉寄生が多い。海域によってアニサキスの種類が違うことに由来するのだ。これを昔の人は、体感的に知っていたのだろうと思われる。だからこそ、その地の食文化として、サバの食べ方が地域によって刺身とシメサバに分かれるのだろう(シメサバにしたからといってアニサキスが完全に死ぬわけではないとはいえ)。

人間は、
・食べたことがないものは食べない人
・食べたことがないものを食べてみる人
の二種類に分かれる。

前者によって人は生き延びてきた、しかし、後者によって多くの犠牲を伴いながらも食を広げてきた、と思うのだ。そして、両者の食の営みの中でローカルナレッジが確立されてきたのではないだろうか。

最近では「サーモン」などといって、輸入物の鮭を生で食べるようになったが、かつての北海道では鮭は生ではなくルイべ(冷凍してから半解凍したもの)で食べるのが普通だった。これは、アニサキスがマイナス20℃以下で24時間以上経過すると死ぬからなのだが、こんなことは先人たちは知る由もなく、真冬の北海道でカチカチに凍った鮭を融かしてそのまま食べても中らないのに、獲ったばかりの新鮮な鮭を生で食べると中る、という経験に裏打ちされたローカルナレッジがあったのだと思うのである。

インドの場合は国土が広いので、違う地方で同じ食材が食べられているということはあまりないという。ただし、その地の名産品を使った有名料理がある。そこには、ローカルナレッジのようなものも含まれているだろう。ハリオム氏の出身である北インドからいくつか代表的な例を挙げておこう。

・ジャンムーカシミールの「ラージマ豆のカレー」

ジャンムーカシミールでは、とても美味しいラージマ豆が収穫される。その豆は、現地で消費されてしまい、ほかの場所に出荷されることはない。したがって、ジャンムーカシミールに行ったら「絶対ラージマカレー食べないとダメ!」といわれている。

・パンジャーブの「サグ」

同じような理由で、パンジャーブのサグ(菜の花・からし菜)も有名だ。やはり現地で消費されてしまい、ほかの場所に出荷されることはない。これも「パンジャーブに行ったらサグを食べろ!」といわれている。とはいえ、サグが収穫される期間は限られているので季節限定である。また、この地域では、良質なチャナ豆があるので、作り方はとてもシンプルなのに、チャナ豆のカレーがとても美味しい。

・アムリットサールの「フィッシュアムリサリ」

パンジャーブのアムリットサールの魚を揚げた料理。マリという名の川魚を使う。とても臭い魚だが、アジョワンの味しかしないくらいアジョワンを使って、とても美味しい揚げ物になる。アムリットサールに行ったらこれをぜひ、である。

※後半の一部は、ご質問への回答の形で「5)玉ねぎは茶色になるまで炒めないとダメなのか?」の最後の部分に書いたテキストを多少修正して再掲載しています。

[参考リンク]
スパイス
インドのスパイス
インド料理でよく使うスパイス
わが国におけるアニサキス症とアニサキス属幼線虫(PDF)


※本連載は、横浜市都筑区のインド家庭料理「ラニ」のオーナーシェフであるメヘラ・ハリオム氏と、同氏を師と仰ぐ田邊(富士山麓のcafe TRAILでカレーを提供中)の共著という形で、インドカレーのセオリーについて考え、それを分かりやすく提示する試みです。もちろん、いくつか代表的なカレーのレシピも掲載していきますが、いわゆるレシピそのものを紹介すること自体は目的ではありません。このレシピはなぜこうなっているのかを理解することで、レシピを見なくても、自分にとって美味しいインドカレーが作れるようになることを目指しています。また、各種スパイスについての解説は、食材やスパイス同士の組み合わせや相性を中心とし、スパイスの歴史や特性などについては、他に優れた本がたくさんあるので、それらにお任せするというスタンスです。


※この連載が本になりました! 2019年12月16日発売です。

書名
インドカレーは自分でつくれ: インド人シェフ直伝のシンプルスパイス使い
出版社
平凡社
著者名
田邊俊雅、メヘラ・ハリオム
新書
232ページ
価格
820円(+税)
ISBN
4582859283
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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。