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社会 距離 様式 イメージ

「新しい生活様式」の鍵は家族の拡大解釈にある

2020.06.24

Updated by Shigeru Takeda on June 24, 2020, 19:58 pm JST

専門家会議が公表した「新しい生活様式」という言葉に違和感を覚えた人も多いはずだ。本来、生活様式は人の数だけ存在するはずで、人に指図されるのではなく、自分の頭で考えるべき事だろう。三密は避けねばならぬとしても、その具体的方法についてはそれぞれが自分の生活と照らし合わせて創意工夫すべきだ。それ以上にこの言葉を不愉快に感じるのは、生活という言葉の扱われ方がとても軽いことにある。


人と人の距離の話ということならアメリカの文化人類学者エドワード・ホール(Edward Hall)の出番である。メディアやコミュニケーションを勉強しようとすると必ず登場する人物の一人だ。彼は著書『かくれた次元(The Hidden Dimension )』(みすず書房、1966)の中で、距離によって人のコミュニケーションの質や意味が変わることを、プロクセミクス(Proxemics:知覚文化距離)という言葉で説明した。他人との距離は以下の8種類にゾーニング(大雑把には4種類)されるという。

密接距離・近接相(~15cm:愛撫・慰労・格闘(嗅覚と放射熱を強く感じる)
密接距離・遠方相(15~45cm:親密に触れ合う距離)
個体距離・近接相(45~75cm:他人に何かを仕掛けることができる距離)
個体距離・遠方相(75~120cm:他人の表情を細部まで確認できる限界)
社会距離・近接相(120~210cm:フォーマルな会話)
社会距離・遠方相(210~360cm:視覚内にいる他人には無関係な行動が許される距離)
公衆距離・近接相(360~750cm:他人から安全に逃げるための距離)
公衆距離・遠方相(750cm~:講演・演説などにおける距離)

昨今の情勢の中で注目せざるを得ないのは、社会距離・近接相(120~210cm)ということになるわけだが、私たちは基本的に個体距離・近接相以内の距離を切望している。ここまで近づくと情報量が指数関数的に増加することを経験的に知っているからだ。

情報量といっても交わす言葉の量ではない。物理的に計測可能な熱量や風量、振動、視覚的解像度、そして匂い・香りや気配(気配の大半は単なる反射音に過ぎないので言葉のニュアンスほどミステリアスなものではない)などがこれに該当する。解像度はカネをかければある程度再現できるが、熱量や匂いなどはVR・AR・MRなどでは再現できない。

特に匂いは触覚と並んで(大げさにいえば)生きる喜びを提供してくれる(味覚の大半は匂いが創出している)と同時に、場合によっては生命としての危険を避ける(e.g. ガス漏れの検知など)機能を提供する。従ってマスクを装着する生活が「日常」になることは(おそらく)ないだろう。

もう一つ重要なポイントは、コミュニケーションの本質は「情報のやり取り」ではなく「揃える」ことにある、ということだ。何を喋っているかはさほど重要ではない。むしろ波長が合っている状態をお互いに確認することが目的になっている。ここにはアラインメント(alignment)という自動車の整備でよく利用される言葉が割り当てられるが、このアラインメントも距離の関数だということはご理解いただけるだろう。アラインメントは完全な同調を求める。遠くにいる相手と同調することは難しい。

加えて、遅延の発生は致命的だ。5Gが実現するLTEの10分の1に過ぎない1msの遅延といえども遠隔治療(オンライン診療の場合は遅延よりは解像度が問題になるはず)には使えそうにないと医師は判断するだろう。ベストエフォートでしか対応できない通信で完全なアラインメントを実現するのは至難の技だ。

アラインメントには、ドレスコードのようなものも含まれる。例えばフォーマルで立派なパーティに招待されたとしよう。そこにはおそらく、何らかのドレスコードがあるはずだ。指定されることもあるし、儀式特有の暗黙の了解があるのが普通だ。ここを外してしまうだけで、その場でコミュニケーションする資格を喪失する。

しかし、ドレスコードに従って立派なスーツに身を包んだ紳士が語っている内容は多くの場合、天気・調子・健康、すなわち「いやー、蒸し暑くなりましたねえ」「どうですか商売の調子は」「ここのところ胃の具合が」程度のどうでも良いこと、あるいは紋切り型の話なのだ。つまり、容易に合意形成できるはずと確信している陳腐なメタメッセージを投げ合っているだけだったりする。スーツが立派でも会話のレベルは相当低い。とても儲かっていても、商売の調子を問われた場合は「いまひとつパッとしませんねえ」などとボヤくのが礼儀である。

ウェブ会議でこのドレスコードに該当するのが(画像や音声などの)通信品質になる。しかし、最終的にこの通信品質は個人の努力だけでは如何ともし難く、最終的にはコア(バックボーンの回線)が大丈夫なのか? という話になる。災害時の電話回線による通話では輻輳(ふくそう)という現象が起きて利用不能になることがよく知られているが、今後は平常時における高品質を担保するためのネットワーク資源に冗長性があるのか、ということが課題になってくるだろう。

個人でできることは、解像度の高いウェブカメラや品質の高いコンデンサマイクを使う、バーチャル背景を利用せず、部屋の背景や身だしなみにも気を使う、というレベルに留まる。しかし、それだけでもその人の語る内容に説得力が出てくる。画像品質等が人格を反映しているかのような錯覚を与えることができるからだ。

さらに応用編としては、今後は「どこから会議に参加しているか」ということ自体がコンテンツになるだろう。特に、いわゆるウェビナー(Webinar)がそうなるはずだ。「現地にいるレポーター」の最大のコンテンツが「現地」なのと同じである。例えば、学会がウェブ会議で行われるのであれば、研究室や研究所から参加したほうが説得力がある。自室の背景に本をたくさん並べておくような見え透いた演出は無効である。

また、テレワークなどでのウェブ会議が終了した後に、極度の疲労感を覚える人も多いはずだ。これは解像度の低い映像や品質の低い音声だけを頼りに、本来あるべき情報の欠落を埋め合わせるために多大なエネルギーを使っているからだ。リアリティへの到達距離が遠いのである。

加えてウェブ会議は、極めて論理的に物事が進行するのでアイドリングが許容されにくい。そのため「早く終了するがえらく疲れる」ということになる。「朝から晩まで(実空間での)会議が続いて大変だ」とボヤいていた人が参加していたのはかなり凡庸な、どうでも良い会議だから連続して参加できていたのだ。これに比べるとウェブ会議は「論理的な真剣勝負」になるので、朝から晩まで連続してこなすのは至難の技である。ただし、映像品質や音声品質のようなものはおそらく予想以上に早く改善されるはずなので、残る課題はやはり「密接距離でなければ獲得できない(言葉や映像以外の)情報ということになるはずだ。

ここは当面は「家族の拡大解釈」で乗り切るしかないのではないか。長期間の生活時間の共有経験がある人こそが家族だ、ということにする。そうすると、仕事仲間の一部も家族とみなすことができる。ただし、会社の語源はご存知のように「共にパンを食べる仲間」なので、家族ともみなせる仕事仲間か、あるいはそれほどでもない単なる業務上の知人かの分かれ目は「その人の(日常)生活の様子を知っているかどうか」ではないだろうか。つまり「生活」がとても重要なキーワードになるのだ。いうまでもなく生活は「仕事の上位概念」として君臨する資格のある言葉なのだ。

専門家会議が公表した「新しい生活様式」という言葉への違和感の原因もここにある。冒頭で触れた人に指図されるのではなく自分の頭で考えるべき事であるという点に加えて、「仕事は大変だけれど、生活はお気楽で楽しい」という生活を軽んじた前提があるように感じられる。しかしこの点については、「おいしい生活」あるいは「丁寧な暮らし」などという気持ち悪い言葉に慣らされてしまった私たちにも責任の一端はあるのかもしれない。

とはいえ、これは生活という言葉に対して失礼だろう。生活とは真剣勝負の舞台である(その一部に「仕事」がある)。読んで字の如しだが、これは「人生そのもの」なのだ。したがって「新しい生活様式」とは、最低でも「転職してみる」「別の地域へ引っ越して、新しい人間関係を再構築してみる」という具合に、その構造を根っこから組み立て直すことを指すべきであって、「横に並んでメシを食え」ということではない(余計なお世話である)。良い機会なので自分の会社くらい作ってみてはどうか。自らを安全地帯に置いて「新しい生活様式とは何か」を噛んで含めるように説明するテレビのアナウンサーを見ていると腹が立って仕方がない。

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竹田 茂 (たけだ・しげる)

新潟県上越市出身。日経BP社にてBizTech(現在のnikkeibp.net)の立ち上げを皮切りに同社の様々なインターネット事業の企画・開発を統括/プロデュース後、2004年にスタイル株式会社を設立。主にB2B分野にフォーカスしたWebメディアを創刊・運営。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)。著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年)など。