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日本の社会基盤を再構築するためのヒントは岩波新書の黄版の中にある

Ideas for rebuilding Japan's social infrastructure can be found in the yellow edition of Iwanami Shinsho.

2021.06.16

Updated by Shigeru Takeda on June 16, 2021, 08:50 am JST

録音された音楽を繰り返し聴く習慣が一般的になったのは、比較的最近(日本は1970年代)だという。クラシックなどで同じ主旋律が繰り返し登場するのは、録音という技術も概念も存在せず、ライブで聴くことが前提になっていたからだ。特に初演の場合などは、繰り返しその旋律の美しさを強調しないと印象に残らない。今や儀式化してしまったアンコール(Encore)も、本来は「もう一度(同じ旋律を)聴かせてくれ」という心からの賞賛(Bravo)だった。

修辞学(Rhetoric)においても、「良いものは良い」「ダメなものはダメ」といった、論理的には破綻している同語反復が正当な強調法として容認されている。書籍でも、著者が強く主張したいことは一冊の本の中に何度も繰り返し出現させるのが普通だ。これをやらないと「なんだか面白かったけど、内容は忘れた」ということになりかねないのである。読書中に「また同じ主張が出てきたぞ」と訝る読者においては、これが意図的に行われている善意の作業であることを理解しておくべきなのだ。ともあれ、繰り返し(Refrain)は学習や運動における基本動作である。

さらに音楽では、80年代のデジタルレコーディングが大きな分岐点になった。音源が劣化しなくなったのだ。映画も、デジタルリマスタリングされることで(特に映像よりは音声が聞きやすくなっているのが大きい)過去の作品も鑑賞に耐えられるようになってきた。

この「繰り返し利用しても劣化しない過去の作品群」が膨大に積み重なったのがデジタル社会だ。これは、ソーシャルメディアが吐き出すゴミも含めた「ビッグデータ」とは明確に区別しておきたい。

つい先日(2021年5月)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)が1974年に発売したアルバム『The Dark Side of the Moon(邦題:狂気)』が全英チャートでトップに返り咲くという「珍事」があった(Official Rock & Metal Albums Chart Top 40)。これは、妙な新譜よりも、良質なデジタルアーカイブのほうが品質が高い場合がある、ということを証明した好例といえるだろう。

デジタルアーカイブは、良質なクラシック(classic:一流の)を積み重ね続けることで、もはや私たちの手に余るボリュームになってしまった。筆者の世代が、(いわゆる)懐かし需要で過去の作品を繰り返し参照するのとは本質的に意味が異なる世界が誕生しつつある。若い世代にとって、デジタルレコーディングされた過去の音源はもはや「初体験の新譜」なのだ。

これは音楽に限った話ではないはずだ、という仮説が浮上する。現在起きている様々な課題を解決するために、最先端の道具よりも過去の良質なデジタルアーカイブが役に立つ局面が増える可能性がある。例えば小説・論文・論考なども、取り出しやすいデジタルデータになっていれば、今の問題を解決するための即戦力になりうるポテンシャルを秘めている(そもそも公文書等をデジタルアーカイブにしておく必要があるのは、現在直面している課題を解決するために過去の事例等を検索し、対応策を策定するためだ)。

ところで、このコロナ禍で日本国民全員が感じたのは「この国がまさかここまで劣化していたとは」ということだろう。「課題先進国」などと自らを揶揄しているうちはまだ余裕があったのだが、3.11に端を発したこの国の非常時における政治の稚拙さや医療体制の脆弱性は、様々な社会基盤が劣化している現実を私たちに突きつけた。ただ、似たような状況が過去にあったはず、と考えてみると、筆者の世代で真っ先に思い当たるのはオイルショックだろうか。

戦後、日本の高度成長は1954年(昭和29年)から約19年間続くが、これに終止符を打つのが1973年の(第一次)オイルショックである。因みに前年の1972年には、ローマクラブ(Club of Rome)が「成長の限界」という報告書を発表している。

その後しばらくは、様々な社会課題を孕みつつも安定成長に移行するが、1985年のプラザ合意(先進5カ国 :G5によるドル安協調路線)をきっかけに日本はバブルへ突進し、1991年に崩壊、そのまま低成長と私利私欲に塗れた政権による平成の30年間を悶々と過ごし、現在に至っている。余談だが、行政における唯一の信頼できる機関としての経済企画庁は1946年(昭和21年)に発足し、2001年(平成13年)に内閣府に吸収される形で消滅している。

「調子に乗って突っ走っては突き落とされることに懲りない」を繰り返すのはこの国のお家芸なのかもしれない。

1973年のオイルショック直後くらいに発表された、日本の社会基盤(インフラ)の再開発・再構築に関連した言論の中に、現在再利用可能なもの、あるいは再利用すべきものがあるはず、という前提で、もう一度私たちが学び直すべき知の巨人を恐ろしく安直な方法で探してみよう。良質なアーカイブズ(Archives)に出会う旅である。

初心者にもわかりやすく当該分野・テーマに関する高度な議論が安価に堪能できる、となれば岩波新書だけにフォーカスしておけば当たらずといえども遠からず、のはずだ。岩波を追う形で1962年(昭和37年)に創刊された中公新書にも名著が多いのだが、とりあえず今回は対象とはしないことにする。

岩波書店のホームページによれば、「岩波新書には、赤版、青版、黄版、新赤版の四種類があります。赤版は1938年の創刊以来46年まで101点、青版は戦後1949年から1000点、黄版は1977年から396点刊行されました。そして1988年からは新赤版として新たにスタートしました」という。

岩波新書の名著は発行点数の多い青版に集中しているのだが、ここはあえて黄版を中心に(一部、青版末期を含め)1973年から1987年までの14年間のインフラ・社会基盤・公共政策などをテーマとしているものを抽出してみよう。独断と偏見に満ちてはいるが、無理やり1年ごとに5冊以内に絞ってみた。書籍のタイトル以上に執筆者名に注目して眺めていただきたい。村上陽一郎先生のように現在も現役で活躍している方も散見されるが、多くは当該執筆者から薫陶を受けた弟子筋、または孫弟子にその仕事が引き継がれているはず、と考えられる。

1973年(昭和48年)
『地域開発はこれでよいか』(宮本憲一)
『現代経済を考える』(伊東光晴)
『ことばと文化』(鈴木孝夫)
『小判・生糸・和鉄』(奥村正二)

1974年(昭和49年)
『現代の日本企業を考える』(宮崎義一)
『日本人とすまい』(上田篤)
『自動車の社会的費用』(宇沢弘文)
『日本の化学工業』(渡辺徳二、林雄二郎)
『地震と情報』(宇佐美龍夫)

1975年(昭和50年)
『人間の限界』(霜山徳爾)
『模索する資本主義』(渡部経彦)
『技術革新』(星野芳朗)
『市民自治の憲法理論』(松下圭一)
『情報の探検-コンピュータとの発見的対話』(坂井利之)

1976年(昭和51年)
『原子力発電』(武谷三男・編)
『日本の地方自治』(辻清明)
『時間-その哲学的考察』(滝浦静雄)
『日本列島』(湊正雄・井尻正二)
『手紙の歴史』(小松茂美)

1977年(昭和52年)※ここから黄版になる
『近代経済学の再検討』(宇沢弘文)
『近代民主主義とその展望』(福田歓一)
『社会科学における人間』(大塚久雄)
『国民代表の政治責任』(杉原泰雄)
『新重商主義の時代』(荒川弘)

1978年(昭和53年)
『インフルエンザー人類最後の大疫病』(W.I.B.ビヴァリッジ 、林雄次郎 訳)
『環境政策を考える』(華山謙)
『説教の歴史ー仏教と話芸』(関山和夫)
『床の間ー日本住宅の象徴』(太田博太郎)
『言語学の誕生』(風間 喜代三)

1979年(昭和54年)
『住宅貧乏物語』(早川和男)
『日本の刑事裁判ー冤罪を生む構造』(青木英五郎)
『史記を語る』(宮崎市定)
『物理学とは何だろうか』(朝永振一郎)
『映像の演出』(吉村公三郎)

1980年(昭和55年)
『歴史の転換のなかで』(小田実)
『折々のうた』(大岡信)
『現代のプライバシー』(堀部政男)
『日本中世の民衆像』(網野善彦)
『戦後思想を考える』(日高六郎)

1981年(昭和56年)
『都市と交通』(岡並木)
『食糧と農業を考える(大島 清)
『プルトニウムの恐怖』(高木仁三郎)
『納税者の権利』(北野弘久)
『ことばと国家』(田中克彦)

1982年(昭和57年)
『経済学とは何だろうか』(佐和隆光)
『日本文化史』(家永三郎)
『翻訳語成立事情』(柳父章)
『憲法第九条』(小林直樹)
『文化人類学への招待』(山口昌男)

1983年(昭和58年)
『海と乱開発』(田尻宗昭)
『科学文明に未来はあるか』(野坂昭如・編著)
『ペスト大流行』(村上陽一郎)
『新・核戦略批判』(豊田利幸)
『日本的自我』(南博)

1984年(昭和59年)
『記号論への招待』(池上嘉彦)
『DNAと遺伝情報』(三浦 謹一郎)
『ごみと都市生活』(吉村功)
『橋と日本人』(上田篤)
『地方自治法』(兼子仁)

1985年(昭和60年)
『読書と社会科学』(内田義彦)
『水俣病は終わっていない』(原田正純)
『超能力の世界』(宮城音弥)
『家族という関係』(金城清子)
『国際連合ーその光と影』(明石康)

1986年(昭和61年)
『文明論之概略を読む』(丸山真男)
『コンピュータと教育』(佐伯胖)
『自民党と教育政策』(山崎政人)
『法を学ぶ』(渡辺洋三)
『農民哀史から六十年』(渋谷定輔)

1987年(昭和62年)
『集落への旅』(原広司)
『日米経済摩擦』(船橋洋一)
『クマに会ったらどうするか』(玉手英夫)
『都市の生態学』(沼田真)
『まちづくりの発想』(田村明)

いかがだろうか。現在、私たちが課題と感じているテーマとほぼ同じである。つまり、「問題は何も解決していない」のだ。改めて黄版執筆陣のメッセージに耳を傾ける必要があるのではないだろうか。

なお、このリストの抽出にあたっては、『岩波新書の歴史』鹿野政直(岩波書店、2006年第1刷)を参考にした。

 

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竹田 茂 (たけだ・しげる)

新潟県上越市出身。日経BP社にてBizTech(現在のnikkeibp.net)の立ち上げを皮切りに同社の様々なインターネット事業の企画・開発を統括/プロデュース後、2004年にスタイル株式会社を設立。主にB2B分野にフォーカスしたWebメディアを創刊・運営。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)。著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年)など。