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「音楽 その光と塩」 4. オーケストラ

「音楽 その光と塩」 4. オーケストラ

2020.07.16

Updated by Yoichiro Murakami on July 16, 2020, 15:37 pm JST

これを書いている二〇二〇年六月は、年初に始まったヴィルス禍の真っ最中です。「三密」を避けるという原則からすれば、オーケストラ活動は、まさしくそれに抵触する最たるものともいえます。ほとんどのオーケストラが、定期演奏会や予定されていたスケジュールがキャンセルされて、経営上も、また団員の音楽への構えの上でも、大きな危機にある状況です。それを乗り越えるために、ウェブを使った様々な試みが、少しずつ広がってはいますが。

「音楽 その光と塩」 4. オーケストラ

ハイドンやモーツアルトの頃の管弦楽曲なら知らず、近代の作曲家が書いたオーケストラ用の曲は、概ね百名前後のプレイヤーを必要とします。例えば、ベルリオーズの名曲『幻想交響曲』は、弦五部(通常オーケストラの編成で、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五つの弦の声部が定型で、これらを総称して<弦五部>と呼ぶことが定着しています)だけで最少六十人、それに管楽器は通常の管楽器のすべてがフルに動員されるほか、オフィクレイドなる、クラリネットとサキソフォンとファゴットとを混合したような特殊な楽器もあり(楽器が調達できないときは、別の楽器で代行することもあります)、打楽器も六人は要る、ハープも四台は必要、という具合で、あっという間に百人を超えてしまいます。

これだけの人間が、演奏旅行なら大量の楽器とともに行を共にし、一つの目的のために力を合わせるのですから、それだけで大変なことになります。ステージ演奏でも、狭いステージだと、指揮者が楽屋から指揮台に上がるスペースを確保するのが難しいほど密集して座らなければならなくなります。後ろの方(たいていの場合、トランペット、トロンボーン、テューバなど管楽器とティンパニのような打楽器の座る場所です)は、いわゆる雛壇の高い段に乗ることになります。

ベートーヴェンの『第九』のように、合唱団が共演することになれば、この「空間の割り振り」の問題は、しばしば非常に困難になります。私の経験でも、雛壇上で僅かに後ずさりしたトロンボーン奏者が、壇上から後ろに転落して怪我をした事例に出会っています。何が言いたかったか、といえば、事ほど左様に、オーケストラとは「密集」の現場である、ということです。

ところで、私にオーケストラの経験があるか、といえば、先ずは入学した大学の学生オーケストラに、否応なく入らされたのが最初です。そのころの私は、青木十良先生にチェロのレッスンを初めてお願いして四年ほど、ある意味では、技量が最も充実した(ここでの時制は日本語にはないのですが、英語の現在完了進行形が最も適切です)時期に当っていました。オーケストラの友人たちが、それを知っていて、有無を言わせず引きずり込んだのでした。

もともと私は、「みんなと一緒」といいうのが苦手な人間です。「大勢で盛り上がる」状況を見ていると、耐えられない思いに駆られる人間です。大急ぎでその場から逃げ出したくなる人間です。例えば、テレヴィジョンで、時々合唱の学校コンクールが放映されます。心を一つにして、というところまでは何とかついて行けても、それを表現するのに、みんな同じ服を着て、同じ髪型をして、同じ口の形をして、同じ体の振り方をして、同じ作り笑いをして、同じように楽しいというのだと、もう駄目です。とても見ていられません。自分でも偏狭だなとは思うのですが、これは一種の生理の問題で、理性ではなかなか制御が難しいのです。

話がどんどんずれているようです。オーケストラです。オーケストラも、稀にですが、優れた指揮者の下で、皆の意識が一つになり、それがぐんぐん高揚して、一種の集団ヒステリー的な夢幻状態に達することがあります。そのとき生まれ出る音楽は、自己陶酔かもしれませんが、類まれな成果になることもあります。ただ、それが本当に音楽として、あるいは芸術として、望ましいことであるか、私はいささか疑問を呈しておきたいと思うのです。とにかく、オーケストラの場合でも、私は「皆で盛り上がる」ことへの忌避感はあることを告白しておきます。

大学のオーケストラでは、ほぼ四年間(大学院生になった後は、ゲストとして参加することになります)活動しておりました。年一回の定期演奏会、年二回、五月と十月にある学園祭、それに夏休みに毎年企画される演奏旅行が、決まったステージ活動でした。演奏旅行では、地方の幾つかの都市での演奏会と、小学校、中学校などでの音楽教室という学校巡り、ほぼ一週間程度の旅程です。音楽教室では、それぞれの楽器の紹介、小さなアンサンブルによる和音の仕組みなどを披露した後、比較的ポピュラーな管弦楽の曲を何曲か演奏する、というのが定番です。

弦楽器では、大抵トップ(そのセクションの首席、楽隊用語では<あたま>と呼ぶのが普通です)のプレイヤーが、楽器紹介を受け持つことになっていました。その時、どんな曲を選ぶか。楽器の特徴を十分示すことができて、しかも精々三十秒から一分くらい、というわけで、私は大抵は、バッハの無伴奏組曲第三番(C-Dur)の冒頭、上のCから下がってきて、一番下のCまで下がり、そこから音階を逆に昇っていくので、チェロが普通に扱うすべて(C-Durの中の)の音が弾けますから、それを利用していました。勿論適当なところで終わるのですが。

学生の演奏旅行で大変なのは、ティンパニが典型的ですが、個人の楽器としては扱うことができない、しかも大きな楽器の輸送です。職業的な団体なら、専用のトラックを常備するのが普通で、輸送中の事故も想定して、防護に充分配慮した器具や設備も用意されますが、学生オーケストラでは、とてもそのような贅沢は望めません。ティンパニでさえ、手で列車に運び込み、運び下すことも珍しくありません。あるとき、列車に運び込んだのは良いが、置く場所に困って手洗いに置いたことさえあります。また、短い停車時間に、そうした嵩張る、しかも扱い難い楽器たちを、要領よく運び下すのも結構大変です。卸し損なった楽器が出て、楽器係の人はタクシーで追いかけ、次の駅でようやく卸すことができた、という例もあります。

そうしたオーケストラ生活にも、楽しみがなかったわけではありません。当時の指揮者Hさんは、渡邉暁雄さんに師事された、大変有能な方でした。一種の伝説があって、Hさんは、ハープとオーボエ以外の、オーケストラに出てくる普通の楽器のすべてをマスターしている、とのことでした。実際、あるときHさんが、片手にチェロ、もう一方の手にホルンのケースを下げて、練習会場に現れたことがありました。我々の練習が終わってから、別のオーケストラで、チェロを弾き、もう一つ別のオーケストラではホルンを吹く機会が待っている、とのことでした。因みに、奥様はハーピスト(つまりHさんご自分ではまともには弾けない楽器の担当ということになります)、お嬢さんは永らくNHK交響楽団でハープを弾いておられます。

そのHさんの先生である渡邉暁雄さんの母上は、フィンランド生まれの女性で、その影響もあってか、渡邉さん自身、シベリウスの交響曲などを、大変得意にされていましたから、直弟子のHさんも、シベリウスの曲を、われわれのオーケストラでやってみたかったのでしょう。ある時、次回の定期演奏会の演目にシベリウスの第二番の交響曲を選ばれました。シベリウスの作品の中では、『フィンランディア』などと並んで、最もポピュラーな曲ですが、弾く側からすれば、第三楽章から第四楽章に流れ込んでいく(いわゆる「アタッカ」<attacca>という方法で、楽章の間に「休み」をとらないで、続けて演奏する)ときの感覚は、とてもやり甲斐を感じさせられるものでもあり、結構厄介なところもある曲です。この曲には、僅か二小節ですが、チェロの「あたま」だけが弾く(つまり「ソロ」の)部分が二回あります。

そういう交響楽の曲は多々あるのですが、管楽器奏者であれば基本的にいつも「ソロ」ということになりますから、弦楽器に限っての話になりますが、とりわけヴァイオリンでは、独奏(大抵はコンサートマスターが受け持ちます)部分のある曲は、枚挙にいとまがありません。管弦楽曲としてポピュラーなリムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』では、大事な場面は必ずヴァイオリンのソロで始まります。チャイコフスキーのバレー音楽『白鳥の湖』組曲では、第二幕「白鳥たちの踊り」の第五曲(Pas d’action)、先ずヴァイオリンの哀切極まりない独奏から始まって、ヴァイオリン・ソロが長調の明るいワルツに変貌した後、弦のピチカートの伴奏の上に、管楽器のスタッカートで「そら来た、ソロ、そら来た、ソロ、、、」という、如何にも脅かすようなフレーズ(いや、そういう風に聞こえてしまうのです)が高まっていった挙句、レチタティーヴォ風のイントロダクションに導かれた、チェロの聴かせどころのソロがあります。ヴァイオリンがオブリガートをつけてくれて、確かに弾き甲斐のある場面です。

勿論、協奏曲では、オーケストラを背景に、ソロを貫徹するのですから、独奏者の重みという点では、楽曲の中に一部として挟まれたソロとはまるで違いますが、しかし、協奏曲では、基本的に独奏の責任だけが独奏者にかかってくるのに対して、楽曲中のソロは、オーケストラ全体の責任を自分が背負ってしまうような感覚に囚われて、心理的には特別の負担を感じます。それにこの『白鳥の湖』は、演奏会ステージでの演奏ばかりではなく、ピットに入って、実際のバレーの伴奏を務めることもあります。その時は、ステージ上の踊り手たちにも気を配らなければなりませんし、責任ということでは、音楽と踊りのバレー全体という、とてつもなく大きな広がりを感じてしまうのでもあります。

大学の学生オーケストラで、バレーのピットに入ったことはありませんが、卒業後の大学院生時代、暫く籍を置いたオーケストラで、今は無い文京公会堂でのバレー公演で経験した覚えがあります。オーケストラで弾いているときに「あがる」ということは、まず全くありません(それが、自分の演奏会とは根本的に違うところです)が、この時ばかりは、例の前奏となる「脅迫フレーズ」のせいも重なって、とても「あがった」のを覚えています。

もっとも、脱線に脱線を重ねますが、音楽の演奏で「あがる」ことが一概に「悪い」こととはいえないと思っています。演奏に当って、心理状態が「冷めて」(あるいは「覚めて」)いるとき、技術的な間違いは少ないかもしれませんが、そこから生まれる音楽が、音楽として自立しているかどうかは、保証の限りではないからです。それにしても、「あがる」と、普段は犯すはずのない左指の間違いや、弓遣いの硬直などが現れ、中々自由なコントロールを取り戻すことができないのも確かです。

亡くなった臨床心理学の河合隼雄さんは、フルートの名手として知られ、講演と演奏とを組み合わせたイヴェントのシリーズを重ねておられました。前半の講演を済まされ、後半同じステージで、演奏される段になると、突然「あがる」のが常套で、心理学の泰斗と雖も、こればかりはどうにもならないですね、とよくおっしゃっていました。

話を戻しましょう。指揮ということにも一言しなければなりますまい。プロのオーケストラでは、臨時の演奏会などに、どんな指揮者が来るか判らないこともしばしばだそうです。これは海外の団体の話ということにしておきますが、「普通に」というのが楽団員の合言葉の一つにあるそうです。つまり、とんでもない人が、お金に物をいわせてオーケストラを買い切り、指揮台に登る、というような事例も必ずしも珍しい話ではないらしいのです。そうしたときには、楽団員たちは「普通に」の合言葉を頭に、指揮者が何をしようが、自分たちの普通の演奏であるような演奏をするように心掛けるのだそうです。

他方、若手のやる気満々の指揮者が初めて招かれたときなどに、楽団員たちは、「テスト」という名目で幾つか罠を仕掛けることも、これも珍しくないといいます。典型的なのは、あるパートがわざと楽譜と違った音を出して、果たして指揮者が気付くかどうかを試したり、もっと極端な例では、最初の<A>音をずらして、どこまで演奏したら指揮者が気付くかをテストしたり(これには、各奏者に相当のテクニックが求められますが)、いろいろな手があるようです。まあ、そんなことで、日ごろの抑圧的心理の解放を試みているとも考えられますが。

無論学生オーケストラに、そのような「悪弊」はありません。私たちのHさんは、農学部卒ではありますが、指揮と作曲で世に知られた方でした。作曲家の中には、音楽とはかかわりのない大学を了えられたり、別に立派な専門をお持ちの方も多いのです。入野義朗さんは経済学部、柴田南雄さんは理学部植物学科、別宮貞雄さんは理学部物理学科(後に文学部美学にも籍を置かれましたが)の卒業、松下真一さんに至っては、九大の数学を卒業し、数学者として大阪市立大学助教授を務めたり、海外で数学の共同研究を行った経歴の持ち主です。

ついでに海外を見れば、ロシアの作曲家ボロディンは、医学部卒の医師であると同時に、化学を専攻し、後サンクトぺテルブルク大学の化学の教授まで務めました。スイスの指揮者で作曲家でもあったアンセルメは、数学者としても名を成しましたし、ギリシャの作曲家クセナキスは、建築家としても著名でありました。革命的作曲家ジョン・ケージは、実はキノコの専門家でもありました。

話を戻すと、私たち団員はHさんを敬愛していました。やや悪意も混じった悪戯を仕掛けるなどということは夢にも考えませんでした。もっとも、桐朋音楽大学の初期の頃の学生たちは、およそ悪戯好きで、オーケストラに関しても、いろいろなエピソードが伝えられています。例えば、特定のプレイヤーの譜面台に違った譜面が置いてある、あるいはステージで席を外したプレイヤーの楽器の調弦が狂わされている、などは日常茶飯に起こることだったようです。まあ、これらは、団員と指揮者というよりは、団員同士の間の悪戯ということになりますが。

また海外の話になりますが、チェロのピアティゴルスキーがピアノのシュナーベルらとトリオを組んでいる頃、いつも楽譜の管理を仲間任せにしていたところ、誰かが、ステージの譜面台に違う譜面を置いたのだそうです。弾き始めようとして気が付いたピアティゴルスキーは、素知らぬ顔で、定められた曲を弾き始め(つまり暗譜で)、時々は譜面に顔を近づけたり、ページをめくったりして、最後までやり遂げたそうです。犯人はさぞかしギャフンといったでしょうが、笑ってもいたのではないでしょうか。

「音楽 その光と塩」 4. オーケストラ

オーケストラの話でした。よくいわれるのですが、一体指揮者って本当に必要なの、という疑問があります。先ほどの「普通に」のエピソードでも判るように、弾き慣れている曲ならば、指揮者なしでも一応の演奏は可能です。時々は、協奏曲で、「弾き振り」ということが起こります。ピアノなりヴァイオリンなりの独奏者が、指揮者を兼ねる方法です。この場合は、確かに、「指揮」が行き届かない場面が出てきますから、そうした場面では、多くは暗黙の裡にコンサートマスターを見ながら、あるいは自分で譜面を勘定しながら、演奏するほかはありません。ただ、独奏者の「音楽」は、常に団員にも伝わりますから、音楽的な意味では、指揮者無しの演奏とは本質的に異なることになります。

指揮者はやはり、無駄に棒を振っているのではありません。自分の音楽をオーケストラという一つの楽器を使って造り出し、聴いて貰いたい、という強い願望を持っているのが指揮者です。ソリストが、私のワーグナーはどうです、私のドビュッシーを聴きましたか、などと普通はいいません。しかし、指揮者は、「私の」という限定詞にしばしば拘ります。

オーケストラのお話、一回分としては長くなり過ぎそうです。この項、もう少し続けようと思います。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。