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AI戦略論の視点でビジネスを三層に分けて見る

2020.08.06

Updated by Ryo Shimizu on August 6, 2020, 08:44 am JST

先日、本欄で紹介した戦略論をAI時代から見直した改定版には大きな反響があった。
この二つの話題は筆者のライフワークでもあるため、もう少し掘り下げたことを考えてみたい。

まず、おさらいだが、本欄でいう用語の整理は下図のようなものである。

本欄でも告知したが、昨日行ったイベントには、予想以上の申込を賜り、また、筆者自身、このイベントの準備などを通してどこか曖昧に捉えていた「DX(デジタルトランフォーメーション)」が実に身近な話題であることを実感できた。実に有意義な一時間だったと思う。

このイベントのあとで「ネットワーキング」と称してオンラインで来場してくださった方々とZOOMで語らう場を実験的に用意してみた。やはりただ聞くだけなのと知らない人と会話するのは違うらしく、参加人数は大幅に減ったが、それでも50名弱の方々とお話する機会を得られたのは貴重だった。

その中で、ある大学生の方からの質問をいただいた。

「自分は来年から就職するのですが、戦略とか作戦とか戦術とか、それが仕事とどう結びつくかよくわからなかったのでもう少し詳しく教えて欲しいです」

なるほど。

確かに、仕事を始めてから具体的に「戦略」を意識するのはタイムラグがあるのかもしれない。

たとえば職種にもよるが、新人研修の一貫で飛び込み営業をするみたいな会社であれば、否応なしに戦略と戦術については考えざるを得ないはずだ。

上司からは問答無用に「うちの製品を売ってこい」と命じられ(戦略)、具体的には先輩や上長から「このビルはお前に任せたから片っ端から訪問してこい(作戦)」と指示され、わけもわからずエレベーターで最上階に行って端から飛び込み営業する。飛び込み営業そのものは一人でやらなければならないため、ここで初めて個人の戦術が身に付く。愛想笑い、ご機嫌伺い、アイコンタクト、商談を切り出すタイミング、エトセトラ、エトセトラ。

もちろん個別の戦闘(商談)が全てうまく行く人などまずいない。ほとんどは断られ、冷たくあしらわれ、無視されるという状態が続くが、なぜか数を重ねているとたまたまニーズがマッチした顧客を発見して、商談に結びつく・・・。

今でもこんな仕事があるのかわからないが、コロナ以前は会社の受付で飛び込み営業っぽいのを断っている社員を見つけたので、きっとあるに違いない。

ちなみに飛び込み営業による戦いは「ランチェスターの法則」における「一騎討ち戦」である。大資本のライバルと小資本が唯一互角に戦えるのは一騎討ち戦の場合のみで、コマーシャルの大量投下をしてくる大資本に対して、営業マンが対面で顧客の担当者を口説き落とす一騎討ち戦は個人の戦いになるのでまだ少しは勝ち目があるとされている。

昨日のイベントの中で、筆者は「AIによるDXは戦術レベルからのボトムアップと戦略レベルからのトップダウンの両面から始まる」と説明した。

「戦術レベルのAI」は、既に普及が始まっている。画像認識や文字認識、音声認識、波形認識といったごく単純な認識(分類)問題を解くもので、多くの場合は人間の専門家よりも安定して動作し、精度が高いことはもはや疑われていない。

初期のAIベンチャーとは、主にこうした戦術レベルの課題解決を行うAIを開発して納入する会社だらけだった。筆者らも例外ではない。

筆者の所属するギリア株式会社では、たとえば橋梁のコンクリートのひび割れ検知や電信柱の劣化検知、競走馬の状態把握や自由フォーマットの帳票の文字認識といった定型的な作業を自動化し、顧客の作業負担を減らして行った。

しかしそうした戦術級AIの実用化が一通り済むと、今度は全体の方策決定に応用できないだろうかという方向に顧客の要望が一段複雑になっていった。

戦術レベルのAIは、既に普及期にあり、秋葉原のラジオデパートにいけば3000円程度で画像認識チップとディスプレイとカメラを内蔵したワンボードマイコンを買うことができる。いかなくても通販で買うことができる

精度を過度に求めなければ、こうした安価な部品でほとんどのニーズには応えることができる。
逆に、戦略がトップダウンで降りてくるとはどういうことか。

基本的に、企業における戦略というのは、作戦とセットで説明されるが、実際には「戦略」そのものはスローガンに近い扱いになる。

たとえば、学園祭をひとつのビジネスとして捉え、学園祭実行委員会を企業として捉えるならば、学園祭における「戦略」とは、どの学園祭にも存在する非常に曖昧な概念、つまり「今年のテーマ」にあたる。

なぜか学園祭には必ず「今年のテーマ」が求められ、「今年のテーマ」に基づいて全ての企画(作戦)が立案され、評価され、戦術まで落とし込まれていく。

この、「今年のテーマ」を決めるプロセスというのは、学校によっても、また実行委員会によってもまちまちで、投票で決める場合もあれば会議で決める場合もあり、実行委員長が独断で決める場合もある。

こうした「戦略」の評価が難しいところは、「どんな戦略を与えられても、作戦や戦術でリカバリーできてしまう」という性質があるからだ。

つまり、ある時点の戦略が正しかったのか間違っていたのか、それが判明するのはかなり後なのだ。

ただし、「テーマ」がないと、そもそも企画(作戦)の立案さえわからない。全体として骨抜きのわけのわからないものになってしまう。「戦略」とは、組織行動の全体を支える屋台骨であって、ないよりはあったほうがずっといいが、誤った戦略を立てると、悲惨な結果を産むことになる。

企業戦略の失敗について、具体的な例は無数にあるのでここで敢えて挙げることはしないが、どれだけ馬鹿げた戦略も、その時点では「もっともらしく聞こえる」ということに注意を払う必要がある。

戦略は常に柔軟に、情勢を見据えてカメレオンのように変化する必要がある。
最も強力な戦略とは柔軟性が高く同時に様々な人々の想像力を超えるようなもので、失敗する戦略とは主に柔軟性の乏しさ(硬直性)によって失敗する。

硬直した戦略からは硬直した組織行動しか生まれず、それがいずれ致命傷になる。それが判明したときにはもう遅い。
ところが人間というのは一度成功体験を掴むと、どんどん硬直していくという悲しい性質がある。成功体験が一度でなく何度でもあればいいのだが、なんども成功体験を積む人、というのはそんなに多くない。

その結果、数少ない成功体験からの反芻(Experience Replay)が置き、成功体験の禍学習を産んでしまう。理想的には成功と同じ数だけの失敗を経験していることだが、なかなかそういう人には巡り合えない。

その点、AIは、成功体験に固執する理由がない。成功パターンと同じくらい失敗パターンを経験しているので、感情のみに支配されて偏った判断や硬直した戦略に陥る心配がない。仮に、なんらかの禍学習が生じてしまった場合でも、自己対戦を繰り返すなかで他のAIとの勝負に負けることで自分を磨くことができる。

以前説明したように、戦略はあらゆるビジネスのレイヤーに重層的に入っているので、人間が問われて「うーん、どうしようかな」と言ってしまうような判断(会社では往々にしてあることだ)は、AIに任せてみるのがいい。おそらく「うーん、どうしようかな」と考える間に1000万通りのパターンを試してその中で最もマシだと思える判断を教えてくれるはずだ。

したがって、当面、人間に求められるのは、AIが示した戦略と現実のすり合わせになっていくだろう。
ここすらも、現在の深層学習による自然言語処理技術が発達すればある程度は自動化できるかもしれないが、最終的に現実社会との折り合いをつけるインターフェースとして人間の果たす役割は未だ重要であると思う。

どのレイヤーにおいても、完全に判断がAIに置き換わるということはない。
ただ、AIを用いた方が正しい判断を下す確率を飛躍的に高めることができることはもはや間違いないだろう。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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