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教養としてのマンガ、プログラミング、BL

2021.03.07

Updated by Ryo Shimizu on March 7, 2021, 08:32 am JST

漫画は教養だと思う。
日本には無数の漫画が溢れている。
これほど漫画に恵まれた国はちょっとない。

嘘ではない。海外・・・には今はいけないが、amazon.comでgraphic novelで検索してみれば、日本とはだいぶ様子が違うことがわかる。

https://www.amazon.com/s?k=graphic+novel&crid=2BYYC7QYENUKY&sprefix=graphic+no%2Caps%2C352&ref=nb_sb_ss_midas-iss-sm_1_10

これはこれでいいのだが、日本の漫画ほどの多様性はない。
日本の漫画は、むしろ漫画にするネタそのものを開拓して開拓して、開拓し尽くしていると言って良い。

日本では漫画を読むことがほぼそのまま教養に繋がっていく。
特に最近の漫画は、緻密な取材に基づくものが多い。もちろんメチャクチャな話も多いが、それは活字だって同じことだ。

そもそもが、あらゆるコンテンツはエンターテインメントなのだ。

1999年に携帯電話でインターネットができるようになった時、持続的に成長可能なコンテンツはエンターテインメントだけであると感じた。そして実際のところ、モバイルコンテンツはエンターテインメントだけになった。エンターテインメントが99%で、1%にメールとか調べ物とかの退屈なものがある。買い物ですら、ある種のエンターテインメント的に消費されている。

その中で、もっと消費しやすいものの一つが、漫画だ。
漫画はとにかく早く読める。この「早く読める」と言うところが漫画の持つ機能の大事なところだ。
早く読めるということは、それだけ「消費が早く」「課金ポイントが多い」ことを意味する。富を生み出すと言うのはコンテンツにとってとても重要なポイントの一つである。

その代わり、漫画は文章に比べて書くのに時間がかかると言うポイントがある。
作成時間と消費時間の非対称性が極端に振れているのだ。

なぜなら漫画は、絵とお話の両方を作らないと成立しないからだ。これはかなり難しいし大変だ。
漫画を描く、作ると言うのはかなり特殊な技能であり、そんな技能を持つ人がプロとアマチュア合わせて十万人単位でいるところが我が国の凄さなのである。

そして、漫画は描くのに時間がかかる、という一見デメリットに見えるポイントも、実は描くのに時間がかかる分、熟考する時間をとれると言うメリットに転化される。

文章というのはそういうわけにはいかない。熟孝した文章と、適当に描き殴られたコタツ記事の区別はなかなかつかない。そしてコタツ記事が常に悪いというわけでもない。

インターネットの出現は、情報を伝搬する速度とコストを劇的に引き下げた。その結果、人々の情報の消費速度は爆増した。
たとえば筆者が中学生の頃、コンテンツというのは、週単位で消費するものだった。

テレビドラマ、漫画雑誌などである。そして専門性の高いコンテンツは月刊誌の形で、速くても月単位で消費するものにすぎなかった。
どの月刊誌を購読しているかで情報に偏りがあるため、毎月18日は必ず書店に出かけていって、全ての月刊誌をとりあえず立ち読みしてからどれを買うか決めなければならなかった。

同じジャンルの雑誌の発売日が揃えられているのは、そういう事情があったからだ。

インターネットが出現したときに一番驚いたのが、月単位でしか新しい情報が出てこなかったものが、毎日という単位に変わったことだ。
毎日コンピュータ関連のニュースがある状態というのが、そもそも異様だった。

しかしインターネットはそれくらいでは勘弁してくれなかった。
毎日どころか、一日数回の更新というのがニュースサイトでは当たり前になった。
人間はそれほどの勢いで新しい情報(ニュース)を生成できるのだろうか。

その結果、ニュースは、ほとんど全部同じものになった。スマートニュースでもgunosyでもYahooでも、ニュースの内容はどれも同じだ。表現が違うだけ。人類の情報を消費する速度が、作成する速度を追い抜いたのである。その結果どうなったか。ソーシャルメディアが生まれた。もはや人々は会ったこともない人が「お腹すいた」と呟くことですらコンテンツとして消費し始めたのだ。

おそらく、ここまで情報の消費が早まることをマクルーハンは予測できていなかったのではないだろうか。

100年前の人々にとっては、この状況は異常すぎるだろう。誰が見ず知らずの人が何かに怒っていたり、ただ空腹を訴えていたり、もしくはカップルでイチャイチャしているだけのコンテンツを見るために電力と通信費を消費する時代が到来すると予測できただろう。それ自体は何も生み出さないのだ。

情報を生み出す速度を情報を消費する速度に同調させようとすると、ソーシャルメディアにならざるを得ない。実はClubhouseもその法則に従っている。最近はすっかりみんな飽きてしまったように見えるが、ここを生き残ると定着するのかもしれない。

それに比べると漫画はとにかく作るのに時間がかかる。時の試練(test of time)を乗り越えなければ漫画は完成しない。
この作成速度も、ひょっとするとAIによってかなり短縮される可能性はあるが、今のところ、まだその心配は少ないだろう(多分あと1、2年は)。

逆に完全なる落書きでも漫画として成立するようになってきてしまっているように見えなくもない。もはや絵が丁寧とかそれ自体に価値が見出される時代ではない。それ自体に価値がないわけではないが、それよりも消費する速度の方が遥かに早いのである。量は質に昇華することがある。

最近上梓された「マンガ教養としてのプログラミング講座」が完成までに企画から四年という月日が経ってしまったのも、仕方がないことなのだ。

まあ基本的に僕はタテノさんが漫画を描くのをひたすら「待っていた」だけなので、何も偉そうなことは言えないのだが、漫画として表現するときに考えなければならないことの膨大さというのはちょっとやばいほどである。

大変な苦労をして完成されたものであることは想像に難くないのだが、消費するのは一瞬である。

先日、丸の内のマジックバー「十時」のマジシャン、ゆうこにこの本をあげたら、秒速で読み終わっていた。もしも文字だけの本をあげたらそうはなってなかっただろう。

この本が描かれるのに費やした四年という歳月は、一体全体なんだったのか。
しかしこの消費の早さこそがマンガのもつ本質的な力であり、魅力なのではないか。とも思うのだ。

この本は、プログラミングを題材としているが、いわゆるコンピュータのプログラミングは一切しない本なので、秋葉原のヨドバシカメラにある書店で「コンピュータ」のコーナーに置かれていた時は「あーあ」と思った。この本は棚を選ぶのが難しい。せめて「ビジネスマンのための」とかつけてあれば相応しい棚に並んだのかもしれないが、これはプログラミングを知ってる人が読んでも特に何もない、という本である。

とはいえ、この本の元になるネタを考えながら思ったのは、「そもそも最近のプログラマーって、アルゴリズムとか知らないんじゃ・・・」という漠然とした不安感であった。

というのも、最近はアルゴリズムを知らなくてもプログラムのようなものが作れてしまうのである。
というか、アルゴリズムを知らなくてもプログラミングできるように、プログラミング環境そのものが進化してきたのである、というべきか。

アルゴリズムを理解するのは基本的に難しい。昔、プログラマーといえば、「賢くて当たり前」の職業だった。プログラマーを名乗る者が自分の頭の出来に自信がないことなど考えられない時代だった。

ところが最近は、アルゴリズムを知らなくても一丁前の口を聞けるプログラマーが増えてきた。いや、彼らはプログラマーとはもはや名乗っていないのかもしれないが、たとえばガソリンスタンドの店員は内燃機関に対する知識がなくても成立する。それと同じように、エンジンの設計ができなくても、ガソリンを入れてイグニッションを回すことができれば、「エンジニア」を名乗る人が増えてきた。まあガソリンスタンドのアルバイトさんが「エンジニアです」と言い始めたら「なんでだよ」と思うかもしれないが、「エンジン」に関わる仕事をする人をエンジニアと呼ぶとすれば、もはやあながち間違いとは言い切れない。IT業界には、窓を拭くレベルの「エンジニア」がゴロゴロしているので、エンジニアのレベルを一言で説明するのが難しい。

彼らがなぜ「エンジニア」を名乗らされているのかといえば、そのほうが単価をあげることが出来ると信じられているからだ。

そしてIT分野における「エンジン」はどこまで低レイヤーのことを指すのかがまた難しい。究極的には、CPUの設計までするのがエンジニアだと思うが、CPUの設計をしてる人なんてIT業界全体で見てもせいぜい数百人しかいないだろう。普通はCPUは汎用品を使うからだ。

次に、CPUを使って、OSやプログラミング言語を作るところまで範囲を広げると、数万人くらいの単位には広がる。でも本当にそうだろうか。OS開発を生業とするマイクロソフトには、「OS開発」をしてるプログラマーは確かにいるが、その多くは部品しか作っていない。OSというエンジンの構造そのものを決定している設計者(アーキテクト)は数名しかいないはずだ。サブシステムのアーキテクトを数に入れるかどうかという問題もある。

そういう人たちと、RoRやPHPやエクセルやアクセスのマクロを書いて納品するのを仕事にしている人たちを一括りに「エンジニア」と呼んでしまうと、そのレベルに差があり過ぎて「理系人材」と呼ぶのと同じくらい曖昧になってしまう。「理系人材」と言っても、看護師さんから量子物理学者までいるじゃないか。

しかも使ってる道具の問題でもない。PHPやRubyを使っていたらエンジニアとは呼べない、という話にはならない。精神性の問題なのである。C++を使ってOSを書いていたらエンジニアと呼べるか、という質問にもイエスともノーとも答えられない。だからこの辺りの定義はかなり難しいのだ。僕は仕事で時々OSの中身を見ることがあるが、僕の常識ではエンジニアが書いたとは思えない素人くさいコードの方が多い。でも、それをみんな当たり前のように使っているのである。コードがへぼくても、半導体の進歩が時の試練を乗り越えさせてくれることも少なくない。もちろん根本が間違っていたらダメだが。でもそれは内燃機関は空冷がいいのか水冷がいいのかという話と同じ議論かもしれない。要は、時代とともに要求は変わるから、いつだってダメなコードというのはないのかもしれないということだ。それがたとえ偶然の産物であったとしても、下手に古い知識は目を曇らせることもある。

その意味で、僕はこの本を自分の知ってる「プログラミングの常識」の範囲で定義したが、もしかすると本書に書かれているようなプログラミングの常識を全く知らないというエンジニアも相当数存在するのかもしれない。

そうすると、そもそもが本のタイトルを間違ってしまったとも考えられるが、そんなことを考えること自体もどうでも良くなってきてしまう。

最近の悩みは、AIについて何か書くと、一年も経たずに自分の意見が変わってしまうことだ。
そう、AI分野だけに限定すると、コンテンツ(論文)の消費速度がコンテンツの生まれる速度に対して追いついていないのである。
というか、これは生命科学などを含めた学術論文全体に言えることだ。

もしかすると、インターネットによってコンテンツの消費速度が上がってしまった自分が、必然的にコンテンツの出現する密度と速度を追求した結果、たまたまAIという分野に行き着いただけなのかもしれない。

今年の頭に予想した通り、最近はTransformerのマルチモーダルな研究が盛んになって論文と実装が次々と出てきた。
まあこの話はまた項を改めることにしよう。

かなり脱線してしまったが、漫画が素晴らしいのは間違いないことで、その素晴らしさの裏付けは、コンテンツの作成速度がかかることで、それは時の試練(test of time)を乗り越えることと同義だからだと考えることができる。

しかしいずれAIによって作画や作劇が自動化されると、下手をしたら時の試練を乗り越えない漫画というものが大量に生産される時代がやってくるかもしれない。そのとき、もしかすると、「時の試練を経た漫画」と「時の試練と無縁な漫画」が玉石混交となり、今の「エンジニア」という言葉と同じくらい、「漫画」という単位で括れなくなるかもしれない。

この話は一見すると全く関係がなさそうだが、実際にはものすごく深いところでは連関している。

先週、友達に誘われて「ポルノグラファー」という映画を見に行った。
男同士が何故だか恋におちてまあ色々なことが起きるという話なのだが、実写で見ると「何故こうなる」という違和感がすごい。
普通はこうはならんだろう、という思いと、このシーンを見て喜ぶのはいったい誰なのか、延々と考えてしまう。

それで気になって原作の方も読んでみたのだが、原作は何事もなくスッと入ってくるのである。
同じ物語が、一方は映画で、もう一方は漫画で、語られているだけなのだが、印象が全く異なるのだ。

大きな括りではBLなのだが、BLが持っている本質的な機能は純愛の表現だと筆者は個人的に思っている。
BLで表現されているのは、男の皮を被った女であり、男と女は本来同じようなものである、という人間性の追求、もしくはそうあって欲しいという願いを強く感じるのだ。

これも漫画だからこそ出来る表現なのかもしれない。でも映画も、それはそれで、「女性の魂が男に乗り移った」ように見える迫真の演技なので見る価値はある。普通に暮らしていたら、きっと見ることはなかったかもしれない映画だったが、見るきっかけがあってよかった。

とりとめもない話になってしまったが、読者諸氏の心に何か引っ掛かりが残れば幸いである。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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