画像はイメージです original image: contrastwerkstatt / stock.adobe.com
「自律的テレワーク」とはどのようなものか
What is a independent tele-work ?
2021.07.26
Updated by Shigeru Takeda on July 26, 2021, 12:02 pm JST
画像はイメージです original image: contrastwerkstatt / stock.adobe.com
What is a independent tele-work ?
2021.07.26
Updated by Shigeru Takeda on July 26, 2021, 12:02 pm JST
日本の総労働力人口(6180万人)に占める従業員数1000人以上の企業に勤務する人の割合が25%程度で、その中でテレワークに向いた職種(事務職または営業職)の人が30%程度だとすると、テレワーク可能人口は、460万人ということになる。仮に、その半数くらいがテレワークを実施しているとしても、ユニバースは230万人程度、つまり総労働人口のわずか3%に過ぎない。この人たちのテレワークのあり方を議論したところで、「新しい日常」がやってくるとは思えない。
本丸はむしろ、中小企業、広義のエッセンシャルワーカー(essential worker)、東京以外の地域、そして、労働人口とカウントされていない人の社会への貢献、という4つのポイントで表現できる。さらに、主題はテレワークも含めた新しい働き方だろう。そう考えて、とりあえず今すぐできそうな「働き方改革」のためのアイデアを列記してみた。キーワードは自律的(autonomous ではなくindependent)であることだ。
ワクチン接種が進んだ米国では、AmazonやAppleが「週3日の出社」という足して二で割ったような原則を打ち出しつつあるが、そもそも「◯◯日は出社せよ」という具合に勤務先から指令されるのは労働者目線からすれば「余計なお世話」である。勤務先オフィスに行かねばならない必然性があるときだけ行けばいい、という意味において「本社は出張先の一つ」くらいに認識しておく程度で良い。
何れにしても「デフォルトは自宅、たまに出社」が基本になれば、テレワークという言葉が本社への出勤を意味するようになってもおかしくない。テレワークは労働生産性を向上させるためにあるのではない。労働生産性はビジネスモデルとの関係のみで議論すべきテーマであって、ワークスタイルとの相関関係は希薄である。本当の目的は、裁量権を確保(あるいは提供)することだ(労使の信頼関係がない職場では難しいだろう)。
政府が推奨しようとしている「選択的週休3日制」は、「同一労働・同一賃金」すなわち仕事の価値は単純に労働時間で測れるという荒唐無稽な思想が根底にあるので、労働者からは積極的に導入してほしいと思う制度にはならないだろう。経営がこれを賃金を下げるための口実にするのは明白だからだ。まずは、労使共に「仕事の価値は労働時間とは無関係」というムードをどうやって醸成させていくかが課題だ。テレワークの導入も、賃金を下げるための議論に直結しやすい。ただしこれは、優秀な人ほど仕事が早い(=短時間労働)という事実を正当に評価すべきだ、と主張しているわけではないことにも留意してほしい。
「住宅は購入すべきか賃貸がトクか」はダイヤモンド社あたりが大好きな定期的に出現する週刊誌ネタだが、これは「自宅は1カ所」という暗黙の了解を前提としている時点でナンセンスだ。そもそも、あるべきテレワークとは「事務所に行かなくて済む」あるいは「自宅に縛り付ける」ということではない。好きな時に好きなところへ移動できる裁量権を保持している状態を指す。ただし、いわゆるノマドワーカー:nomad workerという意味ではない。これは、そもそも言葉の使い方を間違えている。
テレワークが進むと、自宅のそばに小さな(自分だけの)事務所が欲しくなるだろう。「自宅が狭いから」ではなく、モードを切り替えるための場所として利用するのだ。これがまずは自分だけの「3rd.プレイス」であり、新しい2軒目の自宅になるだろう(数人が集まれる程度の会議室として利用されるのが最も望ましい)。
人口減少社会において空き家が2000万戸に到達する、というマクロの現象を目の当たりにすれば、「築20年の自由が丘駅徒歩5分のワンルーム」などは家賃3万円で十分だ。サラリーマンでさえ小遣い程度でもう1軒家を借りるのが普通になる時代をイメージして欲しい。多拠点は決して贅沢ではない。特定地域に定期的に出張するような業務であれば、当該地域に自分の自宅兼事務所を借りてしまえば、逆に安上がりになる可能性すらある。
京都大学の佐藤(卓己)先生は、毎朝午前2時半に起床し、仕事に取り掛かるという(立派な丑三つ時である)。これは流石に極端な例だと思うが、50歳を超えたあたりから午前4時や5時の起床が全く苦にならなくなるのは確かだ。起き抜けは、大脳生理学的には十分な休養が与えられた状態なので、頭の回転も早い。何よりも、誰にも邪魔されない時間帯であることが、早朝という時間帯の最大の良さだ。
多少乱暴だが、仕事を「創造的な妄想」と「論理的な作業」に分けたとき、前者は日中の他人との雑談が最も効果的だが、後者については早朝に1人でさっさと片付けてしまうのが正解だ。当然、場所は自宅もしくは徒歩圏にある自分の事務所ということになる。テレワークの分かりやすいメリットとして、まず実感できるのは、この「早朝への作業のタイムシフト」である。その日にやるべき作業は午前10時までに終了させてしまうのだ。これによって日中は、10時から仕事を開始する凡庸なサラリーマンとのどうでもいい雑談を楽しめる、というわけだ。
テレワークのデメリットとしてクローズアップされがちなのは、「職場における雑談の効能が失われる」だが、そもそも毎日同じところに出向いて同じ仲間とする雑談に効能などはない。職場に関する不満、上司に対する愚痴、人事の噂話などに終始することになり、最後は「何かいいことないっすかねぇ、、、」とボヤいて終了するのが目に見えている。それに比べると、(赤の他人との雑談は難しいが)薄い接点しかない知り合いとの数カ月に1回くらいの雑談は猛烈に面白い。日頃取得している情報や関心が重ならないほど、雑談は豊かなものになる。
テレワーク中心の働き方の最大のメリットは、その気になれば他社(者)との雑談の機会を猛烈に増やせることにある。一見どうでもいい雑談が、営業マンの場合は連携・提携・共同企画、技術者の場合は会社を超えた職務発明、研究者の場合は共著論文の執筆につながっていく可能性があることを意識しておきたい。
5Gで期待されている技術の一つに、単一の無線網の上に仮想的な独立の論理ネットワークを多重化する「ネットワークスライシング(network slicing)」がある。詳細は東大・中尾教授のこの記事を読んでいただきたいが、スライスという言葉自体は玉ねぎのスライスと同じ意味だ。これに限らずIT業界では昔から「TSS(Time Sharing System:時分割方式)」が一般的だ。サーバーサイドの処理を短い時間に分割して利用すれば、たくさんの端末がぶら下がっていても、各端末(=クライアント)からはあたかも自分がそのサーバーを占有しているように見える、といういわば仮想的な独占状態が再現できる。
実はこれ、コンサルタント業の基本中の基本である。金額の多寡にかかわらず、ある特定のクライアント(顧客)に対しては「私はあなたを24/365で見守っていますよ」というメッセージを発し続けることで信頼関係が構築できる。かかりつけ医のようなものだと考えれば良い。このメッセージの強さを維持するためには、自分の勤務先(これもクライアントの一つである)であろうが副業先であろうが、同じウエイトあるいは濃淡で発信することが肝要だ。これが、先に述べた「選択的週休3日制の是非」を解決する手段になりうることにお気付きだろうか。
Youtube上には優れた教材が溢れている。分野によっては、下手な教育系地上波番組や放送大学をはるかに凌駕するレベルの内容を提供する実践的なものも多い。ただし、1)その教材が本当に優れているかどうかが判断できるリテラシーが必要とされる、2)独自のアルゴリズムにより様々な動画がリコメンドされ、しかも必ずしも的外れではないために時間を浪費しやすい、という問題がある。ここで有効なのが、自分なりのシラバス(教材としての番組表)だ。いずれにしても、テレワークは仕事や生活のリズムを崩しやすいという弱点があるのは事実なので、教材の利用も含め、自分なりのタイムテーブルを作っておいたほうが良い。このタイムテーブル自体が、あなたのコーチ(coach)である。
どう工夫したところで事務所や工場に出向かなければ仕事にならない、という職種もある。こういった場合は、定期的にその人をその職場から引き離す制度(強制的で楽しい移動)が必要だ。気分転換してもらうため、である。安上がりで効果的なのが年に4回程度の「温泉宿での一泊二日の合宿」だ。詳細はここに書いたので参考にしていただければ幸いである。
新教養主義宣言の野沢塾の仮説は「地域の工務店がコミュニティ・リーダーになって再構築される郊外」だが、この新しい郊外で最も重要な機能は「散歩」である。実は『自動運転の論点』(更新は停止したが、多くの優れた論考は今でも閲覧可能) を運営していて重要なことに気付いたのだ。それは「自動車の将来がどうなるかなどは実はどうでもいいことで、重要なのは気持ち良く散歩できる街が作れるかどうか」である。実態が漠然とした観光客に阿るカタチで遊歩道を整備する、というのが一番ダメだ。歩くための道は、そこで働く人、住む人にとって快適な移動を提供するためのものでなければならない。
ここまで読んでいただいた方は既にお気付きだと思うが、このコラムで主張していることは実はただ一つである。それは「自分の会社を作れ」なのだ。それも、清水の舞台から飛び降りるつもりで(自分がそうだったのだが)、などという大げさなものではなく、サラリーマンであっても自分でも会社を経営しているのが普通の時代になりますよ、テレワークはそのきっかけなんですよ、ということなのだ。「自分の事務所があるようなやつを正社員として雇うわけにはいかない」と主張するような会社は、おそらく近い将来消滅するはずなので、むしろそんなところには就職しない方が安全だろう。
おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)
登録はこちら日経BP社の全ての初期ウェブメディアのプロデュース業務・統括業務を経て、2004年にスタイル株式会社を設立。WirelessWire News、Modern Times、localknowledgeなどのウェブメディアの発行人兼プロデューサ。理工系大学や国立研究開発法人など、研究開発にフォーカスした団体のウエブサイトの開発・運営も得意とする。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)、情報処理推進機構(IPA)Ai社会実装推進委員、著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年) など。