画像はイメージです original image: STOCKSTUDIO / stock.adobe.com
「non-committal position」を指向するイスラエル
2022.04.18
Updated by Hitoshi Arai on April 18, 2022, 15:59 pm JST
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2022.04.18
Updated by Hitoshi Arai on April 18, 2022, 15:59 pm JST
2月24日に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻は、一向に行く末が見えないまま、まもなく2カ月が経とうとしている。長いこと平和ボケを享受してきた私達日本人も、さすがに分断する国際社会とその中で国として必要な安全保障について考えざるを得ない状況だ。西側各国がウクライナ支援を強化するだけでなく、トルコ、フランス、イスラエル、オーストリアなどの各国首脳が停戦仲介外交を進めている。こういった状況下でのイスラエルの立ち位置について考えてみたい。
確かに、ロシアにもウクライナにも多くのユダヤ人がいるという両国との関係性はあるものの、イスラエルはNATO加盟国でもなくロシアの隣国でもない。しかし、イスラエルはかなり早い段階から仲介に動き出している。
メディアの記事を振り返ると、
・2月27日 エルサレム・ポスト:ベネット首相はプーチン大統領と電話会談し、仲介を申し出る
・3月6日 エルサレム・ポスト:ベネット首相がモスクワを秘密訪問しプーチンと会談
・3月18日 i24ニュース:イスラエルがウクライナに設置する野戦病院について、ロシア軍が爆撃しないようその位置を前もって通知
・3月22日 Alex Gandler氏ツイッター:ウクライナ西部リビウの街モスティスカでイスラエルとウクライナ政府共同設置の野戦病院オープン
などが目に付いた。
特に3月5日(土)はユダヤ教の安息日であり、イスラエルの首相が安息日の戒律を破ってモスクワ訪問という「仕事」をするのは極めて例外的なことである。同時に侵攻開始以降にプーチン大統領が西側の首脳に会う初めてのケースでもあり、大きな注目を集めた。
イスラエルの最大の後ろ盾はアメリカであり、ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ人ということから、アメリカやNATOを中心としたロシア非難・経済制裁にイスラエルも足並みを揃えると当初は思い込んでいた。しかし、ベネット首相の発言は極めて慎重であり、直接的なロシア非難は避けたばかりか、ウクライナへの武器供与も拒否した。
一方で、東日本大震災時の日本支援と同様に、医療チームをウクライナに派遣し、野戦病院を作って運営するという人道的活動をしている。このような動きをする背景には何があるのか、という極めて単純な疑問から、チェコに住むイスラエル人の友人と話しをしたところ、中東の複雑な事情とイスラエルの置かれた立場が改めて見えてきた。
ロシアはイスラエルの「隣国」
イスラエルの行動原理は「国と国民を守る」という安全保障が第一であり、その最大の脅威はイランである。故ホメイニ氏は「イスラエルは地図上から抹消されるべき」と発言し、現イラン政権もしばしばこの言葉を引用する。イランは原子力開発にも力を注いでおり、核兵器保有の可能性も否定できない。
またイランは、パレスチナ解放を目指す武装勢力ハマスとも良好な関係を維持しているだけでなく、レバノンを拠点とするテロ組織、ヒズボラとも密接な関係があり、武器を供与しているといわれている。これらの武装勢力は、イスラエルの隣国であるシリアに多くの拠点を置いており、イスラエルはイランによるヒズボラへの武器供与を阻止するために、シリア国内のイランの動きを常に警戒してきた。
2011年以降、多くの難民を生んだシリアの内戦では、アメリカやイギリスは反体制派のシリア国民連合を支援し、ロシアやイランはアサド政権を支持した。その後、国内が混乱する中でシリアではイスラム過激派ISILが勢力を拡大し、アサド政権への脅威にもなってきた。シリアの北東のイラクとの国境地域にはイラク側からISILが入ってこないように国境を守っているアメリカ軍の基地があるが、彼らは国境を守るだけでシリア国内で勢力を伸ばしてきたISILと対峙するわけではない。
そこで、アサド政権はロシアの支援に頼ったのである。ロシアはシリアへ武器を提供するなど、経済的にも軍事的にも極めて密接な関係にあり、シリア国内にはロシア軍の軍事施設もあって、実質的なシリアの制空権はロシアが握っているという。
シリア国内でイランの影響力が拡大することは、ロシアにとっても望ましいことではないという点はイスラエルと一致しており、イスラエルがシリア国内で活動するイランのテロ組織を空爆するなどの軍事行動をとるときには、事前に制空権を管轄しているロシア側に連絡をして安全を確保しているという。
真偽の程は不明だが、友人によれば、仮に事前通告なしにイスラエルが空爆をしてシリアから反撃のミサイルが飛んできたとしても、イスラエル軍の戦闘機はそれを回避する能力はあるらしい。しかし、そのミサイルはロシアがシリアに提供(売却)している武器であり、目標を外せばロシアのシリアに対するメンツは潰れ、武器ビジネスに影響することになるはずなのだ。しかし、事前に連絡をして迎撃のミサイルを発射しなければ、イスラエルは安全でありロシアのメンツも潰れることはない、という相互利益の関係なのである。
つまり、シリア国内にはイスラエルの安全を脅かすイランの脅威が存在し、そのシリアと密接な関係にあるのがロシアであるという観点から、ロシアはイスラエルの実質的な隣国であり、お互いの利益のためにも、イスラエルはロシア(プーチン大統領)との良好な関係を維持することが必要なのである。
バランスを考慮せざるを得ない「non-committal position」
一方でイスラエルは、西側の一員として、アメリカの同盟国として、ロシアのウクライナ侵攻を黙認することもできない。例えば、プーチン大統領を支えるオリガルヒいう新興財閥は有名だが、その半分は実はユダヤ系だという。イスラエルという国家は「世界のユダヤ人が帰る場所」であるが、さすがに同じユダヤ人だとしても、豪華なヨットや大きな資産を保全しようとするオリガルヒの人がイスラエルへ避難するのを単純に受け入れることはできない。しかし、これらのユダヤ系オリガルヒからは、多額の寄付やハイテク投資資金がイスラエルに流れてきていることも事実であり、事情はそれほど単純ではない。
また、イスラエルがウクライナへの武器提供を拒否したのは、決してロシアに配慮したからではない。イスラエルが開発してきたアイアンドームに代表されるハイテク武器は、高度な技術とノウハウの塊である。これらの兵器は、アメリカの支援で開発したものも多く、ウクライナに提供して、万が一それらの武器や技術がロシアの手に落ちたときには、アメリカにとって大問題となる。従って、イスラエルが開発した武器は、NATO諸国以外に提供されることはないのである。
難民の受け入れ問題もある。ユダヤ民族は、第二次大戦時期にホロコーストの難民として世界中を彷徨った辛い経験がある。その痛みを知っているからこそ、ユダヤ人であるかどうかにかかわらず難民は積極的に受け入れるべきだ、という議論がある。一方で、現在でもユダヤ人はイスラエルの人口の75%程度であり、アラブ人の出生率が高いためにその割合は低下傾向にある。難民の受け入れがユダヤ人比率を更に低下させるならば、そもそもの「ユダヤ人の国」というイスラエルのアイデンティティが損なわれる、という主張もある。激論の末、ユダヤ人以外の難民も受け入れているようだが、数の上限を定めているところで落ち着いている。
イスラエルにはハイテク・スタートアップが多いが、かなり多くの企業がウクライナに支社を開設したり、アウトソースしているという。もともと、ロシア系のユダヤ人が数多く移民としてイスラエルに戻ってきたこともあり、ウクライナとは人の繋がりがあり、言語面でも問題が少ない。人件費の面でも、イスラエルに比べればウクライナは遥かに安いため、アウトソースするメリットは大きい。イスラエル在住の日本人の知人によれば、彼の働く会社ではウクライナに200人社員がいるという。この200人は、残念ながらロシア侵攻以前のように仕事ができる環境にはない。従って、戦争が長引けば長引くほど、多くのイスラエル企業に業務上の影響が出てくるはずだ。
このように、いろいろな問題があるわけだが、いずれの問題も簡単に割り切れるというものではない。ロシアのウクライナ侵攻に関連して、イスラエルが早い時期から様々な動きをしているのは、その抱える問題の複雑さを反映したものではないだろうか。
4月10日のエルサレム・ポストに「How war in Ukraine can directly impact Israel - opinion」という記事がある。その冒頭には、The Israeli government has taken a non-committal position on Vladimir Putin's war in Ukraine. という一文がある。この文章は、プーチンの戦争に対してのものであるが、それだけではなくアメリカに対しても、ヨーロッパのNATO諸国に対しても、ウクライナのユダヤ人同胞に対しても、ロシアのユダヤ系オリガルヒに対しても、non-committal(曖昧な、言質を与えない)な立場をイスラエルは取らざるを得ないことを示している。それは、自国の安全保障を最優先に考える、という明確なポリシーからくる non-committal positionであり、決して日和見で答えを出せないがゆえの曖昧さではない。
After Ukrine Warの中東とイスラエルは?
ロシアによるウクライナ侵攻は、ロシアの当初の狙いとは裏腹に西側世界の結束を強め、NATO、EUへの参加を希望する国を増やしている。ヨーロッパが環境問題で主導してきたカーボンニュートラルへの動きは一時停止状態となり、代わってエネルギー安全保障がハイ・プライオリティになった。覇権主義的な動きを強めてきた中国にも影響が及び、一帯一路構想の見直しもあり得るだろう。この戦争がいつ、どのような形で収束するのかは分からないが、価値観を含めて世界を大きく変える動きは止まらないはずである。
経済制裁の観点から、西側諸国はロシアの石炭、石油の購入を控えるが、それを代替する石油は中東から手当することになるだろう。しかし、それが一時的な需要に留まり、将来は再び世界が脱石油に動くのであれば、産油国は安易な増産には応じない。そんな中で、アメリカの制裁を受けている産油国イランの立場が変わり、核合意が再び成立して石油を輸出できるようになるかもしれない。その時は、再び中東のパワーバランスが変化する。孤立するロシアは、失う資源ビジネスの影響を最小化するために、中国、北朝鮮などとの関係を深め、イランやシリアとの武器ビジネスを強化するかもしれない。イランの経済力、軍事力の強化は、間違いなくイスラエルにとっては脅威の増大である。
筆者のような素人が底の浅い未来予測をすることにまったく意味はないが、少なくとも世界は複雑になる方向であることは間違いない。その複雑な世界には、分かりやすい単純な解は存在しないだろう。妥当な例ではないかもしれないが、CO2削減のためにガソリン車からEVへ転換するというのは「部分最適」としては解かもしれないが、エネルギー安全保障や電池に必須の希土類金属資源の偏在、などの要素も含んだ「全体最適」の解となり得るかどうかには疑問が残る、というようなものだ。
だからこそどの国であっても、直面する様々な問題に対してバランスを追求しながら、イスラエルのようにnon-committal positionで行動せざるを得ないのではないかと考える。しかし、一見曖昧に見えても、その裏には核となるポリシー(自国の安全保障)が貫かれているところがイスラエルらしいところであり、外部からどのような批判を受けても彼らはブレることはない。そこが日本、日本人の「曖昧さ」とは異なる点である。分断と複雑化が進む世界での振る舞いについて、我々がイスラエルに学ぶべき点ではないだろうか。
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登録はこちらNTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu