photo by 佐藤秀明
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死者を隠すということ
死には、公表されるものと秘匿されるものがある。
新型コロナに罹患して亡くなった人のことについては、親戚にさえ言えないという例があった。病気に罹った事自体が過ちのようにとられかねないからだ。あまりに不条理に思われるかもしれないが、実はこのような例は今にはじまったことではない。古くから人類文化には感染症で死んだ人がいる家を忌避する、すなわちケガレ同様に扱う現象がみられる。
一方で第二次世界大戦後には、亡くなった一人ひとりを決して忘れてはいけないという意味で、全ての死者を記して、祈念するという考え方も広まってきた。
沖縄には平和の礎(いしじ)というものがあって、そこには兵士だけではなく住民も含めたたくさんの亡くなった方の名前が記されている。
最近では大きな事件で亡くなった方の名前を報道することが控えられているが、社会が「死者を忘れてはならない」という考え方を持つのならば、弔うために名前を挙げることはむしろ欠かせないことではないだろうか。
隠すことだけが死者の尊厳を守ることではない
一方で、むごい亡くなり方をした家族の名前を公表したくないという遺族には、それを「消費されたくない」という思いがあるのだろう。
例えば、水俣でユージン・スミス(William Eugene Smith)が撮った上村智子(かみむらともこ)さんの有名な写真がある。母親が入浴をさせているシーンで、『水俣母子』というタイトルがつけられた。水俣の悲劇を象徴するものとしてよくポスターなどに刷られため見たことがある方も多いだろう。その後上村さんは21歳で亡くなるが、この写真は、時を経るにつれて新たな局面を迎えていく。
「上村さんのきょうだいが通う教室では、教師が写真を見せて「水俣ではこんな不幸な生まれ方をした人がいた。今後は決してこのようなことを起こしてはいけない」という趣旨の話をしたことがあったという。それに対し、妹は「その写真は私の姉です。姉のことをそんな風に言わないでください」と泣きながら発言した。その教師は、当事者が持つ思いを理解せずに、公害批判教育に取り組んできたつもりだったが、深く反省させられたという(原田正純『宝子たち――胎児性水俣病に学んだ50年』弦書房、2005年、27ページ)。
また、刷られたポスターはときに地面に落ちて人に踏まれることがある。落とした人にしろ踏んだ人にしろ、そこに悪意がないことが多いが、それでも被写体はある種の軽薄な扱いを受ける。それはやはり死者に対する冒涜になってしまう。ユージン・スミスのパートナーであるアイリーンさんはそれに胸を痛め、写真を封印した。それは遺族たちの願いでもあった。
日本では2021年に公開された『MINAMATA』においては各種の調整のうえ、写真を使うことに遺族もアイリーンさんも同意した。そのため、この写真は再び世に出るようになった。映画やそこに映しだされた写真を見て、水俣病とともに生きた人々の人生に思いを巡らせた方もいるのではないか。
死者の名前や生前の姿、情報は現在を生きる人々に大切な問いを投げかけ、悼みの気持ちを起こさせることがある。だからこそ、死者の尊厳を守る方法の一つとして、その名前を挙げるということがふさわしくないと感じる人がいるとすれば、その理由をよく考えなくてはならない。あまりに慎重に扱いすぎるということは、亡くなった方の尊厳を逆に傷つけることもある。
一方で、亡くなった方や家族に対する偏見、差別というものが社会にあるということを、土台にして考えることも必要だ。デジタル社会においては、一度発信された情報は抹消できないのだから。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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