著者提供:バチカン市国 サンピエトロ広場
著者提供:バチカン市国 サンピエトロ広場
ルネサンス期の万能の天才ミケランジェロは、殴り合いの喧嘩で鼻が曲がり、その外見のコンプレクスから、理想的な顔立ちと体型の「ダビデ像」を作り、自画像はシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」の皮剥の刑で表現したといわれています。
フランス革命の英雄ナポレオンは、アルプス越えの騎馬像のイメージがありますが、本当の姿は良く分からないそうで、だいたい、アルプスは馬ではなくロバで越えたともいわれていますし、危機管理上、赤いマントは目立ち過ぎます。ちなみに、ナポレオンも坂本龍馬も、右手を衣装の中に入れているのは何故でしょう?
音楽室に飾られている音楽家の髪型は基本カツラですし、当時の貴族や政治家は皆、正装として、そして礼儀としてカツラをつけていたそうです。ちなみに、ベートーヴェンは、そういうしきたりを嫌って、カツラをかぶらなかったそうです。理科の教科書に出てくる科学者の肖像画も、時々何でこんな手書きの絵を使うんだろうと思うことがありますが、それがやけに印象に残っていたりもします。
2021年4月27日のForbes誌に「From 'Instagram Face' To 'Snapchat Dysmorphia': How Beauty Filters Are Changing The Way We See Ourselves」、我々はこれから自分自身をどう見るのか、という記事があります。その中で「普通、私達は人と会う時、自分自身を見ることはありません。ところが、Zoom会議では、自分自身を見ることになりました。」と指摘し、コロナ禍という歴史に残る時代、そして文化の変化に、人は「新しい鏡」で自分を見るようになった、とその変化を表現しています。
中国の映像作家Xu Bing氏は、2017年「Dragonfly Eyes」という、ある意味、Godfrey Reggio監督による1982年の作品「Koyaanisqatsi」のような、我々はどのように見られているのか、という映像の黙示録、人類の未来に向けたレクイエム、を発表しています。この「Dragonfly Eyes」は、その後、ハーバード大学のレクチャーでも大きく取り上げられ、Xu Bing氏は中国語のまま(通訳付きで)講演を行い、科学技術と映像とアートと社会を考える先端的かつ先導的な議論に至りました。
そして、携帯やモバイルデバイスのタッチスクリーンを自分を映す「新しい鏡」と捉えて、科学と社会のあり方を議論している人達がいます。顔と見てくれを気軽に修正できる環境に注目し、それがどういう意味を持つのか、を滔々と議論しているのです。
確かに私達は、人と会う時、人に見られる時には、普通、自分自身を見ない状態でした。鏡も、正確にいえば、人から見られている自分を見ていることにはなりませんでした。それにもかかわらず「タッチスクリーンという魔法の鏡」を真剣に議論してどうする、という科学者達の違和感を横目に、議論は進みます。
そこには幾つかの流れがあって、その一つはXu Bing氏が指摘するように、中国の監視技術と画像認識は、これからのデジタル・メディアのあり方を問う、というものです。もう一つは「タッチスクリーン・メディア」ともいえる、世の中がメタバースという言葉で括られる流れの中で、自分の理想的な自己像を作り出す「魔法の鏡」を使う心理とその技術的、文化的、そして政治的なあり方を問うに至っています。
そこには、どうやら多くの思いが込められていて、違和感を持つ科学者達は、どうしたら良いものか、と徐々に戸惑いの中に追い込まれて行くのです。
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登録はこちらドイツ・アーヘン工科大学 シニア・フェロー。1980年東京工業大学・有機材料工学科卒業、83年修士修了、88年工学博士。81年から82年まで英国・マンチェスター大学・物理学科に留学。85年4月から理化学研究所の高分子化学研究室研究員。分子素子、エキゾチックナノ材料、局所時空間機能、創発機能、揺律機能などの研究チームを主管、さらに理研-HYU連携研究センター長(韓国ソウル)、連携研究部門長を歴任。2003年4月から東京工業大学教授。現在はアーヘン工科大学シニア・フェロー、東京工業大学特別研究員、熊本大学大学院先導機構客員教授、ロンドン芸術大学客員研究員を務める。