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黒電話と『1973年に生まれて』とらくらくホン

2023.08.08

Updated by yomoyomo on August 8, 2023, 15:34 pm JST

「どうも、納得がいきません」
「何がでしょう」
「一生というものが短かすぎます。私などはやっと今、プロローグの段階が終って、これから仕事でも遊びでも本格的にと思ったら、もう残された時間がすくなくて、何をするにも時間制限が気になります」
「わかりますがね、しかし、贅沢(ぜいたく)をいっていらっしゃる」
(色川武大「暴飲暴食」)

以下、敬称略。

前回帰省した際に、実家でこなすべきミッションが一つありました。誰も使用しなくなって久しい固定電話の解約です。以前、NTTに問い合わせたところ、黒電話を返却する必要があると言われ、実家にそれが残っていないか確かめる必要がありました。少し探してみましたが、黒電話は見つかりません。捨てたわけはないはずですが、両親はもはや他界しており、確かめる術はありません。再度NTTに問い合わせたところ、返却は必須ではなく、余分に費用がかかるだけと聞いて安堵しました。

しかし、黒電話の数で齟齬がありました。電話機は実家の1階と2階にあり(ただし、回線は1つ)、2階の受話器が長らく黒電話だった記憶があるのでそれだけと思い込んでいたのですが、形式上レンタルしている黒電話は2台と言われました。何かの間違いではないかと言いかけ、いや、先方の言い分が正しい、と思い直しました(当然ですが)。

ワタシがなぜかその時唐突に思い出したのが、高校時代に交際していた女性の家の電話番号、その下4桁が「3579」で、その番号にかけるとダイヤルが回る時間が徐々に長くなり、それとともに緊張も増していた記憶です。ということは、それをかけていた1階の電話機も確かに黒電話だったわけです。なのに、ワタシはそれをすっかり忘れていました。

高校時代に好きだったひとんちの電話番号は(何度も何度もかけたのもあり)今もそらで言えますが、一方で今では自分の番号以外の電話番号を、それこそ身内の番号すら言えなかったりします。携帯電話の電話帳機能により番号を覚えておく必要がなくなったからとも言えますが、加齢による記憶力の衰えも確実にあるでしょう。

速水健朗の新刊『1973年に生まれて』を読んでワタシがまず連想したのは、この黒電話の記憶とその忘却についてです。

本書の刊行を以前から楽しみにしていましたが、それは速水健朗の6年ぶりの単著だからだけではなく、何より彼とワタシの最大の共通項である「1973年生まれ」にフォーカスした書名が大きかったのは間違いありません(ワタシは昔、「1973年組の10人」という文章を書いていますが、そこで取り上げた人では、著者以外に小林啓倫、津田大介、藤川真一の名前が本書中に登場します)。

1973年生まれといえば、団塊ジュニア世代、就職氷河期世代、ロスジェネといった言葉でくくられます。ワタシ個人に関して言うと、両親とも団塊の世代の範疇より10歳以上年長だったりしますが、それはともかく人数が多いため、この世代による世代論は既にいくつも書かれています。その多くは、「就職氷河期」に起因する残酷物語か、世代あるある話に寄りかかったノスタルジーに陥りがちです。

著者は本書において、そのいずれでもなく、今年50歳を迎える1973年生まれの人たちが、物心ついてからメディアを通じて目撃してきたトピックを次々と語りつつ、メディアテクノロジーの変化を細かく辿ることで、他の世代にも共有できるある種の生活史を描き出しています。

そうなのです。電話に関して言えば、我々はそれこそ黒電話、コードレスホン、携帯電話、スマートフォンといった変化をすべて体験しています。音楽メディアに関しても、レコード、カセットテープ、CD、MD、ファイルダウンロード、そしてストリーミング配信サービスまですべてのフォーマットを体験してきたわけですが、本書を読むと、著者ならではのクセのある着眼点を通して、メディアの変遷とそれがもたらす生活や常識の変化を追体験できる仕掛けになっています。

そして、そうした変化を自分が見事に忘却していることにも気づかされます。

本書には、速水健朗の書き手としての冷ややかさがよく出ています。「90年代は馬鹿みたいに浮かれていた時代」とロスジェネ史観にはっきり背を向ける身も蓋もなさもそうですし、これを盛り込めば読者受けがよくなると分かっている逸話も容赦なく切り捨てられていて冗長なところはなく、その筆致には一種の酷薄ささえ感じます。

例えば、本書における(ファミコンに続く第2の勢力だった)ホビーパソコンの話題は、かつてPC-6001mkIISRのユーザだったワタシなど、『ザ・ブラックオニキス』の名前が出てくるに至って大いに盛り上がるわけですが、その作者にして、後に『テトリス』にも大きく関わることとなるヘンク・ブラウアー・ロジャースと著者が実は知り合いだという「おいしい」話を書かずに済ませる自制心に唸らされる一方で、本書に散見されるすっとぼけた書きぶりを見るにつけ、著者の底知れなさに恐ろしさを覚えます。

「お元気ですか。人生楽しみましょ。その気持ちでメッセージをど~ぞ」
というのは、女優の萬田久子の留守録メッセージ。30年変えていないメッセージだという。あの時代の精神がこの留守電のメッセージにすべて詰まっている。(p.103)

そして、トピックを年代順に次々と語る構成はただ淡々としているようで、著者は時に我々が当時見落としていた視点を鋭くすくいあげます。

 ライブドア、秋田小学校連続殺人事件。両事件は、ほぼ同時期に発覚し、同時に世間を賑わせていた。堀江が72年生まれ、畠山73年生まれと同じ世代によって起こされた事件である。団塊ジュニア世代にとって、同世代の事件だが、どちらにも“同世代”ゆえに共有する意識が薄かったのはなぜか。(p.211)

本書を最後まで読んで必然的に突きつけられるのは、子供のいない自分は次世代を残せなかったという厳然たる事実です。そして、ワタシはこれから本格的に老い、人生における秋から冬に足を踏み入れることになります。

ネットでは「30代になると無理がきかなくなる」式の言説をよく見かけますが、実はワタシはそれを鼻で笑っていました。少なくとも30代の間、顕著な肉体的な衰えを自覚することがなかったからです。しかし、40代になると違いました。明らかに馬力の衰えを感じましたし、いろんなことが億劫になり、精神的な衰弱を自覚した時期もありました。

そして、来月に50歳を迎えるワタシからすれば、「ロールモデル」という言葉は適切ではないでしょうが、伊藤ガビンの「はじめての老い」連載には大いに教えられるところがあります。

伊藤ガビンとの出会いは、上記の通りPC-6001mkIISRのユーザーだったワタシが読んでいたパソコンホビー雑誌『LOGiN』においてでした(1986年から1987年だったと記憶します)。自分とちょうど10歳違いの彼は、当時のワタシにとって一種のカルトヒーローでした。それから月日は流れに流れ、彼とワタシの年齢差は変わることなく(当たり前ですが)、いつの間にか彼はワタシにとっての「老いの先輩」になっていました。

毎回楽しく読んでいますが、「らくらくホンを買う日を想像する」における以下のくだりで、それまで笑って読んでいたのがみるみる真顔に変わったものです。

でもね、それもまた「老化」の階段を登る第一歩なのかもしれまへんで。
どう考えても「こっちの方が便利やし早いやろ!」という態度ね。ここらあたりに「ほんとにそう!」と「ついていけない、老化」の境目があるように思えてきました。

つまり「新しい技術」「新しい環境」に対して、対応できないんじゃなくて、「そんなんいらんし」と採用しない仕草。これがいつのまにやら「新しい技術に対応できないじいさん」を生み出すということかもしれませんよ。ここ、非常に面白いポイントだと思います。

「そんなんいらんし」と新しい技術をいくつか退けているうちに、あえて「やらない」つもりが、いつの間にか「できない」になっているという感覚が分かり過ぎる、まさに今のワタシ自身これではないかと感じ入りました。卑近な例を出すなら、新しいWindowsが出るたびに以前のWindowsの表示に寄せているうちに、気がつけばモダンなOSのパラダイムについていけなくなるような。

世代的に広義のコンピュータ技術をずっと使いこなしてきた自負があり、デジタルテクノロジーについてこれない年長者を疎ましく思っていたのが、はたと自分たちも老人になる頃には家電を使いこなせなくなっているのではと初めて不安を覚え、そこにいたって老害扱いしていた年長者たちも、若い時分には彼らの時代における「最新技術」を使いこなしていたはずなのに、「そんなんいらんし」を繰り返すうちにある時点で「できない」になっていたのではないか、と実感を持って想像できるわけです。

それでは最後に、「こんにちは老害です ──老害の側から考える老害──」という、お前、それは反則だろ、と食ってかかりたくなる出来過ぎたタイトルの文章から引用して、本文を終わりたいと思います。

しかもですよ。最近になって「人生100年時代」とかふざけたことを言うじゃないですか。このショックは、若いとわかんないかもしれないけど、50代とか60代で「人生100年」とか突然言われるともの凄くクルんですよ。
例えるなら、すぐそこに見えていた人生のゴールテープを持った係員2人が、猛ダッシュで遠ざかり始めたというベタなコントなんですよ。ちょっと待って! そんなことされたら死んじゃう! あ、逆か、あと何十年も生きちゃう! 生きちゃうことで逆に死にそう!

先は短いのか長いのか。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。