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ヴィルスなるもの、生物と無生物の間で――生と死の間で(8)

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ヴィルスなるもの、生物と無生物の間で――生と死の間で(8)

July 6, 2026

村上 陽一郎 yoichiro_murakami

1936年東京生まれ。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学先端科学技術研究センター長、東洋英和女学院大学学長などを経て、現在、東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授、豊田工業大学次世代文明センター長、一般財団法人日本アスペン研究所副理事長。2015年に瑞宝中綬章受章。膨大な数の著書・訳書・編著を誇るが、代表的なものに『科学者とは何か』『文明のなかの科学』『あらためて教養とは』『安全学』、シャルガフ『ヘラクレイトスの火』、ファイヤアーベント『知についての三つの対話』、フラー『知識人として生きる』『伊東俊太郎著作集』『大森荘蔵著作集』などがある。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家としても活動中。

抗生物質の発見

生と死の間にある、あるいは生きているものと生きていない、そのちょうど中間の位置にいる存在、それがヴィルスでしょう。私たちは、ここ数年間、新型コロナヴィルスの世界的流行で、ヴィルスなるものにいやというほど突き合わされた感がありました。ついでに、感染症の「世界的流行」を「パンデミック」と呼ぶことも、定着しました。この言葉に少し拘っておきます。この語の原型である<pandemic>という英語は、ギリシャ語に由来します。<…demic>は、デモクラシーでお馴染みの<demos>つまり「大衆」の派生語であり、<pan>は、かつてあった航空会社「パンアメリカン」の「パン」で、「広くすべての」あるいは「全方位的な」というような意味で使われる接頭語になります。従って「全世界的規模の」となるわけです。同類の単語には<epidemic>や<endemic>があります。<epi…>は、<~の上に>といった意味を持つ接頭語ですから「人々の間に」の意味で、単に「流行している」ということになりますし、<en…>は、「(一部の)人々の間で」を意味し、「地域の限局された」感染症を指します。いわば「地方病」というような感じです。

話を戻しましょう。二〇世紀の医療の世界で、最大の出来事と言ってよいのが、ペニシリンをはじめとする抗生物質の発見と活用です。イギリスの細菌学者フレミング(Alexander Fleming,一八八一~一九五五)によるペニシリンの発見物語は、汎く知られていますが、一応おさらいをしておきましょう。彼の実験室は、科学研究者としては、失格と言えるほど、整理が行き届いていず、雑然とした状態にあった、ということが、この話の前提です。そこで、彼は黄色ブドウ球菌という細菌を培養していました。ところが、培地の管理が悪く、一部にカビが増殖していました。一九二八年のことです。フレミングは、その培地の状態に起こった奇妙な変化に気づきました。カビが生えている場所だけ、培養しているはずの細菌がなくなって、透明に近い状態になっていました。これが「カビが細菌を殺す」ということの最初の発見になりました。ただし、この発見が、人々の命を救う抗生物質としてのペニシリンの活用という事態に発展するのは、十年以上の時間が必要だったようです。一九四〇年代になって、漸く感染症の特効薬としてのペニシリンが開発されることになりました。日本でも、陸軍の医療機関で、ペニシリンの開発が進められ、「碧素」と名付けられて、一九四五年、敗戦直前には一部で使用が始まっていました。もう一つ余計なことを付け加えますと、開発当時のペニシリンが、肺炎にかかったイギリスの首相チャーチルの命を救った、というエピソードが、必ず付け加えられるのですが(かつて私も、そういう記述をしたことがあります)、現在では、これは作り話であった、ということになっています。

さて、色々と脱線しました。しかし、考えてみると、例えばエタノールや昇汞などは、もともと強い殺菌力を備えていることは知られていましたし、実際に手指の消毒などには使われてきましたが、毒性の問題もあり、また特定の細菌に選択的に利く感染症の治療薬としては、利用される可能性はなかったと言えるでしょう。今では、耐性菌の発現などへの対応から、同じペニシリン系でも、数多くの異型が開発されてきましたし、抗結核剤としてのストレプトマイシンをはじめ、抗生物質は目白押しです。

さて、「抗生物質」(英=antibiotics)という言葉ですが、当たり前ですが、「生あるものに抗する」という意味を持ちます。そこで、科学が生命の定義をどう与えていたかを思い出しましょう。内と外とが分別された物質系であること、その境界を通して内と外との間に物質の交出し入れがあること(代謝)、そして、自分自身を複製する能力(自己複写、生殖)があること、最小限これらの条件が満足されていることが、「生命」の基本でした(「<a href=””>科学の外にある「生」と「死」</a>」の項参照)。そして、少し先回りして結論的なことを言えば、ヴィルスには、それ自体そして、これらの条件を十分に満足してはいません。つまり、ヴィルスはそれ自体としては、「生命体」とは言えないのです。

ヴィルスに「死」はない

私にとって印象的な出来事を覚えています。戦前からヴィルスは「濾過性病原体」という日本語で知られていました。病原の可能性のある細菌類を単離・特定する場合に、色々な透過能力をもった濾紙を使って、いわば大きさでとりあえず分別していく、という方法があります。ところが、確かに病原体が含まれているとされる媒体を、様々な透過力の濾紙を使っても、どうしても捕捉されないものがあることが分かってきた段階で、ヴィルスの存在が浮かび上がったのでした。ヴィルスの特徴の一つは、大きさが通常の細菌類よりも二けたほど小さいものだということでした。しかし、それが病原体であることは確かでした。

脱線しますが、何ものかが病原体であること確かめるために、あのコッホが開発した三つの原則があります。ある感染症に罹った人から特定の微生物が検出されること、その微生物を単離して、純粋培養ができること、その微生物を人に与えると当該の病気の症状が出、かつ必ず問題の微生物が検出できること。それがラテン語で「毒」を意味する<virus>と名付けられたのですが、この段階ではヴィルスは「微生物」と捉えられていました。というのも、人体(あるいは広く生物体)に入り込んで、どんどん増える(からこそ、症状は悪化する)のですから、生物の要件を立派に果たしているからです。

その程度の知識は持っていた学生時代の私は、生物学の講義のなかで、ドイツの植物学者マイヤー(Adolf Mayer, 一八四三~一九四二)が、一八八六年、タバコ・モザイク病というタバコの葉に主として症状が出る病原体として、一種のヴィルスを取り出し、それが結晶として把握できる物質であることを突き止めた、ということを学んだとき、微生物であることと、結晶として取り出せるということとの間の「矛盾」を、受け止めきれなかったのでした。今でもその時の衝撃は胸に残っています。その頃の私は、無機物と有機物との間には根本的に差があると素朴に信じていて、結晶という形態をとるからには、それは無機物ではないか、と考えたからでした。その後まもなく無機物と有機物の差は、炭素化合物であるかないかの違いに過ぎないことも学びましたが。

別段これは自慢できる話ではありません。単に、その頃の私がナイーヴだった、いや、この言い方さえ聊か自己潤色です。要するに私が無知だっただけの話なのですが、仮に自己弁護の可能性があるとすれば、昭和三十年代頃には、まだ生命現象を、単なる物質現象から、根本的に切り離して考えようとする、一種の思考の慣性が働く時代であったことも事実です。例えば、その生物学の講義ではドリーシュの実験を歴史的な事件として語った先生もおられました。

ドリーシュ(Hans Driesch, 一八六七~一九四一)の実験とは、ウニの発生を巡るそれのことです。ウニの受精卵が卵割をはじめます。最初は縦に半分に割れ(二細胞期)、次いで同じく縦にもう一度半分に割れ(四細胞期)、次は横に半分に割れ(八細胞期)というように、次第に発生の手順を踏んでいくのですが、ドリーシュは、二細胞期の卵を(伝説によれば金髪の毛髪を使って)切り離し、離された細胞をそれぞれ培養し発生させてみました。すると、それぞれがきちんと卵割を繰り返して、二個の完全な成体が生まれました。単なる物理化学的な物質現象ならば、現象の材料が「半分」ならば、結果は「半分」というべきか、何らかの形で欠損が生じるはずで、そうでないことは、生命現象が単なる物理化学的ではなく、生命現象特有の特別な原理がそこに働いていることを立証している、とドリーシュは結論しました。そして、その原理を<Entelechie>と名付けました。「最初の状態が違っていても、こうした生命現象では、同じ結果を生じさせる何か」が、物理化学的な原則に加えて働いている、という意味です。「エンテレヒー」は日本語では「等結果性」と訳されているようです。

この一九世紀終わりに行われたドリーシュの実験は、生命現象には、生命現象特有の原理が働く、という古来から信じられてきた考え(しばしば「生気論」<vitalism>と呼ばれます)を再確認したことになる、と主張されました。ドリーシュ的な考え方は、それゆえ「新生気論」と呼ばれます。

なお余計なことになりますが、現在牧畜業では、人工受精卵をそのまま雌の個体の子宮に戻すのでなく、ドリーシュの方法を使って複数の卵を造って、それらを多胎として、あるいは複数の雌の個体に、育てさせる方法を実行しているのだそうです。牧畜の世界では、交配料が高いので、その方法が経済的にプラスになるのだと言います。もう一つ、余計なことかもしれませんが、ドリーシュがウニで実験したのは、偶然の幸運に恵まれた結果だったと言われます。例えばホヤの受精卵では、この実験は不成功に終わったはずです。受精卵にはウニのような「調節卵」と、ホヤのそれのような「モザイク卵」とがあって、後者では、一細胞期から、卵割後それぞれの細胞がどの臓器へと発展するかが決まっているので、ウニの実験結果は得られなかったと言われています。

要するに若かった私は、このドリーシュの実験結果に魅せられていて、時代はそう変わらないタバコ・モザイク病ヴィルスが結晶として取り出されていたことに気づいていなかっただけ、というお粗末でした。

もう説明するまでもないのですが、ヴィルスは、それ自体としては、代謝も自己複製もしない(できない)ので、生物とは言えないのですが、怪しからぬことに、他の生物の中に入り込んで、その代謝機能などを拝借することができる仕組みを持っています。その意味では「寄生」性を本質としている物質系であります。そこでかつて、この分野の指導的立場におられた川喜田愛郎先生は、一般読者向けに『生物と無生物の間--ウィルスの話』(岩波新書)というタイトルの名著を世に問われました。学生時代の私は、座右において愛読しました。ここでまた脱線しますが、最後の「間」という字を平仮名に開いただけで、そっくり、自著に同じタイトルをつけた現代の人がいます。まさか、同じ領域の後輩の研究者として、川喜田先生の名著を知らなかったはずはないので、私はいまだに許せない感情を捨てきれません。著書のタイトルを決める際には、出版社編集部の意見が強く働く場合もありましょうが、そうした場合でも、最終責任は当然著者にあります。

閑話休題。抗生物質(antibiotics)の話に戻りますと、抗生物質は文字通り生き物の成育を阻害する働きを持つ物質です。だとすると、生物とは言えないヴィルスには、論理的にも、機能できないことになりませんか。実際、実質上も、既存の抗生物質のなかでヴィルス性疾患に著効を示すものはないと言えます。

この項では生物と無生物の間の話になりましたが、無生物には当然「死」はありません。ヴィルスも、生物の細胞に取り込まれない限りは、金属や鉱物と同じように、崩壊することはあっても、「死ぬ」ことはないと言えましょう。 自然は色々と面白いいたずらをするものですね。

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