天国の海で見た、プログラマーと経営者の境界線
Heavenly sea, Horizon of programmer and entrepreneur
2015.06.24
Updated by Ryo Shimizu on June 24, 2015, 07:36 am JST
Heavenly sea, Horizon of programmer and entrepreneur
2015.06.24
Updated by Ryo Shimizu on June 24, 2015, 07:36 am JST
創業経営者にとって、一番嬉しいことは何かと聞かれたら、会社が黒字を出すことでも、自分の給料が上がることでもなく、部下が結婚すること、と答えます。
部下の結婚には独特の重みがあります。
結婚に至るまでには、大勢の人を説得しなければなりません。
結婚相手はもちろん、相手のご両親、とりわけお父上、そして自分の両親、兄弟、などなど。
そうして結婚を認められるそのバックグラウンドには、当然、その人物が所属している会社の社会的信用力も幾度も問われることになります。
「あなたが今働いている会社は大丈夫なのか?」
そういう問いを、言葉にはされずとも、幾度も問いかけられます。そして当然、「大丈夫だ」と思ったからこそ――――それはその会社に所属しているから大丈夫なのではなく、「この人と一緒ならどんなことがあっても大丈夫だろう」という信頼を得られたからこそ――――結婚に至るわけで、そもそも大丈夫だと思っていない勤め先の上司を結婚式に呼んだりもしないわけで。
そうしたなかで、まあどうしても海外で挙式したいという部下が居て、普通ならさすがに海外は遠慮させていただくのですが、私にとっても新卒の頃からずっと一緒にやってきた女房役のような人物がついに挙式するというので、心からお祝いさせていただきたいと思い、とるものもとりあえずハワイまで駆けつけたわけです。
部下の挙式というのは独特の感動があります。
最初に部下が結婚したときは嬉しさのあまり新婦のご両親よりも泣いてしまいました。
自分がまさかそういうことに心を動かされるとは思わなかったので、意外でした。
そうして感動的な結婚式の翌日、私はレンタカーを飛ばして「天国に一番近い海」として知られる、ラニカイビーチへ向かいました。
ラニカイビーチは、車では直接行くことは出来ず、カイルアという近くのビーチに車を停めて、そこから徒歩で向かわなくてはなりません。
すると民家と民家の間に、唐突に看板が出てきます。
No lifeguards on duty
No public restrooms or facilities
No alcohol
などの注意書きが書かれた路地を抜けると、そこはビーチでした。
確かに人工物のようなものはほとんど見えません。
この海にただ入り、プカプカと浮かんでいるだけで、とても幸せな気分になります。
確かにここは天国に一番近い海なのかもしれません。
海に身を浮かべながら遠くに見える島を眺めていると、不思議な感覚に囚われました。
寄せては返す波頭を眺めていると、なんとも心穏やかな気分になります。
しかし同時に、それは私の中でひとつの違和感として捉えられました。
私はこれまで、決してこんなところで心穏やかになるような人間ではなかったのです。
この戸惑いはなんだろう、と私はなおもリラックスした頭で考えました。
私は海というと、もどかしさや焦りを感じることが多かったはずで、それはなぜなのか、探ろうとしたのです。
そしてふと、少年の頃に海に入った記憶をふと思い出しました。
小学校を卒業する頃でした。
おそらく、11歳か、12歳、といったところでしょう。
その頃の私は、3Dプログラミングに夢中でした。
暇さえあればコンピュータに齧りついていたので、頭のなかは常にそれで一杯になっていました。
海には両親に嫌々連れて来られたのです。
海ではしゃぐ母親と妹を尻目に、少年の頃の私はぼうっと水平線の向こう側を眺めながら、日本海の荒々しい波が作る波頭をぼんやり眺めていたものです。
そのとき私が何を考えていたかというと、「これは一体、いかなる方程式によって表現可能なのだろうか」ということでした。
いくつかの仮説を思いつくと私はすぐに岸へ上がってノートに数式をメモしました。
そして一刻も早くこのアルゴリズムを試したいと焦れたような、もどかしいような気持ちになっていたのです。
その頃の私は、何を見ても、プログラミングの題材にしか見えませんでした。
今思えば、斧しか持たない人は、何でも斧で斬ろうとするという寓話を彷彿とさせます。
純粋に自然と接し、自然との交流を楽しむという発想が私にはなかったのです。
私は美しいもの、雄大なものを見て感動すると、それをすぐさまプログラムとして表現しなければ気が済まないと思っていました。
ところが今の私は、こうして流れ行く波頭を眺めながら、「ナビエ・ストークス方程式による波のシミュレーションはいい線行ってるけど、やっぱり少し違うかもしれないな」とぼんやり考えているのでした。
今の私はかつての私のように、プログラミングそのものによって何者かになることを目指しているわけではありません。あの頃の私はただ夢中でした。でも今の私は、それは私の仕事でないことを知っています。
波のシミュレーションにナビエ・ストークス方程式が有効であることを知ったのは、秋葉原でした。今はなきレーザーファイブというお店で売っていた、東京大学のCD-ROM教材を買ったのがきっかけです。
全てのサンプルプログラムがJavaで書かれていて、読みやすく理解しやすくなっていることに感動しました。
その教材の開発者に会いに行くと、彼は東大で教授をしているCGの研究者でした。
私はそれまで、自分がコンピュータ・グラフィックスのプログラミングについてはひとかどの知識と経験を持っていると自負していたのですが、自分より年齢も経験も遥かに上のこの人物には生涯をかけても追いつける気がしない、と思いました。彼の名前は西田友是と言いました。そして気が付くと、それは私が生まれた年にアメリカで発行されたコンピュータ・グラフィックスの教科書「Computer Graphics; Principle and Practice」に載っていた名前でした。
それで、私はコンピュータ・グラフィックスを仕事にすることをやめたのです。
だから私はラニカイの海に身を浮かべながら、「これはナビエ・ストークス方程式だ」とぼんやり考えるだけで、それをプログラマブル・シェーダーのコードに落としたり、もっと改良するためにフレネル反射を加えたりといったことに腐心しなくて済むのです。たぶん今やそれらの手法も既に時代遅れでしょう。でも構いません。それはもはや私の仕事ではないからです。
それから十何年かして、その西田氏を自社の研究機関、UEIリサーチの所長として迎えることが出来たのは私にとってとても幸運でした。
今年の学会では、UEIリサーチの研究員によるもっと複雑な流体のシミュレーション手法についての論文が採択されました。
もはやこの論文に書かれている数式は私の理解の範囲を超えます。
これは単なる老いではありません。
なぜなら、私の父親よりも年上の西田友是はきちんとついていってるからです。
ただ、私のプログラマーとしての能力が足りていないだけです。
だから私は私自身がプログラマーを職業として選択しなかったのは正解だったと思っています。
先般挙式したT君が、最初に我が社に面接に来た時、面接を担当した女性は私をこう呼び止めました。
「ロックができる子が面接に来てるんです」
私は何を言ってるんだと思いました。ミュージシャン崩れかなにかか。それがコンピュータ・システムの会社とどう関係するのか。ロックができるってどういうことなのか。ロックミュージシャン?ロックンロールに詳しい?どういうことなんだ、ロックできるってのは。
重要な商談が控えていたので、急に時間はとれないと断ると、彼女は食い下がってきました。
「一分だけ、30秒でもいいから、彼と会ってみてください」
そこまで言うので私はしぶしぶ作業の手を止めて、面接のために設けられた会議スペースまで出かけて行きました。
そこにいたのは、いかにも着慣れないスーツを着た、ひょろひょろの若者でした。
「君、ロックができるんだって?しかしロックって何だ?」
すると彼はこう答えました。
「ロックは・・・生き様です」
その答えに、なにかピンとくるものがあってその場で採用し、そのまま取引先に連れて行き、そのまま担当者にしました。それから八年が経って、彼は名実ともに私の右腕となり、最年少で部長に昇進しました。
私はプログラマーです。
しかしそれを職業にしてるわけではありません。
でもプログラマーとは何かと聞かれたら、もしかしたら、彼と同じように答えるかもしれません。
生き様であると。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。