original image: © tverdohlib - Fotolia.com
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自動運転の議論における、「避けて通れないが、まだよく理解されていない抽象概念」に関して、私は、現時点では「移動の価値」に着目するのが良いと考えている。移動という現象はこの世に溢れており、誰しもが日常的に体験し、個人差はあれど何かしら課題や欲求を抱えているからだ。
そういった仮説のもとで作成したのが[図1]である。大学生10人ほどに協力してもらい、様々な移動現象を洗い出した上で、「移動の主体(何が移動するのか)」と「移動価値の所在(何のために移動するのか)」の二軸に着目し、洗い出された移動現象をラフにまとめた。例えばスイスの登山鉄道なら左上、 宅配便は右下に入る。 興味深いものとしては、ロボットレストランの広告カーや回転寿司は左下の象限に入る。
▼図1
こうして見えてくるのは、自動運転によって変わる移動のあり方について考える時、私たちはつい日常的に利用する公共交通機関ないし自家用車での移動に関する議論に主眼を置きがちであるということだ。そのような議論のもとでは「主にヒトが今自分がいない場所のアクティビティにアクセスする手段」として移動を捉え、「安全・安心で、快適に効率よく着く」ということが重要視されがちであるが、本来、移動現象の価値はそれだけではない。動くのはヒトだけではないし、移動時間が長くなることで価値が増大するものもある。また今動いていないだけで、プレハブや自動販売機のように、移動体としての設計ができるものは見渡せばたくさん見つかる。普段目につかないところに、多様な移動価値が潜在しているのだ。この多様な移動の潜在価値を、自動化に伴い普及する先進技術を用いて表出させることで、日々の暮らしをもっと面白く、豊かにしたり、価値や意味を見出しやすくすることはできないだろうか。
自動車をはじめとする移動体がインターネットを介して繫がることで、私たちはこれら多様な移動の価値を包括的に捉え、移動価値をこれまでより自由かつ容易にデザインできるようになるかもしれない。そのデザインには単なるUX(顧客体験)設計に止まるものではなく、移動全体の環境としての都市を設計する話にまで及ぶ可能性がある。センサーやカメラのデータを用いたインフラ管理などの議論が行われているとはいえ、自動運転が持つ本当のポテンシャルは、まだ誰にも解き放たれていない。
自動運転の真価を見定めるだけでなく、それを実現するためには、移動の多様な価値を実現する手段が必要である。議論において話題提供者が多様であれば多様な意見を集約できるのと同様に、移動をデザインする担い手が多様になることで、提供される移動サービスも多様になりうる。
例えば、多様なニーズに効果的に対処してきた事例に、スマートフォンがある。OSとストア、そしてレーティングの仕組みを整えることで、多様かつ多量のサービスが流通し、差別化され優れたものが普及・進化してきた。移動サービスのプラットフォームである都市にも、同様のシステムが必要ではないだろうか。
ただ、都市はスマートフォンとは異なり、広大かつ複雑で、様々な利害関係が絡み合って成立するものである。 何を共通の基盤とし、何をオープンにすべきかを特定することが難しい上、現行制度では、例外や想定外に対して放置あるいは強制措置以外の選択肢を取れず、運用に大きな混乱が生じるだろう。これを回避するためには、特区のような「規制の砂場」を小さい単位でフォーマット化し、個人や中小企業が活用しやすいようにすることが有効かもしれない。例えば、ニューヨーク市がテック企業やエリアマネジメント組織と連携して開催したコンペThe Driverless Future Challengeの優勝チームが行った提案“Public Square”で描かれている「車線幅の正方形を単位 とした公共空間デザインのツール」がその例として挙げられる。
自動運転によって到来する未来には、まだブルーオーシャンが広がっている。今のところは、Uber や Lyft に次ぐ流れで発生した MaaS がひしめきあっているような状況だが、それらは移動 の「供給」を最適化するものにすぎない。今後、自動化されたモビリティが普及すれば、多様な移動主体、移動目的、移動過程、移動環境に対応した様々なアプリケーションが提供され始めるだろう。移動サービスや都市の話に限らなくとも、自動運転に対応して変化してゆくであろう医療サービスや飲食サービスなど、挙げていけばキリがないほど様々な分野に機会領域がある。
こうなると議論や対話の場は一つ政府の近くにあるだけでは足りない。もっと専門知・経験知を含めて、防災・復興や人口減少、エネルギーや情報などを包括する安全保障など、関連するであろう個別の論点をそれぞれ集中的に議論する機会が必要である。各個人、各コミュニティが自らの理念や目標を設定し、複雑な社会変化の中で互いに協調しながらやっていく必要もある。また口頭での議論だけでなく、プロトタイプや実験を通じた実践的検討も必要だ。
そのために、既存の立場にとらわれない「学生」のように、問題意識を持ち、知と体験を求めて、主体的に議論に参加する個人が果たす役割を評価するということも必要だ。有意義な議論の場を増やし、繫げるのは、そうした自由さや遊び心を持って課題解決に臨める人間である。ひいては、そうした人間を長期的・国際的視点を持って育成することこそが、製造業や都市開発といった規模が大きく、変化に時間的・金銭的コストがかかる領域に対して与えるインパクトの増大に繫がるだろう。
科学技術を用いた社会イノベーションは、多様な高度人材の協働から生まれる。それは単に科学技術系の人材の多様性というのではなく、非科学を含めた多様な知の結集である。実際、 Googleの親会社アルファベット(Alphabet)の研究所サイドウォークラボ(Sidewalk Labs)はトロントプロジェクトで「都市計画家と科学技術者の連携による都市イノベーション」を掲げ、 シンガポールの経済開発庁は、実環境での実験を通じた研究開発を“Living Lab Model”と称し、 MIT発AIベンチャーであるヌートノミー(nuTonomy)とスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)のFuture Cities Labを巻き込んで次世代都市のビジョンを描いている。日本の私たちも、こうした優れた先駆者がいる中で、新しく独創的な課題解決に繫がる知の結合を見つけなければならない。自動運転は今、社会導入のフェーズに入りつつあるが、真に有用で価値のあるものを社会に実現するために、協働可能な人材を活用・育成し、協調に向けた議論を開始するための場を設定してゆくことが今後求められるだろう。
嶂南達貴(やまなみ・たつき)
scheme verge株式会社代表取締役CEO。慶應義塾大学 SFC 研究所員。
(『モビリティと人の未来』第8章「新時代のモビリティを電力事業から考える」P129-134より抜粋)
自動運転が私たちの生活に与える影響は、自動車そのものの登場をはるかに超える規模になる。いったい何が起こるのか、各界の専門家が領域を超えて予測する。
著者:「モビリティと人の未来」編集部(編集)
出版社:平凡社
刊行日:2019年2月12日
頁数:237頁
定価:本体価格2800円+税
ISBN-10:4582532268
ISBN-13:978-4582532265
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登録はこちら自動運転によって変わるのは自動車業界だけではない。物流や公共交通、タクシーなどの運輸業はもちろん、観光業やライフスタイルが変わり、地方創生や都市計画にも影響する。高齢者が自由に移動できるようになり、福祉や医療も変わるだろう。ウェブサイト『自動運転の論点』は、変化する業界で新しいビジネスモデルを模索する、エグゼクティブや行政官のための専門誌として機能してきた。同編集部は2019年2月に『モビリティと人の未来──自動運転は人を幸せにするか』を刊行。そのうちの一部を本特集で紹介する。