この夏、東京国立近代美術館で「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」が7月2日(火)から10月6日(日)まで開催されている。戦後の日本のアニメーション分野を切り拓き、国境を超える映像作品の名作を数多くてがけてきた高畑氏は、2018年4月に他界されたが、新聞や雑誌などでは今でも追悼特集が続いている。今回は、高畑氏の映像表現についてアートシーンやアニメーションの批評とは少し違う角度から述べてみたい。
「クララのばかっ!」。
このシーンをTVのオンエアで初めて観た当時、普段はあんなに優しいハイジのこの強い言葉に驚いた子供たちも多かったはずだ。TVのアニメーション番組「アルプスの少女ハイジ」の有名なワンシーンである。お嬢様言葉からはほど遠い、小学生の女の子が普段言ってはいけない言葉遣いではある。
目に涙をいっぱい浮かべながら、ハイジはクララに気持ちを伝えた。医者にはもう車椅子はいらないと言われていたにもかかわらず、クララは一向に歩こうとはしていなかった。だが、納得のいかぬハイジが場を去ろうとした時、信じられないことが起きた。
クララはハイジをなんとか呼び止めようと、立ちあがることができたのだ。不安げにもしっかりと大地を踏みしめ、ハイジのほうを見ていた。それを見たハイジとクララはともに歓喜し、うれし涙をながした。物語は、美しいアルプス山脈の雄大な自然を背景に、大団円のラストシーンを迎える。
アニメーション「ハイジ」は1974年に制作された。もともとはスイスの作家ヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri)著の児童文学「ハイジ(原題はHeidis Lehr – und Wanderjahre)」が原作となっている。ズイヨー映像が制作をしたが、制作チームの一員だった宮崎駿氏は場面設定と画面構成の担当、高畑勲氏は演出の担当だった。よく知られているように、宮崎氏と高畑氏は、その後にジブリを創業するのだが、ジブリ作品以外でも、子供の頃に私たちが観たアニメーションの中には、高畑氏が携わっていた作品が数多く存在する。
ハイジはもちろんのこと、ジブリ作品の全般についてもいえることだが、高畑氏がアニメーションの登場人物に託す言葉遣いには大きな特徴がある。それは「力強いのに優しい」ということだ。なんど観ても、なんど聞いても、飽きないし嫌にならない。むしろ、くりかえして観てしまう、聞いてしまう。そして、記憶に残る。
冒頭で紹介したハイジのラストシーンのように、たとえ強い口調であっても、そこには底知れぬ優しさがあるのだ。そして、その優しい言葉に深い含蓄がある。コミュニケーション論や作文教育を専門とする筆者からみても、このような作品で描かれる登場人物の言葉遣いとその演出には、独特の魅力を感じ取ることができる。
ジブリ映画については、宮崎監督作品と高畑監督作品を言葉遣いや作風で比較してみると面白いだろう。
日本近現代文学およびアニメーション文化論を専門領域とする米村みゆき編の「ジブリの森へ」(森話社)によれば、人類愛や環境問題のような壮大なテーマ性、もしくは冒険物語のようなファンタジーの力を肯定するのが宮崎監督作品で、ファンタジーよりも日常の延長上にある物語を探究したのが高畑勲作品だという。こうした比較表現論は、学術的なメディア研究としても価値があり、大学のレポートや卒業論文でジブリのアニメーション作品を取り上げようとする学生の数は増えているという。
これは、ものを何かにたとえて表現するときのことにもあてはまる。宮崎監督は直球型の直喩。断定的なメッセージを明確に伝える豪速球だ。それに対して高畑氏は、ほのめかすのが上手な隠喩。「ホーホケキョ となりの山田くん」をはじめとして、なにげない日常会話や小道具にあえてメッセージをしのばせるので、ここに物語性が発生する。
高畑作品には、日常をめぐるささやかな喜びや楽しさ、もしくは、日々の暮らしのありふれたディテールを、まるで宝物のように輝かせてくれる力があるのだ。生きているというごくシンプルなことのかけがえなさに、はっと気づかされるのである。
一方で、高畑氏の晩年の貴重な時間が費やされた価値ある遺作である「かぐや姫の物語」は、日常と非日常が混在した、これまでの日本のアニメーションとはまったく違う、不思議な作品だ。誰もが知る物語なのに、なぜか観ていて新しい。この作品で試みられていたことを、いまだに筆者は十分に咀嚼できていないのかもしれないので、このあたりは東京国立近代美術館での展覧会に出向いてみよう。きっと新しい発見があるはずだ。
高畑氏の作品では、この世の中で弱い立場の人間、特に小さな女の子が主人公になるような内容が多い。それでいて、昨今よく見聞きするジェンダー論とは一線を画すもので、エキセントリックにはならない。むしろ、おだやかな眼差しによる映像表現がなされており、人間の自然な姿として、無邪気な女の子の様子が描かれている。
最も心に残る高畑作品として「火垂るの墓」を挙げる人も少なくないだろう。小さな兄と妹の体験がリアルに、かつ、柔らかな色使いによって描かれており、戦時中の子供たちのかなしみに対して理解を深められるような作品だ。
1935年生まれの高畑氏も、幼い時に戦争を体験した世代であった。当時の実体験にもとづくものであったからこそ、制作時に込められた思いは相当なものであったことだろう。
「火垂るの墓」は多言語に翻訳されて海外でも上映されるにつれて、日本では想像のつかない複雑な反響もあったという。このあたりのことは、高畑氏ご自身の加筆による講演記録の「君が戦争を欲しないならば」(高畑勲 岩波ブックレット)に詳しい。戦争の苦しみを素朴に描くには、国際的な時代背景への配慮が必要であり、難しさが伴う。映画などの文化は、さまざまな国のさまざまな考えや暮らしを知る窓であり、だからこそ国際交流の一翼を担っている。現在、国際社会が緊迫する瞬間をここ数年で何度も味わっているが、このような時代にあるからこそ、映画等を通じた文化交流の底力を信じたい。
高畑氏は東京大学で仏文を専攻していたことにより、ビジュアル表現のみならずフランス文学にも造詣が深かった。フランス詩人ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)の翻訳や解説書も出版し、人間はもちろんのこと、地球上のすべての生き物に対する尊厳を守るような思想・視点への関心も示していた。言葉遣い、日常の物語性、実体験にもとづく映像制作----巨匠・高畑氏のメッセージは、心豊かに、心穏やかになれる映像として、これからもずっと残り続けていくことだろう。描かれている日常のありがたみとは、彼の平和への想いにつながっているのである。
文:舘野佐保(青山学院大学アカデミックライティングセンター)
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