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沈鬱な黒い毒と小さな希望

2024.12.13

Updated by yomoyomo on December 13, 2024, 21:49 pm JST

11月2日にニューヨーク・タイムズ紙は、わずか1パラグラフ、110ワードからなる社説を掲載しました。「あなたはドナルド・トランプを知っている。彼は指導者として不適格だ」という直截な文章で始まるその意図は極めて明快で、ドナルド・トランプはアメリカ合衆国の大統領として適任ではないのだから、彼の時代を終わらせるべく投票しよう、と訴えるものです。

この社説の特徴は、ベテランブロガーのジェイソン・コトキーが指摘するようにその平易な言葉遣いと情報密度の高さにあります。この簡潔な社説は、過去数カ月に公開されているニューヨーク・タイムズ紙の27本もの論説記事をリンクしており、それを辿ってその27本の記事をじっくり読み、社説の主張の正しさを確かめることができます。コトキーはこの情報密度の高さを、「しばしば見落とされ、軽視されているハイパーテキストの真の強み」だと賞賛しました。

マークアップ言語Markdownの原作者としても知られるベテランブロガーのジョン・グルーバーも、簡潔にして徹底的なこの社説を美しい歌に喩えていますが、ニューヨーク・タイムズが他の多くの老舗出版社と同様に、一般的に記事中でリンクをしたがらない「ケチ」なところを指摘した上で、「彼らが歌えるとは知らなかった」と皮肉っています。

日本の新聞社のウェブ版と比べれば、ニューヨーク・タイムズは遥かにウェブに順応しているとワタシなど思うわけですが、それはともかく、コトキーやグルーバーの「これぞハイパーテキストだ」と称えたくなる気持ちは、彼らと同い年のワタシにはとてもよく分かります。

しかし、今になってこの社説のことを蒸し返すのは、性格の暗いワタシくらいのものでしょう。今回の大統領選挙で威力を発揮したのは、何よりポッドキャスト(とそれに付随するYouTube)であり、あとはミームマシンとしてのTikTok、そしてイーロン・マスクの拡声器と化したXであり、ワタシのような年寄りが感じ入る情報密度の高いハイパーテキストなど、屁の突っ張りにもならなかったようです。

大統領選挙の勝敗が予想に反してあっさり決すると、既存のマスメディアの「敗北」が取りざたされましたが、実は選挙前からある意味での鉄槌が下されていたように思います。

今回の大統領選挙に際して、老舗新聞のワシントン・ポスト紙が、(なりふり構わずトランプの返り咲き阻止の論陣を張ったニューヨーク・タイムズとは対照的に)長らく行ってきた大統領候補の推薦表明を取りやめたことが批判を呼びました。そのせいでワシントン・ポストの電子版購読者の解約者が、その約一割に相当する25万件に上ったことが伝えられましたが、推薦表明の見送りを指示した社主のジェフ・ベゾスは、この批判に対して、「厳しい現実:アメリカ人はニュースメディアを信用していない」という剛速球の反論で応えました。最初の段落を引用します。

毎年行われる信頼と評判に関する世論調査において、ジャーナリストとメディアは常に最下位に近い位置にあり、大抵は議会よりは少しマシといったところだ。しかし、今年のギャラップ社の世論調査では、私たちは議会をも下回ってしまった。私たちの職業は、いまや最も信頼されていないのだ。私たちのやっていることは明らかにうまくいっていない。

おい、ジャーナリストども、お前らの信頼度は今や地の底に落ちてるし、偏ってると思われてんだよ。お前らな、影響力の低下を他人のせいにしたがるが、現実を見ろよ。ペンシルバニアの投票先を決めてない有権者が、お前らの新聞の推薦に従うことはない。皆無なんだよ――とまぁ、気の弱いワタシが新聞記者だったら、読んで涙目になること必至な文章です。

続けてベゾスは、Blue OriginやAmazonの創業者としての立場とワシントン・ポスト紙の社主としての立場の利害相反について弁明していますが、Salesforceの最高経営責任者にしてTIME誌の社主であるマーク・ベニオフが、自身の手がけるAIソフトウエアの宣伝にTIME誌を利用して批判された件もそうですが、テック・オリガルヒのやりたい放題さが浮かび上がります。

ワシントン・ポストと同じく大統領候補の推薦表明を取りやめたロサンゼルス・タイムズ紙で、「記事の偏り」を判定するAI搭載の「バイアス・メーター」が導入されるというニュースは、我が世の春状態のテック・オリガルヒとは対照的に、現場のジャーナリストが今後どのように締め上げられるかを示唆しているように思います。

ジャーナリストにとって厳しい時代ですが、日本でも、今年は選挙報道を巡って「オールドメディア」の失墜が言われました。ただ、日米では事情がちょっと異なる、というかレベルが違うのに注意が必要です。本邦の「オールドメディア」の選挙報道の問題については、西田亮介氏の文章から引用するに留めます。

政治に関心を持ったときにネットや動画を見るのはもはや当たり前である。そしてなぜか日本のテレビ局と新聞社はネット媒体や動画においてさえ、テレビの画面と新聞紙面を作るときに准じた表現を用いること、つまり抑制的で、ネットなどと比べれば前述のはっきりしない表現が未だに主流である。

伝統的なマスメディアをよく見ていた人たちにとっては特に驚きも感じないが、新聞紙面を読まなくなり、テレビをあまり見なくなった現在の一般的な有権者や市民がそれを不満に感じたり、疑問に思ったりするのは至極当然のことだと筆者には思える。

かくしてテレビや新聞は選挙運動期間中に「役に立たない」媒体だと見なされるようになってしまったのではないか。

最近、日本での兵庫県知事選の結果や韓国の尹錫悦大統領による戒厳令発令の背景に、誤情報の疑いがあるYouTube動画の影響が取り沙汰されるのを見るにつけ、ソーシャルメディアの現実の政治への影響力を痛感します。そして、民主主義が劣勢となり、より権威主義に迎合する世界的な潮流に(それはテック業界自体そうとも言えます)、このソーシャルメディアの影響力が貢献しているように見えるのがどうにも良いことに思えないというのがワタシ個人の正直な意見です。

最近読んだ小説の以下のくだりを思い出しました。

わたし自身、ウェブを覆う野蛮には思うところがある。スマートフォンを使い、常時ウェブを使うわたしにとって、SNSはいわばライフラインだ。
けれど、その水道には、沈鬱な黒い毒が流れている。
(宮内悠介「ローパス・フィルター」)

米大統領選挙後には、Xからの脱出(X-odus)、そしてその受け皿となったBlueskyの急成長が話題になっています。

ワタシ自身、Blueskyのアカウント自体は(これを読んでいる少なからぬ人と同じく)2023年の春に取得しましたが、TwitterがSNSの主戦場だった時代があまりにも長かったため、イーロン・マスクの元でXが度重なる改悪を重ねても、それこそ「BlueskyやThreadsに受け継がれたネット原住民の叡智」といった文章を書いた後でさえ、そこから本格的に離脱するイメージが持てませんでした。

個人的にはブロック機能の変更はあまり堪えませんでしたが、「Xは対戦型ソーシャルメディア」というマスクの宣言の元、場の空気がいよいよ刺々しく、有害に感じられるようになったところに、リンクを含む投稿の優先度を下げる「リンクはメインではなくリプライに入れろ」というマスクの表明に、(自分の文章の告知を含む)リンクの共有こそがSNSの利用意義であるワタシも心が折れたところがありました。

ご存じのように、Xからの脱出先はBlueskyだけではないわけですが、その一つであるThreadsも(Facebook同様)リンクを含む投稿の優先度を下げるアルゴリズムを採用していると聞けば、Blueskyに肩入れしたくなります。

Blueskyの利用者急増の理由に、スターターパック機能による新規ユーザーの参入支援やカスタマイズ可能なユーザー体験を挙げることもできますが、突き詰めれば、例えばスコット・ステインが書くように、もっと素朴な心性に訴えるところがあるからでしょう。

Blueskyを再開してから初期の一番楽しかった10月のことを思い出そう。あの頃楽しく思っていたのは、少数のユーザーを見つけて承認し、隔たりがあってもうなずき合い、励まされる感覚だった。筆者は、少数のシンプルなつながりが好きだ。バズりたいとは思わないし、数字やフォロワー数にとらわれたくはない。自分が素になれて、人が自分を見つけてくれて、自分も人を見つけられる、そういう場所がいくつか欲しいだけなのだ。

これをもう少し分析的に書くなら、ブライアン・マーチャントが書くように、Blueskyの成功はビッグテックのオペレーティングシステムを否定しているからこそ、となるでしょうか。

しかし、その相対的な成功以上に、私にとって強調する価値があるのは、データ抽出、アルゴリズムに最適化されたアドテク、AIコンテンツの大量配信に全面的に取り組んでいるテック・エコシステムの渦中にあって、Blueskyが成功していることだ。だからこそ、多くのジャーナリストや技術者や投稿者がこのプラットフォームを大声で応援しているのだ。

そして、Blueskyがユーザーが求めるものに耳を傾け、それに応じてサービスとユーザー体験をカスタイマイズしている、つまりは現実の利用者を大切にするという、搾取的なビッグテックがとっくの昔に別れを告げたポリシーが、新鮮な風のように思えるのでしょう。

しかし、その新鮮さはいつまで続くのでしょうか?

Blueskyのジェイ・グレイバーCEO自身、「今後も広告がずっと表示されないというわけではない」と認めていますが、ユーザーの急増が続くなら、本格的な収益化も急がれます。本人確認の仕組みやモデレーション体制の整備も当然求められます。その過程で、かつてのビッグテックと同じ道、つまりはオーストラリアの国定辞書であるマッコーリー辞書が2024年の代表語に選出した「enshittification(メタクソ化)」の暗路を辿ってしまうのではという危惧は当然出てきます。

この言葉の生みの親であるコリイ・ドクトロウは、「Blueskyとメタクソ化」でズバリこの懸念について論じており、離脱の自由を保証するフェデレーションシステムを実現していないことを批判しています。このあたりについては、ギャヴィン・アンドレーグが、Blueskyの基盤をなすAT ProtocolのPersonal Data Servers(PDS)、Relays、App Viewsという3つの構成要素について解説しながら、現時点でBlueskyは非中央集権(Decentralized)でも連合型(Federated)でもなく、その実現には数年はかかると見ているのも参考になります。

Blueskyのジェイ・グレイバーCEOも「enshittification」の懸念は承知しており有料サブスクリプションプランの成否が短中期でのポイントになるでしょうが、「Blueskyは次のTwitterになるのか」と問うよりも「Blueskyはそれ以外の何になれるか」と問うべきというブライアン・マーチャントの意見にワタシは同意します。

現時点で、Blueskyを好む人の多くが(ワタシを含め)、「かつてのTwitter」にあった美点を多かれ少なかれ求めているのは認めざるを得ません。しかし、Twitterの幸福な時代への回帰は、Blueskyの勝利条件にはならないでしょう。どこまでBlueskyが、今のビッグテックにないものを維持できるか、その上で新しい価値を利用者に提供できるかにかかっているのではないでしょうか。

ジェイ・グレイバーCEOは難しい舵取りを迫られると思いますが、ここで連想するのは、今年ノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンソンの『自由の命運』で論じられる、個人の自由の命運を握る「狭い回廊」の議論だったりします。Blueskyが進む「狭い回廊」のなんと厳しいことか。しかし、そこに何かしらの希望があることを願います。

Could we ever fill such a sad despair
With just one small hope?
(Virginia Astley, "Some Small Hope")

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

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