May 25, 2026
村上 陽一郎 yoichiro_murakami
1936年東京生まれ。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学先端科学技術研究センター長、東洋英和女学院大学学長などを経て、現在、東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授、豊田工業大学次世代文明センター長、一般財団法人日本アスペン研究所副理事長。2015年に瑞宝中綬章受章。膨大な数の著書・訳書・編著を誇るが、代表的なものに『科学者とは何か』『文明のなかの科学』『あらためて教養とは』『安全学』、シャルガフ『ヘラクレイトスの火』、ファイヤアーベント『知についての三つの対話』、フラー『知識人として生きる』『伊東俊太郎著作集』『大森荘蔵著作集』などがある。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家としても活動中。
人並より少し長く生きてきた人間(令和八年の日本人男性の平均寿命は八十一歳強となっている、ちなみに女性は八十七歳強で、この数字は世界一とされています)が、その生涯のなかで死と遭遇した事例を、いくつか語ってきました。無論、亡くなった方の葬儀に参列した経験は、記憶の中にあるものだけでも、数え切ることができないほどの数に上っています。
やはり、圧倒的な比率で多いのは、仏式で行われた葬儀でした。「葬式仏教」などという、半ば揶揄を含んだ言い方が、耳に馴染んでいるのも、もっともという気もいたします。僧侶の読経と、参列者の捧げる線香の煙に送られて、死者が生者と幽冥界を異にする供養の儀式は、私達になじみ深いというだけではなく、それなりに美しい意味があるように思われます。仏式の場合、通常は葬儀の前夜に通夜が行われます。形式的には、親類縁者が遺骸を前に集まり、夜通し灯明と線香を絶やさずに、翌日の葬儀で彼の世に旅立つ人の遺骸を守り通す、という意味を持つものですが、今では、正式の葬儀に参列できない人のために、予行あるいは代行のような意味が与えられているようでもあります。
仏教に帰依していない人でも、一つの社会習慣として完全に定着している、こうした仏式の供養は、重要な意味があって、それだけに、現在では日本社会にとって、不可欠な文化遺産ともなっています。本居宣長流に言えば、人間の力を超えるすべての自然現象に「神」を認める、という日本人の心の基底にある感覚からすれば、どうして神式の葬儀形態が、社会習慣にならなかったのか、疑問もありますが、一方からすれば、神仏混交という現実を見ることも重要かもしれません。
京都の高尾には神護寺という、空海も所縁の名刹があります。名前からして「神」が筆頭に置かれた「寺」であるのも、何故だろう、という疑問を抱かせます。結局、遡れば、「神話」の伝統の上に立つ歴代天皇が、仏教とかかわりが深かった、という歴史が原因と言えましょう。神護寺も、女帝である称徳帝の信任篤かった僧道鏡が、宇佐八幡の神意に基づくと称して帝位を望んだ際に、公家に仕える高級官僚とでも言うべき立場にいた和気清麻呂(七三三~七九九)に遮られ、一度は清麻呂を島流しにするという事件がありましたが、その和気氏の私寺であった、というのが初めのようです。つまり天皇家を中心に、その周辺では常に、仏教と神道とが混在する形の社会秩序が生まれていた、というべきでしょう。
今でも、神社の墓所は、併設されている寺院の管轄になっていたりしています。また、公設の墓地などでも、定められた年忌がくれば、お坊様を呼んで、墓の前で仏式の供養を行うことも普通のことでしょう。彼の世界に旅立った魂を呼び戻し、また無事に彼の世界にお送りする、という盆会も、当たり前のような決まり事になっています。
神道の世界でも、『古事記』の中の、伊邪那美の死の件は、入念に描かれています。かつて伊邪那岐に愛された女神の身体は、その「ほと(陰部)には析雷(さくいかづち)居り」などと、見るも恐ろし気な変わりようで、伊邪那美は恥じてか「見るな」とくぎを刺しますが、見るなと言われれば見たくなるのが人情(?)、見てしまった伊邪那岐から伊邪那美は只管逃れようとし、伊邪那岐は執拗に追いかけます。そこで有名な、子供を数多増やす、と、子供を数多殺す、という宣言合戦も行われるのですが、ここでは神の世界とは言え、現世と黄泉の国との間は、自由に往来が出来るかのような筆致で書かれています。
この感覚は、日本人の胸底深く常在するようで、例えば、日本中どこへ行っても、何らかの事情でその地で亡くなった人の霊を慰めるための、出会いの場が見られます。まずは細やかな地藏を彫る、例えば岩壁に、あるいは、石の彫刻像として、とにかく何らかの形で、亡くなった人の霊を象徴し、見える形の像として刻むことから初めます。
場合によっては、祖霊の怒りが生者に及ばないようになだめ、祟りが及ばないような供養を目指すことにもなります。荒ぶる祖霊を鎮める、つまり「鎮魂」という言葉がそこに生きています。事程左様に、死者と生者との間は、常に繋がっている、という思いは、動かし難いのです。
仏教的文脈の中での、盂蘭盆会と通称される儀礼は、死者の霊を招き、かつ送る、というような意味合いを込めた、一種の祭祀的伝統となっています。盂蘭盆会という言葉、あるいはその概念の発祥に関しては、必ずしも定説が確立されているわけではないようですが、いずれにしても、出発点は仏教で、釈迦の十大弟子の一人、通常「目連」と言われる尊者が、餓鬼道に落ちた亡母の霊を慰めるために行った施餓鬼なる法会が、中国に渡った際に、道教の習慣とも重なって生まれた儀礼である、というのが一応の通説のようです。いずれにしても、それが日本では、彼の世と此の世とを繋いで、死者と生者とのが親しく交われる機会として、独特な形で定着してきたと言えましょう。
他方キリスト教では、これほど明確な生者と死者の交わりを確かめる機会はないといってよいでしょう。なるほど、カトリックや聖公会の典礼に従えば、十一月一日は「諸聖人の日」(Sollemnitas Omnium Sanctorum=ラテン語)として定められた祝日であり、聖者とされる人々、また殉教者となった人々のための鎮魂の日とされています。また翌日は、通常「死者の日」と呼ばれ、「信仰を持って此の世を去ったすべての人々のために祈りを捧げる日」となっています。当日は墓地で死者のためのミサが捧げられる習慣があります。
しかし、この日といえども、生者と死者とが親しく交わる機会という感覚は、仏教的な場合に比べてはるかに希薄です。むしろ、キリスト教圏では、生者が死者の霊と交流する、という状況が実現するのは、正規の宗教からは離れた、異教的、呪術的な文脈が多く、「交霊術」(spiritualism)、あるいは「降霊術」(necromancy)として、正規の宗教からは否定される傾向にあるといえましょう。<necro>は「黒い」、<mancy>はギリシャ語の<mantis=
ローマ字化してある>に由来し、「予見者」を意味します。従って全体としては「黒魔術」に近い言葉だと考えてよいのでは、と思います。いずれにしても、生者が、死者の霊をこの世に呼び出し、それと交信するというような事態は、尋常な状況下には、あり得ないし、宗教の教義としても、認めることはない、というのが、少なくともキリスト教圏の社会の常識である、と言わざるを得ないでしょう。
もっとも、キリスト教にあっては、非常に特殊な死があります。それはイエスと名付けられた「人」の死です。周知のように十字架上の刑死を前にして、ユダヤ教の三大祝祭日の一つ「過越しの祭」を使徒たちと祝おうとします。その時、イエスは、パンをとって、分かちあいながら、今後はこれを私(の身体)だと思いなさい、と言い、葡萄酒は同様に、私の血と思って欲しい、と述べたと伝えられます。ルカによる記述を参照してみましょう。例によって、現代語訳ではありませんが、お許しを願います。
時至りてイエス席に著きたまひ、使徒たちも共に著く。――中略―― またパンを取り謝して割き、弟子たちに与へて言ひ給ふ『これは汝らの為に与ふる我が體なり、我が記念として之を行へ。』夕餐ののち酒杯をも然して言ひ給ふ、『この酒杯は、汝らの為に流す我が血によりて立つる新しき契約なり、――後略』(ルカによる福音書第十二章十七節以下、漢字など多少読みやすくしてある)
この聖書の個所は、キリスト教信仰の最も重要な箇所の一つと言えましょう。例えば、私たちは「新約聖書」という表現を何気なく使いますが、ユダヤ教における「神と人間との関係」を、「旧約」(旧い契約)とし、イエスの手で「新しい契約」(新約)が結ばれた、とするキリスト教の根本理念が上の引用文の最後に明確に表れています。もう一つ、カトリックでは「ミサ」と呼ばれ、他の宗派では多く「聖餐式」と呼ばれて、毎日曜日に行われるばかりではなく、色々な機会毎に行われるキリスト教の定型礼拝は、基本的にこの聖書の言葉を源としています。なお「ミサ」という言葉は、ミサの典礼の最後に、司祭によって唱えられる、<Ite, Missa est>という言葉に由来すると言われます。「行きなさい、ミサは終わりました」と通常は解されている文言です。ここでのラテン語<missa>は、動詞<mitto>(「送る」あるいは「投げる」などの意味を持ちます)に由来する言葉で、例えば英語の<mission>などの原型となっていますが、「派遣」というような内容を意味します。次に述べるように、ミサの間に「パン」はキリストの身体に変化し、会衆に送られることになるので、「派遣」されたのは、「聖体」である、という解釈が成り立つ、と言われます。つまり先の文章の後半は「聖体は皆に届けられた」というような意味合いではないか、というわけです。
上に述べましたが、カトリックのミサでは、その式(ミサ)の間に司祭によって捧げられるパン(通常は、甘味のない煎餅かウェファースのようなものが使われます)は、聖別によってイエスの言葉通り、イエスの身体となり、同じ扱いをされた葡萄酒は、イエスの血となり(「聖変化」という言葉で呼ばれる事態です)、信者はそれを分かち会う(聖体拝領する)ことによって、死者イエスを直接わが身に受け入れる、という神秘を体験することになります。念のためですが、「聖体」を拝領した(口に受けた)信徒は、そのまま跪いて、噛まずに、口中で自然に溶けるのを待ちます。
これは、ほとんど他に全く例のない、死者と生者との最も直接的な触れ合い(それも一対多、しかも実質無限の多との触れ合い)ということになりましょう。なぜ、そのような神秘を信じるのか、あるいは、意味あるものと受け入れるのか、と問われれば、答え方は色々あり得るでしょうが、イエスの「死」の意義が、信徒にとっては、特別無二のことであることの証と考えられている点は、共通理解の根底にあると思われます。
上に描いた生者と死者の交歓は、極めて特殊な前提の上に成り立っているものですが、死者が生者の夢枕に立って、話しかけたりする、という話はよく聞きます。主観的に、そういう体験があり得るということは、別に否定しなくてもよいように思いますが、如何でしょうか。