エリートと教養 2 大正教養主義と藤村操 2019.04.03 前回はエリートの原点とでも言うべき論点を考えてみました。今回は、教養ということになりますが、これは一筋縄ではいかない。そもそも「教養」という熟語は、漢語としては已に『後漢書』に現れると言いますが、文字通り「教え育てる」ことの意でありました。
エリートと教養 1 <Noblesse oblige>高貴なる者の義務 2019.03.07 エリートも教養も、日本社会では揶揄や蔑視のニュアンス抜きで語ることのできない概念と言えます。一人称の文章、つまり「私は、」に導かれる肯定的文章の用言に、「エリート」が入ったり、「教養人」が入ったりすれば、これは、噴飯ものだろうし、二・三人称で同じ形容を試みたとしても、何がなし、棘が含まれているようで、使うのに躊躇いがあり、言った後では、慌てて、貶める意味ではないことの弁解を付け加えたりする習慣ができてしまっているように感じます。
スーパー書評「漱石で、できている」1夏目漱石『虞美人草』 大人の世界を知る一歩 2019.02.25 最初の試みとして、何を取り上げようか、かなり迷ったのですが、結局漱石の、しかも表題作に落ち着きました。繰り返し、色々な機会に触れてきましたように、私という人間の相当部分は、漱石によって出来上がっていると言えます。