DXを語るときに「利便性の向上」がフィーチャーされることは多い。顧客にとっての利便性、商売をする側の利便性、コスト削減など、利便性にもいくつかの側面があるが、消費者相手のビジネスのフロントエンドにおいて、利便性より重視すべきは快適性ではないか、と感じることが多い。
2022.09.29
日本語の特性について、折々感じていることを不機嫌でなく述べてみたいと思います。とは言っても、別段、言語学者でもなく、他の外国語を数多く熟知しているわけでもなく、文芸の専門家でもない私が、これから書いていくことの大半、あるいはすべては、すでに誰かが指摘していることの二番煎じになるでしょうけれど。
2021.05.19
自らの不敏を曝け出すので、恥ずかしいが、かつて私は、現代世間で流行っている(と思った)話し方、「何々がぁ、どうとかしてぇ」の太字の部分をことさら強調する話し方が、まことに聞き苦しいと書いた。ここには、実は重大な誤認があった。この現象は、もともと「現代」のものではなかったのである。
2021.04.27
日本語の場合、いわゆる「食」に関する語彙数が「世界一多い」ということもあるので、食品や食事に関連する言語や言葉とその用法に関する課題を中立・公正・科学的に取り上げようとする「食品言語学」なる学問があっても良さそうな気がするのである。
2021.04.09
前回、最後は七・五の詩とそれに重なる歌の話になりました。私の過去の中で、もう一つの七・五の世界は、旧制高校の寮歌です。無論、私は新制度の人間ですが、父親は、四、五歳の私に、一高の寮歌を歌わせようとしました。中でも最も有名なのは『嗚呼玉杯に花うけて』です。後に佐藤紅緑が同名の小説を書いたほど、広く知られた歌になりました。
2020.11.26
賢治の作品を読んで誰もが気付く一つの特徴は、独特のオノマトペがふんだんに盛り込まれていることです。「北守将軍」では、ソンバーユ将軍が人馬もろともに、三人の医者の許を訪れるときの、「ぎっ ばっ ふう」、「月夜のでんしんばしら」では「ドッテテ ドッテテ ドッテテ ド」、「風の又三郎」では「どっどど どどうど どどうど どどう」などなど、枚挙にいとまがありません。
2020.11.09
外国人が日本語を学ぼうとしてぶつかる困難の一つは、書字体系が、漢字・ひらがな・かたかなの三種類からなっていることだといいます。無論外国語でも、複数の書字体系があるのは、別段珍しいことではありません。例を英語にとれば、大文字と小文字があり、さらに活字体と筆記体の区別もあります。
2020.10.06
「あかとんぼ」や「でんしゃ」では、かつては冒頭のシラブルにアクセントが置かれていたのが、今は、どこにもアクセントが置かれない、平たい発音がむしろ普通になった、という論点でした。
2020.08.03