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やがて訪れるデータ・エコノミー社会の将来像〜ビッグデータだけでは見えない情報社会の真実〜[第5回]鈴木雄介氏「ビジネスにはデータに表現できない強さがある」(3)

2013.03.25

Updated by on March 25, 2013, 18:00 pm JST

多くの業界でIT活用が進められている一方で、「本当にITを活用できているのか?」または「ここでITを活用すべきなのか?」という疑問に直面するケースも出てきました。そのひとつが百貨店です。大手百貨店やヘルスケア業界をはじめとした様々な業界の情報システム構築にITアーキテクトの立場から係わる鈴木雄介氏(グロースエクスパートナーズ株式会社)に、日本のビジネスにおけるデータ取り扱いの実状をうかがいました。(3/3)

(2)ヘルスケアから広がるエビデンスベースという思考 から続く

日本にデータを利用する文化は根付くのか

──エビデンスベースという考え方は、日本ではあまり普及していませんが、日本にも情報を高度に利用する文化がないわけではありません。情報を利用して効率を高めることに対してインセンティブが働きにくい面があるのでしょうか。

201303251600.jpg鈴木氏:日本の都市の集積や都市間の距離の短さなどの特徴が、アメリカほど物理的な距離を問題にしないということが、問題の背景に潜んでいるかもしれません。

日本は世界に突出して物流網が発達しています。都市構造と国土のなかでの都市の分布の仕方が作用していると思いますが、東京に限らず物流効率が非常に優れています。例えば、amazonで注文すると東京近郊なら当日、それ以外の都市部なら翌日に商品を受け取れます。これだけ広域で物流が発達して、amazonがビジネスしやすい国は他にありません。

日米ではamazonの強さが問題になっていますが、実はamazonがサービスイン出来ている国はまだ少ない。アメリカですら、日本ほどの配送スピードや正確性は、広域では実現できていません。ニューヨークなどの一部の都市のみでしょう。

この日本の効率性、とりわけ過密都市・東京の特殊性は、僕らはもっと認識しないといけないのかもしれません。情報流通とかいう以前に、直接会うことで密にコミュニケーションができる。こういう関係は東京だから出来る話で、アメリカやヨーロッパではまずこんなに気軽には会えません。

──シリコンバレーの特殊性も、企業やエンジニアがあれだけ高密度に集まっているのが大きな要因と言われています。すぐに会える、すぐに物を送れる、という関係が前提になって、国内でも東京の中だけで情報流通が加速している部分があります。

ここまの集積都市は、世界的に見ても他にないでしょう。中国にもない。日本のガラパゴス化が批判的に論じられますが、その本質とは、東京への過度の集積なのかもしれません。

(※ガラパゴス化:特殊な環境へ最適化することで、(世界)標準とは異質なサービスや製品が供給されている状況。)

鈴木氏:アメリカのベンチャーキャピタリストと話していて、海外の企業は在宅勤務の普及が進んでいて、ワークシェアといった考え方も含めて、仕事の仕方がどんどん変わっている、という話を聞きました。

東京にいる自分としては、在宅勤務の方が効率的なのかというのは疑問です。東京はそんなことしなくても良いですから。例えば、来月にITに関するイベントを開催するとして、一声かけたら知名度のある講演者がそれなりに集めることができてしまう。地理的条件によるフットワークの差は大きいです。

──日米の差というところを考えると、アメリカの企業では、ミドルクラス以上にMBAホルダーが一般的にいることが、他企業間でも割と通じるビジネスカルチャーを成立させる要因の一部を担っています。彼らによって、ビジネス上の物事を一度、強制的に数字にして、そのうえで議論する習慣が浸透しています。

鈴木氏:よく言われるのは、アメリカは移民が中心で多文化な国だから、数字という共通かつロジカルに話せるものが重要で、日本は「空気」があるから(数字は)要らない、という話です。でも、日本にもそろばんや家計簿のような数字に関する文化があるので、決して数字が苦手だというわけでないはずです。

ただ、数字は明確であるがゆえに非常に強い存在です。本来は道具であるべきなのに、数字を合わせることが目的になってしまいがちです。制度を変えても不正会計のような事件が無くならないのもこうしたところが原因でしょう。

数字で何かを表現すること自体はなんら問題ないのですが、出てきた数字には色が付いていないだけに定量的な判断をされてしまいがちです。それを恐れて数字をいじるのは本末転倒ですが止められない。グローバルで会計基準が整備されたことでの功罪として議論をしてもよいかもしれないです。

数字を理解する、というのも一種の才能かもしれません。そもそも人間は、自分自身の身体感覚に落とし込むための、メタファーやアナロジーのようなものを使わないと、モノゴトを理解できないところがあります。

──BIも、仮説検証という人間が受け取ることができるフレームワークがあってこそ数字を回す意味があります。

鈴木氏:だから、BIは正解を確認する答え合わせのためではなく、分析と実際の誤差を見て人間が考えるためのチャンスを作るものだと思っています。本来、直接的な最適化の手段ではないのです。

さらに言うとBIで分析して、ある数値が答えとして出てきても、じゃあ本当にその数字の通りにすべきなのかというと、現場の判断は違っていても良いのです。それよりも、どのパラメータを変化させたら、もっと分析の精度が上がるのか、もっとわかりやすい変化が見えるのかというように、数字と「遊ぶ」感覚が大事だと思います。

──そのために必要なスキルは、実は四則演算くらいなのかもしれません。複雑な数学的理解というよりむしろ、時間によって価値が動くことへの理解が重要です。つまり、数字と現実社会とのつながりが感覚としてつかめているかどうかということです。

鈴木氏:その点では、日本人は刹那的なところがあると思います。企業の中にも数十年単位でデータが蓄積されていることがあり、それらのデータを解析したら、いろいろ活用が出来そうですが、実際にはそういったことをしている会社は非常に少ないように思います。データは本当にスナップショットでしかなくて、せいぜい前期や前年比較ぐらいしか興味がないようです。おそらくそれで十分なのでしょう。

十年分、数十年分のデータを分析して、ビジネスの成長や変化を理解しようとしないのはなぜでしょうか。それこそ本当にビッグデータでやるべきことだと思います。周りと比較したり、長い時間軸で見たりといった、データとの付き合い方みたいなところは、日本のビジネスはまだまだ改善の余地があるのかもしれません。

特に長期的な時間軸の中でデータと付き合っていくという考え方は文化として広げないといけません。

──いわゆるネットビジネス的な世界は、既にそうなりかけています。BS(貸借対照表)やストックベースの視点の、長い時間軸でものを見られないということの弊害が、ネットという新市場で顕在化したのが、この10年間でした。

鈴木氏:企業の価値を短期的な数字を中心に判断をすると、継続的な成果よりは短期で得られる成果に集中しがちです。そういった成果が社会にとって良いことか、数字が増えたから成長したと言えるのか、というのは疑問です。

──日本ではデータを貯めて分析をするという文化は根付かないのでしょうか?あるいは、そもそも日本にデータ中心の文化が根付くべきなのでしょうか?

鈴木氏:データを収集して、カタログ化し、一覧すると言うことに関しては、日本はかなりきちんとしています。ある意味で収集癖みたいな部分はすごいです。しかし、データを貯めた時点で良しと思ってしまう。

たまにビッグデータについてお客さんに相談を持ち込まれます。お客さんは「データが貯まっているんです」と言うのですが、貯め方が良くなくて、そのままでは使えないというケースがほとんどです。

「こういうことを検証したいから、どういう風に貯めれば良いか」という相談ならば良いのですが、目的と手段が逆になっていると、なかなか手も足も出ません。

日本とくくっていますが、データの扱い方については世代間でのギャップもかなりあります。エビデンスベースやデータ重視という文化に対する生理的な嫌悪感を持つ層というのは一定人数はいるでしょう。

社会が健全な状態を維持するためには多様性を担保することが重要です。データによる判断だけを中心にした管理型社会は健全とは言えないでしょう。両面を考えることが重要です。データのような外部化された価値表現を上手く活用して、どうやって多様性を維持し、豊かにしていくかを考えていく。これが多様性を日本の強みにするための必要条件だと思います。

多様化したものをあるがままに任せるだけでなく、またすべてを画一的に管理するのでもなく、課題解決に取り組む意義があるように思います。そのためにも、来るべきデータ中心の「文化」について、さまざまな局面で個別に議論し、各々が検討を重ねることが必要でしょう。

〔終〕

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