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やがて訪れるデータ・エコノミー社会の将来像〜ビッグデータだけでは見えない情報社会の真実〜[第7回]美濃導彦氏「価値のあるデータは、人の行動を変化させる」(1)

2013.04.11

Updated by on April 11, 2013, 18:00 pm JST

私たちは、情報やデータという言葉の意味を所与のものとして使いがちですが、この連載でもたびたび指摘されてきたように、その定義は実のところ曖昧なものです。しかし一方で、私たちはデータや情報をある形に定義し定量的に扱うことで、情報科学や計算機工学を高度に発達させてきました。曖昧なものが高度進化したことで、自分たちでも何がどうなっているか分からない何らかのギャップや問題が起きうる素地が生じています。

情報分野における学問的成果の一部は、IT産業の隆盛という形で私たち自身や社会に強く影響を与えています。しかし、情報やデータについて、私たち自身の理解が曖昧な状態は解消されていません。普段各種のデバイスやサービスを便利に使いこなしている一方で、そのことによって社会や人間に生じる変化についてうっすらと危惧を覚えているとの声も少なからず耳にします。

情報やデータとは何なのか。そして、私たち人間や社会にどのような影響をもたらしているのでしょうか。その問いを京都大学学術情報メディアセンターにおいて教べんを取りつつ研究をリードされている美濃導彦教授にぶつけました。美濃教授はデジタル技術によるコミュニケーション支援分野において「情報が人に与える影響」にフォーカスして研究を続けられてきた第一人者です。

データ中心社会を産業構造の変遷と重ねる

──あまりに根源的な問いですが、そもそも「データとは何か?」というところから考えていきたいです。例えば、デジタルデータの0と1の羅列が、情報になる境目はどこにあるのでしょうか。

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美濃:情報やデータを定義するというのは本当に難しいですね。そこにある数字がデータか情報かというのは、基本的には受け手が決める話です。

言葉の正確性はさておき「データ流通社会」の定義は、モノを動かしてお金が回る社会から、情報やデータ、コンテンツなどの実体のないものを動かして、お金が回る社会に移行していくこと、と想定します。

もちろん農業社会から工業社会になっても、農産物は必要で供給され続けているように、社会に必要な部分は、効率化されても残ると考えます。つまり、工業社会からデータ流通社会へと移っても、基本的に今後も物流は存在しうるわけですが、経済の実態として、モノを回す経済とデータを回す経済のどちらが大きくなるかという話だと思うのです。

「データを回す経済」を考えるヒントとして、学術的情報の流通について考えてみましょう。学術的な情報は、著作権法で保護される音楽や映画などのコンテンツとは異なり、情報をお金に変えることよりも、流通することのほうが重要です。研究内容、論文内容を広く知ってもらうことを大事にします。よって、考え方としては、著作権法よりクリエイティブ・コモンズのほうがマッチしています。(※クリエイティブ・コモンズ:コンテンツを二次利用しやすく、かつわかりやすいライセンス体系にすることで、創作活動を活性化させることを目的にしたライセンスモデル。または、それを背景にコンテンツのオープン化を推進する活動)

情報やデータというのは、共有して、みんなで利用して、みんなが価値をつくっていくことに馴染みます。アカデミック情報などはまさにそうで、今までやったことをみんなに知ってもらって、その上にもっと積み上げていこうとするものです。

それこそ世界レベルでデータを共有することが優先で、そこに貨幣経済的な価値が入ってきていいのかは議論を要するのではないでしょうか。

学術情報のように、データが流通すること自体を価値と考えると、「データ流通社会」が実現した場合、どれだけの部分でお金が動くのか疑問です。おそらく、農業から工業、サービス財へ産業が移行した際、貨幣経済の規模が拡大していった様相とは異なると推測します。

一方で、お金をかけて作ったデータにも、いろいろ種類があります。今までは物を作る職人がいましたが、これからは情報をつくる職人が登場してきます。そういう人たちが生活できないのでは困ります。この部分に関して言えば、流通することでお金を回すことが当然必要だと思います。

つまり、データについて一律に考えれば良いという話ではありません。データの内容や性質を考えながら仕分けていかないと、データのシェアも、ビジネスもうまくいかないのではないでしょうか。

──今の話は、コンテンツ製作のインセンティブとしてお金が必要だという、知的財産権や無体財産法を根底から再解釈を試みているものだと思います。

美濃:例えば、研究にはお金がかかります。ところが、論文はやはり無料で世に出して、みんなに知ってもらいたいのです。論文に著作権はあるのですが、みんなに知ってもらって初めて意味がある部分もあります。学術にかぎらず、音楽などでも一部には無料である程度聞いてもらって、知ってから買ってもらおうという話もあります。その情報を誰も知らないということは、情報が存在しないことと同じです。

経済学で考えると、データにビジネス的価値があり流通の対象になるという分かりやすい部分がありながら、それが全部のモデルに適用するとは考えにくい。経済学では説明できない学術情報のようなモデルも同時にあり得るのではないでしょうか。データが流通して経済が動いていくことについては、基本的には賛同します。しかし、工業社会化による大量生産大量消費社会の到来というような過去の変遷とは、やはり様子が異なるのではないかというのが、私の実感です。

(2)革命はすでに起きているかもしれない に続く

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