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男だけの世界──Oculus Riftは性差別的か?

2014.04.30

Updated by yomoyomo on April 30, 2014, 16:00 pm JST

201404301600-1.jpgSNS 研究、特に10代の若者のソーシャルネットワーク利用に関する研究の第一人者であるダナ・ボイド(danah boyd)の新刊『It's Complicated: The Social Lives of Networked Teens』のことは半年以上前から注目していたのですが、刊行に際して公式サイトに書籍をまるごと PDF ファイルで、クリエイティブ・コモンズの「表示―非営利―継承」ライセンスで公開したのには驚き(つつも、これ幸いとダウンロードし)ました。

ティーンエイジャーのネット利用にまつわる神話の実態を解説し、彼らを取り巻くリスクを過大視する大人たちを諌める穏当さをもった本であり、ゴールデンウィークには感想を原稿にしようかとのんびり読んでいたのですが、平和博氏が『It's Complicated』の概要を紹介する「「デジタルネイティブ」は幻想だとダナ・ボイドはいう」というエントリを公開しており、ワタシがこの本について書いても重複するところが多くなるのが容易に想像できるので、二番煎じはやめることにしました(既に邦訳の話も決まっているようですし)。

しかし折角なので、今回は先ごろオープンした DMM.make の連載で取り上げようかとも思ったが、少し場違いというかあまり歓迎されない可能性があるので躊躇していたダナ・ボイドの文章 「Is the Oculus Rift sexist?」 をこちらで取り上げたいと思います。

201404301600-2.jpgOculus Rift はバーチャルリアリティ(仮想現実)体験用のヘッドマウントディスプレイで、バーチャルリアリティに興味がない人でも、先月 Facebook が Oculus Rift の製造元の Oculus VR を20億ドルで買収したニュースはご存知でしょう。

ワタシ自身は、Doom や Quake などの FPS ゲームの生みの親である天才プログラマのジョン・カーマックが、Oculus Rift の開発に参画するために自ら創業した id Software を離れるというニュースで、初めて Oculus Rift の名前を意識したくらい遅く、ジョン・カーマックが惚れ込むのだから技術的には確かなのだろうが、バーチャルリアリティねぇ......と正直ピンときていませんでした。

そこに大手ネット企業の次なる大きな変化に乗り遅れまいという巨額買収の波がやってきて泡を食ったわけですが、ワタシが知らなかっただけで、創業者が新型の出荷を日本優先にすると明言するほど、既に日本の一部ユーザから Oculus Rift は注目を集めていました。実際、この製品の仮想現実への没入感は相当なもので、それはジェットコースター体験中の人の背中を押したら阿鼻叫喚となった動画を見ても想像できます。

買収先の Facebook が気に入らない向き、また Kickstarter における出資者たちの失望は聞かれるものの、Oculus Rift の周りでは盛り上がった空気が大勢の中、Is the Oculus Rift sexist?(Oculus Rift は性差別的か?)と問いかける挑発的な文章は賛否両論を呼び、著者のダナ・ボイドは元の文章全文とそれに対する批判への反論をまとめたブログエントリを公開しています。

ダナ・ボイドの仮想現実体験は、1997年の CAVE(Cave automatic virtual environment) まで遡ります。しかし、彼女は CAVE を体験したものの、吐き気で一分も耐えられなかったといいます。そして、女性の同僚に同様に感じた人が散見されたそうです。

そして近年携わった性転換者(男性から女性、女性から男性の両方)を対象とした学際プロジェクト、並びにその後に行った視覚心理実験の結果を踏まえ、「運動視差(motion parallax)」と「陰影による奥行き知覚(shape-from-shading)」の二つのポイントに行き着きます。

運動視差は物体の見た目の大きさの処理に関するもので、目の前にソーダの缶を置き、それがどんどん大きく見えたら、缶が自分に向かって近づいていると脳は判断するわけです。

陰影による奥行き知覚はもうちょっと微妙なもので、目の前にある物体の一点を見つめ、頭をあちこち移動すると、その点の陰影は周りの照明の具合に従って微妙に変化します。脳はこの陰影の小さな変化を計算することで、物体との距離を判断しているのです。

現実世界では、この二つが組み合わさって奥行きを感じるわけですが、バーチャルリアリティのシステムでは、二つが同等に扱われないとボイドは言います。具体的には、陰影による奥行き知覚のほうは、人間の目が絶えず行うまばたきの知覚への影響をまだうまく処理できないとのことです。

そして、運動視差と陰影による奥行き知覚が混乱するような実験を行ったところ、男性は前者を優先しがちなのに対し、女性は後者を優先しようとします。つまり、男性のほうが現在の三次元仮想現実システムに適合していると言えます。逆に言えばこれこそが、ボイドや同僚の女性がバーチャルリアリティ体験で気分が悪くなった原因だったのです。

Oculus の Facebbok による買収にはボイドも興奮したと書きます。しかし、このバーチャルリアリティ酔いの問題がある以上、バーチャルリアリティへの没入体験に性別による根本的な違いが出てくるとすれば問題だし、言い換えるなら、Oculus のようなシステムは(不注意にしろ)その設計において性差別的ではないか? とボイドは問題提起しています。

ボイドの文章に対する一番多かった批判は、Oculus のような「モノ」が sexist(性差別的、性差別主義者)なわけないだろが! というタイトルへの反発でした。ボイドもこのタイトルが一種の挑発であることは認めていますが、単なる「釣り」ではなく、この問題の真相に迫るため、更なる調査が行われるよう、人々にこの問題を真剣に受け止めてほしかったと反論しています。

性差別とは性別を基にした(主に女性に対する)偏見や差別ですが、人にしろシステムにしろ組織にしろ、その自覚なく性差別を行ってしまう可能性があります。性差別への対処には、その背景にある暗黙的な隠れたバイアスと、そのシステムの産物である差別を認識するところから始める必要があります。

Oculus Rift を作った人が女性を差別しようとしたわけではないことは分かっているが、自分が文章で強調した問題に対する知覚の優先順位の問題に注意を払ってなかったからこそ、バーチャルリアリティ酔いの問題が生じたのだろうとボイドは説きます。

だから文章のタイトルは、「Oculus Rift は意図せず性別を基に差別を行っているか?」とすべきだったのだろうが、しかし、それは「Oculus Rift は性差別的か?」より政治的に正しい言い換えに過ぎないし、このタイトルに文句をつけた人の多くは、他の状況ならそうした「政治的な正しさ」をひどく嫌ってるんじゃないか? 文章タイトルに対する反発は、この文章が自分たちが認識してなかった問題を気づかせたからではないか? というわけです。

──とまぁ、ここまでボイドの主張を辿るとある程度納得はいくわけですが、(確実に)フェミニストではないワタシからすれば、やはり元文章のタイトルには感情的な反発を覚えましたし、正直それで文章を読む意欲がかなり削がれたと言わざるをえません。それでも読んだのは、論者としてのボイドに対する信頼が既にあったからです。

そうした意味で、彼女の挑発的な姿勢は必ずしも効果的とは思わないのですが、普段まっとうな論者である彼女がそこまで挑発的にならざるを得なかった苛立ちもあるのだろうなとぼんやり想像したりします。そう思うのは少し前に、エンジニアにとって理想的な職場と喧伝もされた GitHub において、初めての女性エンジニアが退社後に社内でのハラスメントを明らかにした一件のニュースを読んでいたのもあるかもしれません。

この問題は第三者による調査を経て、ハラスメント疑惑の共同創業者の辞任に発展しましたが、それでも後味の悪さは確実に残りました。Google や Facebook のような大企業ならともかく、創業からまもないテック系スタートアップの人員が男性に偏るのは珍しいことではありません。

「多様性は善」という言葉に反論する人はそういないでしょう。しかし、現実には性別というもはや多様性と呼べない分類においても偏りを克服できていないところがあります。ならばボイドが批判するような、意図せぬバイアスをプロダクトに内在させている可能性は常にあります。ただ、ボイドとは逆の批判を承知であえて書くなら、ほぼ男たちからだけからなる米国西海岸のスタートアップから(Oculus VR もその一つです)、数多くのイノベーションが生まれているという現実はどういうことなのだろうと考えたりもします。

ただ Oculus Rift コミュニティの名誉のために書いておけば、このバーチャルリアリティ酔いの問題はちゃんと認識されており、たとえば冒頭で紹介した DMM.make にも「酔わないVR作品を作るための一つの実験」が提案されているくらいです。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

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