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仄暗いウェブの底から

On the dark bottom of the Web

2016.04.25

Updated by yomoyomo on April 25, 2016, 15:34 pm JST

少し前に英ガーディアン紙がウェブ版の記事に寄せられた大量のコメントを解析した結果が話題になりました。詳しくは「「ネット言論のダークサイド」を計算機で解析する」を読んでいただくとして、その要旨を簡単に書いてしまえば、女性によって書かれた記事は、男性によって書かれた記事よりもクソリプがつきやすい、という仮説を裏付けるものだった、になるでしょうか。

Wired に「ウェブサイトの「コメント機能」が終わりを告げようとしている」という記事が出たのは半年以上前の話ですが、米国の主要ウェブメディアがコメント欄を閉鎖しつつあるというトレンドについてはガーディアンも承知しており、それでもなお読者からのフィードバックはジャーナリストにとっても重要だと信じ、今でもコメント欄を開放しているわけですが、この解析結果を見てしまうと、その心意気を貫いてコメント欄を維持管理する意味があるのか問題にならないだろうかと他人事ながら心配になります。

ワタシ自身、ブログやニュースサイトのコメント欄については随分前に「ブログの多様性とコメント欄」という文章を書いたことがあり、考えは当時と変わっていません。海外であれば Reddit のようなソーシャルニュースサイト、日本であればはてなブックマークなどのソーシャルブックマークサービス、あともちろん Twitter などの SNS など、リアクションの場はいくらでもあるわけで、別に元サイトがコメント欄を用意しなかったからといって非難される覚えはなかろうよと思うわけです。

海外では、コメント欄のクソさに対して「Don’t Read the Comments(コメント欄なんか読むなよ、あるいは、俺はコメントなんか見ないから)」という反応が定番化しているのですが、Six Apart の最初の従業員にして起業家、ブロガーとして著名なアニール・ダッシュ(Anil Dash)が、これを強く戒める文章を今年はじめに書いています。

お前のウェブサイトがクソまみれなのはお前の責任だし、「コメント欄なんか読まねぇよ」というシニカルな姿勢はネットいじめから目を背けることになるのだから、運営側はプラットフォームのアカウンタビリティを保ち、ちゃんとコミュニティを守るために努力し、注意を払うべきだというわけです。

これで思い出したのは、レベッカ・ブラッドによるセキュリティ分野の大家ブルース・シュナイアーのインタビューで、その中で彼は「嫌がらせのブログコメントを見かけた場合ですが――それが私に対する罵倒であれ、別のコメント主に対するものであれ――削除します。意見の相違は結構ですが、礼儀正しい対話を行うにはいくつか最低限の基準があります」とキッパリ語っています。これなど一つの見識でしょう。しかし、そういう罵倒コメントを書く人間は、往々にしてコメントを削除したら削除したで更なる罵倒を繰り返したりするわけですが。

いずれにしても、「コメント欄に他人の著作物を投稿することで記事全体を Google 検索結果から削除するテクニック」やら「Facebook のコメントシステムが一貫してひどい理由」やら、コメント欄が話題になる場合、それはネガティブな話に決まっている状況にはうんざりさせられます。

アニール・ダッシュの文章で、フォーラム(Reddit などにとってかわられた)やゲストブック(Facebook のウォールの先駆者みたいなものだった)といったコメント欄に先立つ試みを紹介した後、自分たちは初期のコメント欄を実装した人間なわけだが、その時点でウェブユーザに関する前提が前世紀のものであり、15年前にブログソフトウェアにコメント欄が実装された時点で設計が既に時代遅れだったことを認めているのは留意すべきです。それなら、上に書いた状況も不思議ではありません。

『Reading the Comments: Likers, Haters, and Manipulators at the Bottom of the Web』ジョセフ・リーグル

しかし、世の中には奇特な人もいるもので、ブログやニュースサイトや YouTube やらのコメント欄を読み込み、それをテーマに本を書いてしまった人がいます。『Reading the Comments: Likers, Haters, and Manipulators at the Bottom of the Web』のジョセフ・リーグル(Joseph M. Reagle Jr.)です。

ワタシが彼の名前を知ったのは、彼の処女作『Good Faith Collaboration: The Culture of Wikipedia』が、副題にあるようにウィキペディアの文化を主題とするものだったからですが(この本の有志による日本語訳が完成しつつあります)、およそ一年前に刊行された二作目は、(文字通り)ウェブの底にあるコメント欄において、好意や荒しや煽りや釣りや詐欺が入り乱れるコメント欄を実際に読んで分析したものです。

おそらく前作からの流れであろうクレイ・シャーキーやイーサン・ザッカーマンといったその筋の著名人が推薦コメントを寄せていますが、奇書とまではいかないまでも、よくこれで一冊書いたなというヘンな本であることは間違いありません。

著者のジョセフ・リーグルは、ノースイースタン大学のコミュニケーション学の助教であり、『Reading the Comments』も飽くまで研究の一環として書かれたもので、その筆致もアカデミックなのですが、それとネットスラングやクリシェが頻出するコメント欄の分析はさすがに噛みが悪いというか、ネットスラング講座が執筆の目的ではないし、かといって、そうしたところでズレたことを書くと確実にバカにされてしまう難しさがあります。

実際、この本の評価は微妙だったりします。ニューヨーカーに掲載されたマーク・オコネルの書評は、インターネットが「十戒」を与えられたとしたら、その中には間違いなく「汝、コメント欄を読む無かれ」が入るだろうね、という文章から始まっていて苦笑してしまいます。書評の文章にはずっとどこか苛立った調子があるのですが、この本の食い足らなさの例として、下ネタで盛り上がる男性らを Twitter で晒し者にした女性も晒された男性も会社をクビになった通称 Donglegate 事件周りや、ワタシも「邪悪なものが勝利する世界において」で触れた、ゲームに登場する女性キャラはいかにして性の対象として描かれているか論じたアニータ・サーキシアン(Anita Sarkeesian)に対して押し寄せたオタクの女性嫌悪コメントへの分析を挙げていて、評者の苛立ちが分かる気がしました。

ガーディアンに掲載された、左派のフェミニストの論客と知られるゾーイ・ウィリアムズ(Zoe Williams)の書評も全体的に好意的ではありませんが、彼女もまた本文の冒頭で触れたガーディアンのコメント欄のミソジニックな実態を苦々しく思っており、そのあたりについての記述に満足できなかったのではないかと勝手に推測します。

ただ、『Reading the Comments』執筆の経験がどこまで影響したかは分かりませんが、現在ジョセフ・リーグルは研究テーマの一つに「ギーク・フェミニズム」を挙げているのは興味深いところです。

『Reading the Comments』の中でリーグルは、「皆にいつもコメント欄を読み通すよう勧めるつもりはないが、コメントを理解するのが賢明だと思う」と書いていますが、確かに彼はそれを実践しているわけです。

そういえばワタシも「人民は弱し プラットフォームは強し」で Yahoo! ニュースのコメント欄で横行するヘイトスピーチに言及したことがあり、その後運営者である Yahoo! JAPAN からも対応するというステートメントがありましたが、その後どの程度状況は改善されたのでしょうか?

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。