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小学校でのプログラミング教育必修化 まずは妥当な導入

Code says 'Hello world' to elementary school.

2016.06.06

Updated by Ryo Shimizu on June 6, 2016, 06:50 am UTC

 いつの時代も意義のあるはずの提言が上位構造に行くごとに誤解され、曲解され、命令化される頃には当初の意図とはかけ離れたものになっているということは良くあります。

 その点で、昨今のプログラミング教育必修化の議論には筆者も提言した側の人間として、ハラハラしながら行方を見守っていました。

 最も恐れていたのは、この連載でも繰り返し書いたように、無理にプログラミング教育を小学校に導入してプログラミングに対する苦手意識を子供たちが強めることです。

 国語が苦手な子供でも、日本語に苦手意識などありませんし、少し機械音痴な子供でも、スマートフォンが苦手、ということはないはずです。

 しかし、授業で教えられ、テストで点数がついた途端に、子供が白けてしまって、「僕はプログラミングが苦手なんだ」と強い劣等感と嫌悪感を抱くようになってしまってはもともこもありません。

 実際のところ、筆者は1990年代に、義務教育段階でプログラミング教育を受けたことがあります。

 より正確には、筆者は小学五年生の頃と中学二年生の頃、技術家庭科の授業の中でプログラミングを同級生に教えたことがなんどかあります。

 当時、クラス全員が入れるパソコン教室がある学校は非常に珍しかったのではないかと思いますが、OA化の流れを受けて、いろいろな学校にパソコン教室ができました。

 ところがそれを教える先生が、そもそもプログラミングのことをわかっていないのです。そしてそれは当然のことでした。

 まだ子供であった筆者は、「なんで大人なのにプログラミングのことがわからないの」とは思わず、「大人にプログラミングのことがわかるわけないのにねえ」と思っていました。

 筆者が最初にいわゆるパーソナルコンピュータでプログラミングをしたのは6歳のとき、エンジニアの父親が買ってきたPC-9801上でのことでした。

 その当時はパソコンで動くOSが存在せず、BASICというプログラミング言語が事実上のOSの役割を果たしていました。

 父とほぼ同時にBASICを学び始め、それから二週間くらいして、父から「LOCATE文の第三要素はどんな意味だ?」と聞かれて、「カーソルのON/OFF」と答えると、父は嬉しそうに「やっぱり子供のほうが吸収が早いんだな。もうお前に抜かれちまったよ」と言ったことを覚えています。

 事実、父はプロのエンジニアとして、工場全体を制御するようなプログラムをBASICで書いていましたが、もちろん仕事はそれだけではありません。

 あまりにも仕事が沢山あるので、勉強する時間も限られますし、作らなければならないプログラムというのが決まっているので、自分の好き勝手に没頭するというわけにもいきません。

 それでも父とパソコンを共有していた筆者は、父の書いたコードをときどき盗み読んだりしながら、「熱収支ってなんだろう」「三相交流ってなんだろう」とプロの書くプラグマティズムに溢れたコードに胸をときめかせたものでした。

 そんなわけですから、筆者にとって、大人は自分よりプログラミングができないのは当たり前と思っていたわけです。

 小学校高学年に上がって、副校長先生から、IBMの5550というコンピュータを大量導入するから、それを使って教材を作りなさいと言われた時も、他にできる先生がいないのだから当然それは自分の出番だと思っていました。

 ちなみに筆者が特別だったわけではありません。
 その時代には同じような境遇の、つまり父親がエンジニアで、自宅に共用のパソコンがあり、父親と競うようにしてBASICを学んだ同級生が何人も居たのです。東京のどまんなかではなく、田舎の地方都市でこそそういう子供が育ったのは、東京には町工場はあっても大規模な工場は少ないからでしょう。

 筆者は同級生の子供たちとグループで教材を作り始め、実際にプログラムを完成させ、授業で使いました。

 こうした状況ですから、学校の先生と呼ばれる人たちがハイテクの話しになると途端に頼りなくなることを筆者は体験的に知っています。

 最悪なのは、特に小学校において、先生が権威を守るため、プログラミングについてよく知らない状況で教科書通りの答えを子供に強要することです。

 筆者自身、文科省の予算でプログラミングの教科書を何度か書いたことがあるので自覚している部分なのですが、ことプログラミングに関しての教科書は、執筆が終わった時点で既に陳腐化しているのが常です。

 一年も経てばとても見るに耐えない古い内容になってしまいます。

 しかし、教科書が変わると先生も再教育しなければならないため、どうしても教科書の内容と現実の内容に乖離ができてしまい、これは常に頭を悩ませる問題でした。

 筆者が関わっていたのはいわゆる学校法人系の専門学校向けの文部省指定教科書だったわけですが、コンピュータの専門学校の教官ですら教えるのが難しいものを、専門分野さえ理系ではないことが少なくない小学校教諭に毎年新しい内容を理解させるのは不可能に近い仕事です。

 仮に、数年前のカビの生えたような内容を子供に教えるとして、いまの子供はインターネットでものすごい勢いで知識を検索し、吸収していきますから、先生の言うことの何倍も先を行ってしまいます。そのときに先生が子供を抑えつけるような教え方だけはぜったいにして欲しくないのです。それをすれば、子供は絶対にプログラミングを嫌いになるからです。

 教科書に頼った「死んだ」プログラミングではなく、日々刻々と変化するトレンドや状況に応じて児童自らが表現手段としてのプログラミング言語を選択する、「生きた」プログラミングを根付かせるためには、プログラミングを専門の教科にするのではなく、既存の国語算数理科社会といった四教科にできるだけ自然な形で取り入れたり、クラブ活動でプログラミングをやったり、学外の活動としてプログラミングの塾に通ったりするのが現時点での理想的な導入手段だと考えます。

 今回の文部科学省が招聘した有識者会議による提言は、その意味では非常に妥当な内容であり、もっとも現実的な解に近いのではないかと思います。

 筆者は普段の仕事で人工知能の研究開発をしていますが、この世界のスピードの速さというのは筆者が子供の頃の比ではありません。

 1980年代から90年代にかけて、コンピュータ業界はドッグイヤー(犬の時間)と呼ばれ、他業界の6倍のスピードで進歩が進むと言われていました。

 半年に一度は新機種が発売され、OSが進歩し、3年に一度くらいはプログラミング言語のパラダイム・シフトが起きていたのですが、今やその頻度は加速し、特に人工知能の分野では一日に5〜10本、年間にして2000本近い新規論文が発表されています。これはとてもキャッチアップできません。

 そして今の子供たちも遠からずこうした世界に飛び込んでくることは火を見るよりも明らかです。

 筆者が子供の頃、一番夢中になったものの一つは人工知能でした。
 というよりも、人工知能に興味を持たない子供はいないのではないかと思います。

 人工知能という呼び方が難しければ、ドラえもんでも、コロ助でも、鉄腕アトムでも、もういっそのこそピカチュウでも構いません。

 子供は下の兄弟を欲しがり、子分としてのペットを欲しがり、子分が自分よりも高い能力を持っていることを期待します。そのなかで、人工知能を搭載したロボットは、子供が求める全てを持っています。

 物語に描かれる人工知能は基本的に従順であり、愛くるしい姿をしていて、主人公に無条件の愛情を注ぎ、高い忠誠心を持っています。

 実際のペットが自分より高い能力を持っていることは稀ですが、賢い犬を飼っていると誇らしい気分になるのと同様、自分の手でカスタマイズできる人工知能があれば、子供たちはすぐに夢中になるでしょう。

 今のところ、人工知能と子供たちにはまだ距離があります。
 今の最先端の人工知能は、子供たちが扱うにはまだ難しすぎるからです。

 けれども、これだけ進歩の速い世界であれば、人工知能を子供たちが使いこなす時代は目前に迫っていると言えます。

 いま目立つ所にいないだけで、既にパパの高性能なパソコンを改造して人工知能で遊んでいる小中学生もいるのかもしれません。

 そこまで来ると、日々、人工知能を仕事にしている筆者が子供たちに人工知能を教えようとしても、彼らの方が遥かに豊かな知識と経験を持っているという時代はすぐに訪れるでしょう。

 それはそれで、どうにもワクワクする話しではないですか

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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