original image: © Jenny Sturm - Fotolia.com
科学技術の進歩と超絶貧富格差拡大——1977年の大純情くん
人と技術と情報の境界面を探る #007
2017.06.05
Updated by Shinya Matsuura on June 5, 2017, 07:00 am JST
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人と技術と情報の境界面を探る #007
2017.06.05
Updated by Shinya Matsuura on June 5, 2017, 07:00 am JST
前回、現在世界で起きていることを8個の項目をまとめた。今回は9番目と10番目として、これから起きるであろうことを追加しよう。
1)技術革新が情報と物流を効率化する。
2)その結果、経済のグローバリゼーションが急速に進行する
3)結果、国内国外、域内域外を問わず貧富の格差が拡大する
4)経済的に取り残された地域からグローバリゼーションの恩恵を受ける地域に、人が移動する
5)経済は高速に変化するが、人の生活習慣はそれほどの速度で変化することはできない
6)それまで、接触することがなかった異なる文化圏に属する人々の接触が急増し、摩擦が発生する
7)グローバリゼーションの恩恵を受けることなく取り残された人々に、ポピュリズムが「悪いのはやってきたあいつらだ。あいつらさえいなければお前の生活は良くなる」とささやきかけて、政権を奪取したり政策をねじ曲げたりする。
8)しかしポピュリズム首班に問題解決能力はなく、ますます泥沼化する←イマココ
9)AIの進歩と実用化により、雇用のかなりの部分はロボットに置き換えられる←多くの人が同意する未来予想
10)ロボットは労働者と異なり所有できる。ロボットの所有により今よりもはるかに激しく貧富の格差が拡大する←松浦の独自見解
独自見解と書いたが、別に突飛な主張でもなんでもない。古代における富の蓄積は、奴隷制による労働力の所有によって進行した。産業革命にともなう資本の蓄積と資本家の台頭は、蒸気機械の所有によって達成された。同じことで、ロボットが人間の労働を代替するようになれば、ロボットによる資本の集積が起きる。それはグローバリゼーションの進行に伴う貧富格差の拡大と重なるので、放置すると「超貧富格差拡大」とでも形容すべき状況が現出する——ということだ。
富める層は、自らが富める層となった理由が科学技術の発展にあることを理解している。だから、資本を科学技術に投下して、ますます科学技術を進歩させようとする。結果的に、おそらくこれから数十年で、生活は激変することだろう。
インターネット以前、アナログ技術中心の、バブル経済絶頂の1987年から30年。2017年の生活は1987年の生活とはまったく違うものになった。誰もがスマートフォンを持ち、ネット通販を利用するなどという世界は、1987年には思いも及ばないものだった。
だが、これからの30年で起きる変化は——それがどんなものであるか、現時点でははっきりとは言えないが——もっと大きなものになるだろう。その大きな変化が、超貧富格差拡大と同時にやって来るとなると、それは住みやすい良い社会と言えるかどうか。
巨大資本が加速する科学技術の進歩と超貧富格差拡大。この2つが同時にやってくるとどうなるかを描いたマンガが、アナログ技術で経済全盛に向かおうとしている日本で誕生している。松本零士「大純情くん」(1977年)だ。
松本マンガとしては、「元祖大四畳半大物語」(1970〜1974)や「男おいどん」(1971〜1973)の一連の四畳半ものと、「銀河鉄道999」(1977〜1981、1996〜)の間をつなぐ橋渡しのような作品だ。テーマとなるのは「男おいどん」のような四畳半の生活と、どんどん進歩して機械化する上流階級との相克である。
主人公の物野けじめは、四畳半下宿に住む貧乏で冴えない若者だ。下宿の隣人である島岡さんはたいへんな美女だが、時折その部屋はまるで夢のように消える。なにか秘密があるようだ。
けじめの下宿の窓からは超高層ビル街が見える。けじめは高層ビル街を金持ちの領分であり自分の生活とは無関係な場所と考えていた。しかし、超高層ビル街はどんどん拡がり、気が付くと、おんぼろ下宿の一角は超高層ビル街に包囲されてしまう。けじめは、彼と同じく冴えない風貌の友人近藤と共に、徐々に世界の秘密に近づいていく。
最初は金持ち階級が機械を利用していた。しかし機械は金持ち階級を利用して自らを進化させ、やがて意志を持ち人間を滅ぼし、地球全体を一つの機械としようとしていたのだった。現れては消える美女・島岡さんは、機械化に抵抗するレジスタンスだった。
けじめたちは、どうやって人類絶滅と地球の機械化を防ぐのか——悲しく美しいラストは、アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作となった「サクリファイス」を思わせる。
SFは物語の一ジャンルであって、未来を予想することが存在意義ではない。だが、時としてSFは想像力を徹底的に駆使することで未来を予想してしまうことがある。「大純情くん」には、貧富の格差拡大、富める者と貧しき者の離反、富める者が加速する科学技術の進歩、と、現在起きつつある状況をすべて描いた上で、「機械の自律化と人類への反乱」というフィクションを上乗せしている。
「機械の自律化と人類への反乱」は、ロボットという言葉を生み出したカレル・チャペックの「R.U.R.」以来の古典的なSFのガジェットだ。現在、レイ・カーツワイルなど一部の論者は、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉で、機械が自律的に進歩していく世界が近い将来に到来すると論じている。ただし、私が調べた範囲では、人工知能(AI)の研究者の間では、「シンギュラリティがそんなに早く実現できるわけない」という意見が一般的だ。とりあえずシンギュラリティについては、実現可能性を頭に留め置きつつも未来を論じる際の議論の前提とはしない、という扱いで良いのではないかと思う。
1977年の段階で、マンガによって予見されていた未来が、どうやら到来しつつある。それはユートピアではなく、むしろディストピア的な未来だ。
では、いったいどうすればいいのだろうか。
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登録はこちら「自動運転の論点」編集委員。ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。 1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。自動車1台、バイク2台、自転車7台の乗り物持ち。