空き家を「資源」として活用することで都市に新たな活動を呼び込む – ライプツィヒ「ハウスハルテン」
2017.11.30
Updated by Yu Ohtani on November 30, 2017, 11:58 am JST
2017.11.30
Updated by Yu Ohtani on November 30, 2017, 11:58 am JST
※この記事は「小さな組織の未来学」で2014年5月1日、5月8日に公開されたものを加筆改訂したものです。
人口減少、高齢化、産業構造の転換によって高度成長を前提としたシステムが揺らぐ日本。都市にも大きな変化が起こっています。2013年に行われた総務省の住宅・土地統計調査により、日本全国に820万戸の空き家があることが明らかになりました。空き家率でみると全国で13.5%、特に空き家率が高い県は山梨県(17.2%)、愛媛県(16.9%)、高知県(16.8%)となっています。県の平均ですから、過疎地域や衰退工業地域などでは更に深刻です。さらに野村総研が2015年に出したレポートによれば、今後既存住宅の除却や住宅用途以外への有効活用が進まない場合、2033年の空き家数は約2,150万戸、空き家率は30.2%に上昇すると予想しています。
一方、不動産価値が低下し安価に使える空間が生まれている状況は、地方に移住を希望する人や新たな活動場所を探している人にとってチャンスでもあります。都会の生活に疑問を持った人々たちや、自分のふるさとに戻って生活したいという人々は決して少なくありません。2017年にはこれまで個々の自治体が行っていた空き家バンクのデータベースが統合され、情報が引き出しやすくなりました。民間でも空き家をマッチングするサイトが解説されており、「タダ」で物件を借りたり買ったりすることも可能です。また生活相談や起業支援などIターン・Uターンを支援する様々な試みも年々活発になっています。
空き家と移住者、そこから生まれる新たな活動。まちにはどんな未来が待っているのか。今回は90年代に凄まじい人口減少を経験したことで、「空き家」から都市の未来を切り開く必要に迫られたドイツ・ライプツィヒの取り組みを見ていきましょう。
ドイツ中部の都市ライプツィヒは、産業革命以降人口が急増し、1930年代には70万人を超え、ベルリンに次ぐ人口を有していました。ところが第二次大戦後に旧東ドイツに組み込まれると徐々に産業が衰え、1989年にベルリンの壁が崩壊すると基幹産業が空洞化し、一気に人口が流出。1990年から10年間で約10万人もの人口が減少します。
▼ライプツィヒの立地と人口変動
空き家率は市全体で20%弱、中心市街地に立地するいくつかの地区では50%を超えていました。空き家の多くは東ドイツ時代からメンテナンスされずに放置され、とても傷みが激しい状態でした。こうして都市の危機に直面したライプツィヒは、欧州の「縮小都市」の代表例として知られるようになりました。
▼90年代のライプツィヒ (c)Stad Leipzig ASW
出口の見えない都市の衰退により、当時の不動産市場は完全に破綻していました。長らく放置されていた建物に高額のリノベーションを施したところで、投資を回収することは到底不可能です。そこで市は空き家を取り壊し、緑地にすることで周囲の住環境を向上させようとしました。しかし中心市街地に立地する空き家の多くは100年以上前に建設され、歴史的にも重要なものであることが少なくありません。このままでは街のアイデンティティまで破壊されてしまうかもしれない、と危機感を感じた住民たちが、不動産市場から見放された建物を何とか救うべく立ち上げた団体、それが2004年に設立された「ハウスハルテン」でした。
2004年秋、衰退にあえぐライプツィヒの一地区であったリンデナウで「ハウスハルテン」が設立されました。地元の住民団体「リンデナウ地区協会」のメンバーが中心となり、有志の市民、行政職員、建築家らが立ち上げに参加しました。
▼ハウスハルテンのメンバー
ハウスハルテンのスローガンは、「利用による保全」です。代表的なプログラムである「家守の家」は、5年間を期限として空き家の所有者に物件を提供してもらい、そこを利用したい人を募集する、暫定利用のシステムです。所有者は利用者に建物を使ってもらうことで物件を維持管理してもらうことができ、利用者は期間中家賃なしで空間を利用することができます。
ただでさえ建物の維持管理義務と固定資産税という負の資産を抱えた状態の所有者にとっては、家賃収入がなくとも5年間無償で物件を誰かに維持管理してもらえるのは大きなメリットです。また期限後に不動産価値が上がっていれば、建物の改修や売却を考えられます。一方、多くの物件では原状復帰義務がなく、活動に合わせて好きなように空間を改変でき、ハウスハルテンがさまざまな工具の貸し出しや空間づくりのアドバイスも行っているので、経験の浅い人々でもチャレンジできます。このように所有者と利用者双方にメリットがあるハウスハルテンはライプツィヒ中に広まり、2016年までに17軒が「家守の家」となりました。
▼「家守の家」の仕組み
市内を歩いていると、至るところで建物のファサードにかかる鮮やかな黄色地の大きな垂れ幕を見かけます。これらの建物はすべてハウスハルテンが仲介している物件です。今ではハウスハルテンの物件は「ちょっとオルタナティブな雰囲気漂う、文化的なホットスポット」として一般市民にも浸透しています。ハウスハルテンの設立当初は「歴史的価値のある空き家を破壊から救うこと」を目標としていましたが、徐々に「安く自由に使える住処・活動場所を斡旋してくれる」ことが話題となって、若者やアーティストに活用されていきます。
▼ハウスハルテンの広告:アイディアはあるけど場所がない?ハウスハルテンに相談してください (c)HausHalten e.V.
通常の賃貸物件では現状復帰義務があり、使い手が自分たちの好きなように改装する自由は限られています。しかしハウスハルテンが仲介する物件は、自分たちで必要な空間をつくるセルフリノベーションが原則。空間づくりに必要な電動ノコギリ、インパクト、脚立、電源ドラムなどあらゆる工具を無償で貸し出していて、水道や電気工事のノウハウもハウスハルテンのメンバーである元職人から伝授してもらえます。ハウスハルテンは新たな活動を始めたい人々に、家賃が殆どかからず自由に使える空間と工具を提供し、活動のスタートアップを強力にサポートしているのです。
これまで多くの新しい団体が「ハウスハルテン」の物件を足がかりに自分たちの事業を展開してきました。筆者らが2011年の夏に立ち上げた「日本の家」もその一例です。中心市街地にほど近い「家守の家」の、広さ約120平方メートルという大きな地上階部分を、家賃なしで借り、自分たちの活動のための空間を作っていきました。金槌も握ったことのないような素人の集団でしたが、ハウスハルテンから様々な工具を借りたり、アドバイスを受けることで「ラーニング・バイ・ドゥーイング」で木工、水道工事、電気工事など様々なハードルを越えていきました。
▼改修中の「日本の家」
様々な文化や食のワークショップ、アート展、震災支援イベント、都市問題や日本に関するシンポジウムや映画の上映会などを行ってきました。「日本の家」は立ち上げから1年にして、市や地元住民の協力を得て地域の芸術祭をオーガナイズするまでに成長しました。ライプツィヒに縁もゆかりもなかった日本人チームが、ライプツィヒで新たな事業を立ち上げ、短期間で軌道にのせることができたのは、ハウスハルテンのサポートのおかげだったといえます。
▼「日本の家」オープニングパーティー
▼2012年に行われた地域の芸術祭、日本の縁日を再現した
▼現在毎週行っている「ごはんのかい」
「本の子ども」もハウスハルテンの物件を利用することで生まれたユニークな活動です。「子どもが自分でオリジナルの絵本をつくる」というコンセプトで2001年に立ち上げられました。最初の工房はライプツィヒ南部の空き家の一部屋でしたが、活動が大きくなると最初の部屋では手狭になり、より大きくかつ家賃の安い活動場所が必要になりました。そこで目に止まったのが当時始まったばかりのハウスハルテンでした。
▼「本の子ども」が利用していた「家守の家」
「本の子ども」代表のブリジットは、「2005年から2010年までライプツィヒ西部の『家守の家』を利用したことで、活動が軌道に乗った」と振り返ります。今では市内の東西2箇所に工房と幼稚園を構え、これまで1000人以上の子どもに利用され、500冊弱の子どもが作った絵本を出版している、ライプツィヒを代表する子どものための活動となっています。
▼「本の子ども」の工房
その他にも、若者を中心としたグループが開き、ベジタリアンの人でも気軽に食べられる、肉を使わないハンバーガー店「フライシャライ」、30代の兄弟が立ち上げ、今やライプツィヒを代表するインディペンデント・シネマの団体「シネマブストロッソ」、大小様々なアートギャラリー、デザイン工房、ショップなど、ハウスハルテンの物件から様々な活動が育っていきました。
2000年を境にライプツィヒは人口が増加し始めました。物価が安いことに加え、物流と製造業の誘致に成功し、雇用が安定したことで若者や子育て世代が増えています。
これは歓迎するべき事態ではありますが、いくつかの地区では不動産投機が始まり家賃が上昇しています。「ハウスハルテン」の取り組みは、いわば不動産市場が破綻していたからこそ所有者と使用者のwin-winの関係を築くことが出来ていました。しかし「普通の不動産市場」が育ちつつある現在、空き家の所有者が利益の見込めないハウスハルテンに物件を預けるインセンティブが働かなくなっています。
▼「本の子ども」が利用していた物件はこのようにリノベーションされた
近年ではハウスハルテンの暫定利用期間が過ぎた後、所有者が家賃を大幅に上げるため、それまでの使用者たちのほとんどが追い出されています。ハウスハルテンの活動が上手く行っているがゆえに地域の不動産価値が上昇し、当の価値を産んだ若者たちが追い出されてしまっているのです。
このような皮肉な状況の中、新たな移住者たちが自分たちの活動を始められる「自由な空間」をいかに維持していけるのかということが課題となっています。ハウスハルテンは2012年から「増改築ハウス」というプログラムを行っています。これは空き家の家主が住民たちにセルフリノベーションを委託する代わりに、建物を格安の家賃で貸し出すというプログラムです。
▼「増改築ハウス」の仕組み
「増改築ハウス」は、「家守の家」とは異なり通常の賃貸契約なのでプログラムの期限はなく、借り手はより長期的に自由な空間を手に入れることができます。現在市内に8軒あり、今後も増えていく見込みです。ハウスハルテンでは、このプログラムに連邦政府の環境住宅への改装支援の助成金を入れることで家主にメリットがあるようにしたり、若い職人たちの職業訓練の場としたりすることを考えています。
▼セルフリノベーション中の「増改築ハウス」
ハウスハルテンが行っているもう一つのプログラムが「ハウスプロジェクト」の支援です。「ハウスプロジェクト」は日本でも注目されつつある非営利的なコーポラティブハウスの一形態で、住民がグループを作り、物件を購入し、共同でマネージメントする仕組みです。「家守の家」となっていた物件のうち2棟では、期限が切れたのちに利用していた人々が建物を購入しました。このことで、物件が投資目的の不在地主の手にわたることもなく、人々は社会文化的な活動を持続的に行うことができています。ハウスハルテンはここでも、大家との交渉や建物の改修をサポートする役目を負いました。
これまで、市内で計58棟の空き家が「ハウスハルテン」によって再生されてきました。都市計画による空き家の取り壊しや緑地整備がトップダウンの地域再生手法だとしたら、ハウスハルテンが示したのは市民の能動的な文化的・社会的活動を空間的にバックアップするボトムアップの手法です。市行政としても衰退地区に対し、空き家の取り壊しくらいしか手がなかったなかで、空き家を減らし、かつ地区のイメージを改善できるハウスハルテンの活動は一石二鳥でした。市民活動のベースとなる「自由な空間」こそライプツィヒの都市再生の方向性であると認識した市は、2000年代中盤から「ライプツィヒの自由」を都市政策のスローガンに掲げ、ハウスハルテンをサポートしてきました。
▼ハウスハルテンの本部
2009年、連邦政府建設省の「統合的都市発展に寄与する重要な手法」として表彰され、「ハウスハルテン」は空き家再生のライプツィヒモデルとなりました。現在では他都市にも同様の取り組みが広がっています。旧東ドイツに位置し、同じく人口減少と空き家問題に窮している都市であるケムニッツ、ハレ、ゲルリッツ、ツビカウなどにおいて次々とハウスハルテンが設立されています。
ハウスハルテンは単なる空き家の仲介団体にとどまらず、若者やアーティストのグループが都市に根付き、新たな文化事業やビジネスを立ち上げる際のサポーターとしての役割を担っています。ハウスハルテンが我々に示しているのは、都市に出現した空き家を「資源」として捉え、若者やアーティストなどに代表される新たな移住者の活動を呼び込み、サポートして育てることで、都市をもう一度魅力的なものにするという可能性なのです。
【参考URL】
・ハウスハルテンHausHalten e.V.
・ライプツィヒ「日本の家」
・ハウスプロジェクトについては『CREATIVE LOCAL:エリアリノベーション海外編』,学芸出版,2017に詳しい
おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)
登録はこちらNPOライプツィヒ「日本の家」共同代表。ドイツ・ライプツィヒ在住。東京大学新領域創成科学研究科博士課程所属。1984年生まれ。2010年千葉大学工学研究科建築・都市科学専攻修士課程修了。同年渡独。IBA Lausitzにてラオジッツ炭鉱地帯の地域再生に関わる。2011年ライプツィヒの空き家にて仲間とともに「日本の家」を立ち上げる。ポスト成長の時代に人々が都市で楽しく豊かに暮らす方法を、ドイツと日本で研究・実践している。