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経営者として、僕はスケッチブックを買った

2019.03.25

Updated by Ryo Shimizu on March 25, 2019, 10:17 am UTC

本来はサウス・バイ・サウスウエストのこととかGDCのことを書くべきなのかもしれないが、あんまり心に響かなかったので書くことができない。

さて、20年間続いた個人ブログを昨年の暮れにやめたのは、マイネットの上原仁さんから、「もっと言葉にできないことを大事にしたほうがいいよ」と言われたことがきっかけだった。

実際やめてみると気分爽快である。
やめたことに関して、「勿体無い」とか言われることもあるが、実際のところ個人ブログを休止したりやめたりしたことは過去に何度もあったし、これからもなんどもあるだろうと思うのだ。

その意味ではこの連載は個人ブログにかわるメディアとして個人的に非常に大事なものなのだが、「言葉にできないことを大事に」しながら言葉を紡ぐ商売をするというのはなかなか難しい。

この連載のタイトルは「プログラマー経営学」であった。いつの間にか連載ではなくなってしまったが、基本的にこの媒体における僕のスタンスに変わりはない。だから経営者としての心境の変化を書いてもいいはずだ。

もうあちこちのインタビューで僕がとある企業グループのアウターリムの一角を担う経営者としてモードチェンジを迫られたことを語っているので、見たことのある人もいるかもしれない。いないかもしれない。なぜ具体的な名前を出さないかと言うと、仮に名前を出すと広報確認が面倒だからだ。ググればでてくるけど

特に会社の管理システムや意思決定のシステムを大企業に準じたものに変えた。バイトを含めてたった130人かそこらの会社に入れるには大袈裟だろうと思ったのだが、これが意外と効率的なのである。

その意味では僕は大企業で働いたことが一度もなかったことに気がついた。というか僕だけではない気がする。ほとんどのベンチャーの創業者はほとんど大企業で働いたことがないのである。

次にわかったことは、大企業の人材育成システムは40歳をピークとして考えて構築されているということだ。
要は40代で部長になる人間を育成するために大企業のシステムは構築されているのである。

そして大半のゲームと同じように、階級を上げていかなければ見えないルールがあり、見えない景色があるのだ。
つまり、部長にならなければ大企業のシステムを理解したとは言えないのだ。しかし大半のベンチャーの経営者は大企業の部長職を経験してない。だから本質的に大企業がなぜ強いのかわかってないのだ。

ベンチャーにいた立場からすれば、大企業はひどく意思決定が遅く、決定した頃には手遅れになっていて、総じて間抜けに見える。打つべき手を打てずにモタモタしているうちに取り返しがつかない状態になっているように見える。

辟易したのは、大企業と関わり始めた頃、それまで自分の生活に全く関係のなかったテレビのニュースが自分の仕事に莫大なインパクトを与えることだ。どこかで地震が起きればグループ会社のどこかの工場がダメージを受けて意思決定や予算割当が延期され、円高になれば輸出が伸び悩んでやはり意思決定や予算が延期され、円安になると部品調達に支障が出て・・・もうどうせいっちゅうねん。

ところがもう少し注意深く日本の大企業を観察してみると、実は小回りのきいた小集団の集まりであることがわかってくる。

たとえばとある企業グループの売上高は8兆円くらいだが、おなじくらいの売上高であるAppleやGoogleとは構成が全く異なる。

Appleはスマートフォンとオンラインサービスの二本柱、というかほとんどワンカテゴリーで10兆円近い売上を達成している。Googleもオンラインサービスがメインだから似たようなものだ。しかし日本の場合、それぞれのグループ会社の売上そのものは大きくないのだが、まとめると大きくなるのである。

AppleやGoogleが巨人だとすれば、日本の大企業グループは普通サイズの人間の集まりである。

だから企業グループをそれぞれ細かく見ていくと、一社あたりの人数はそれほど多くない。GoogleもAppleも10万人近い従業員がいる。それだけの人達がワンカテゴリーの商売を行っているわけだが、日本の大企業の場合、ひとつの事業会社にそれだけの人間がいることはほとんどない。

たとえば、ゲームプラットフォームの事業会社は1000人程度しかいない。
映画系の事業会社は200人ちょい、金融系は400人程度。待て待て。それってめちゃくちゃ効率よくないか?

そう、大企業の管理方式は管理対象が100人を超えると急激にドライブするのである。

かつて僕はベンチャーを経営していたとき、社員が40人を超えると仕事を把握できなくなることにすごく悩んでいた。その会社は最終的には120人くらいの会社に成長したのだが、仕事としてはバラバラの集団を集めて管理方式も意思決定もバラバラの組織がたまたま同じ会社の屋号を使っている、という感じだった。そうなると成長が止まった。

それが大企業の管理方式を導入してみると、全く異なる感想を抱くようになった。経営者の立場から見ると、人が増えていることに気づかないくらいなのだ。そして人が増えているのに「まだ足りない」と思うようになるのである。そして会社で何が起きているのか、ほとんど完璧にわかるのである。錯覚かもしれないが。そういう錯覚すら、以前は抱いたことがなかった。

昔は「こんなにたくさんの人間をどうやって食わせればいいのか」と悩んでいたのに、今は「どうすればもっと人を雇えるのか」という悩みに変化したのである。

大企業出身の人事部長は一通り僕の会社の人間をインタビューして、「どうやら、この会社は清水さんを中心にまわっている」と言った。それが当然だと思っていたので僕は「そうですね」と言った。ところが「それはまずい」と言われた。その時は意味がよくわからなかった。

人事改革が断行されて、ようやく意味がわかってきた。会社というのは部長が回すものなのだ。部長は責任を持ち、判断し、判断の責任をとる。いかに優れた部長を育てるかが大企業の持つ潜在的な能力なのである。優れた部長が育てば、自動的に会社は優れた成果を手にすることができる。この教育システムこそが大企業の強みであり、大企業が何万人という従業員を抱えながらも成長を維持できるのは伊達や酔狂ではないということだ。

そうすると僕に求められる役割はなにか?
社長として部長からエスカレーションされた提案を聞き、YESかNOを答えることである。
部長も、いまや過半数が大企業で育てられて部長職の経験がある人たちが入ってきている。

最初、「これはなんて楽なんだ」と思った。同時に「果たしてそんなことで会社が回っていくのだろうか」という不安も感じた。むしろ僕にYES/NOの判断しかさせないというのは、合っているのだろうか、とも思った。

しかし悔しいことに僕が自分で考えた企画よりもいいものが出てくる、僕が自分でやった仕事よりも高い成果が出てくる。かつて僕はスーパーサラリーマンしか独立するべきではないと言ったことがあるが、それは間違いだった。スーパーサラリーマンは、スーパーサラリーマンとして組織の歯車になるほうが遥かに良いのである。巨人の肩に易易と乗ることができるのだ。

では果たして、今僕にできることはなんだろうか。それはYES/NOの判断の重みを上げていくことだろう。YES/NOプラス、どうでもいいクソリプをするというのがどうやら求められていることらしい。

クソリプというのがどうにも意味不明だと思っていたのだが、おそらく経営者というのは、最終的にはYES/NO+クソリプが仕事なのだ。

そういう視点に立つと、これまで対峙してきた幾多の名経営者、業界の怪人、名プロデューサーと呼ばれる人たちが、一様にクソリプを返してきたことを思い出す。便宜上クソリプと呼んでいるが、それは「話の本質と全くかけ離れたように思える返し」だからである。

たとえば十数年前、とある名経営者がゲーム企画のプレゼンをした僕に言ったクソリプがこんな感じである。

 「君の言ってることは正しいよ。成功するだろう。だけどそれってアルバイトじゃんか。コンビナートをもってこいよ」

何を言ってるんだこの人は、とこのときは思ったのだが、あとで考え直してみると、このときの企画は「開発費1000万円で、売上2000万円目標」みたいなものだった。これは蓋然性の高い企画だと思って持ち込んだのだ。この頃は会社が小さくお金がまったくなかった。儲かるんだからいいじゃないか、くらいしか思っていなかったのだ。

しかしその社長が言ったことは、正しかった。1000万出して2000万稼ぐ、それはほとんど確実にできたとしても、利益は2000万円で終わりだ。1000万円を2000万円にできるなら、1億を2億にできるのか、といえば、そんなことはなかった。だとすれば、その企画は実行して最大限うまくいっても予定通りの売上が立つだけの、アルバイトと同じだということだった。

コンビナートというのは、材料を入れると価値のある商品がポンッと出てくる仕組みである。ボーキサイトから、より高価値なアルミニウムを取り出す。原材料をたくさんいれればいれるほど利益も上がっていく。ビジネスを考えるならばそういうスケーラビリティを意識せよ、という話だった。

このコンビナートの話は僕の人生を変えるくらいの衝撃で、それまでサラリーマンとしてリクープラインベースの提案しかしてこなかった自分を恥じた。それはサラリーマンなら許されても経営者としては許されない仕事のやり方なのだ。

つまり、経営者のクソリプとは、聞いた瞬間にはクソリプなのだが、後々考えると冴えたアドバイスなのである。
ということは、なんかいろいろと自分の中で感性を高めておかないといけない。

感性を高めるといえば、来週早々に開催されるAI・人工知能EXPOという、頭痛が痛い、みたいな名前のイベントに新会社として初出展するのだが、それにあわせて、会社のロゴを微調整するということがあった。

今の会社のロゴは、伝説的デザイナーである後藤禎祐氏に依頼したマークの横に、僕が文字を並べたものである。
なんで最後までデザイナーに頼まなかったのかというと、いろいろな事情があったからだ。

ところがこれがイカンということになった。デザイン的に洗練されていないらしい。僕も別にデザインを専門的に勉強したわけじゃないから、デザイン的にイカンと言われるとぐうの音も出ない。まあともあれ、そういうことになったので、僕は心から謝罪をして、このロゴを調整してくれるようにお願いした。

一ヶ月近くかけて調整が終わったというロゴをワクワクしながら見て、驚いた。なにも違ってないじゃないか。

「え、どこが違うの?」と聞くと、「こことここの隙間」「これの角度」「ここの棒の太さ」といったところを事細かに説明された。

確かに言われてみればぜんぜん違う。ぜんぜん違うがしかし、ほとんど間違い探しのような難易度である。
でも、一度「これが正しい」と思ってしまうと、確かに今まで使っていたロゴは野暮ったく見えてくる。恥ずかしい。全部消したい。

とはいえ皆さんも実際にロゴを見たところで、「え?」というくらい違わないはずである。違わないのだが確かに違う。なるほど、こういう拘りを持っているからこそ、後藤さんは超一流なのだと改めて気付かされた。

そして僕は改めて上原仁さんのクソリプ「言葉にできないことをもっと大事にしよう」というセリフについて考えた。

先日、有給奨励日というのを初めて導入したので、自分でも休んでみた。
休みの前日、上野公園でお花見をしていたら、とある映像関係の人に「埼玉の近代美術館で面白いものがある」と聞いたので見に行ってみた。

なにがあるんだろう、トークイベントだろうか、と思いながらたどり着くと、確かに面白そうな企画展をやっていた。

とりあえず企画展でも見るか、と思って入場してみると、件の映像関係の人がじっと作品を見ている。
その姿は衝撃的だった。

普段、人に作品を見せている人、人が羨むようなアイデアの宝庫のような人が、じっと他人の作品を見ているのだ。きっと彼の目には僕よりも遥かに深淵にその作品が写っていることだろう。

僕は結局、なんにもわかっていなかったのだ。
そうとなれば、僕はわからないなりに、じっとその作品を見ることにした。彼を追い抜かないように、同じペースで作品をじっと見る。解説文をくまなく読む。最低でもそのくらいのスピードで回らなければわからないのだろう。

作品をじっと見て、解説を見て、なるほど言葉にできることとできないことの間には、こんなにも絶望的な開きがあるのかと改めて思った。

それから僕は東急ハンズに行って、スケッチブックとアートブラシを買った。
誰にも見せない作品を作るために。

酒を飲む場にもスケッチブックを持ち歩いて、下手っクソな絵を書くと、なにかから自由になれたような気がした。
僕はイラストレーターでも漫画家でもないから、上手い絵を書く必要なんてぜんぜんない。デッサンが狂っていようが、なにが書いてあるかわからなかろうがどうでもいい。それは絵そのものでなくてもいい。

頭の中にある、よくわからないもやもやしたものを、文章だけでなく絵で表現してみる。そのうち他の人にも理解できるような絵が描けるかもしれないし、描けないかもしれない。でもそれも含めてどうでもいい。

本当は粘土もやりたいけど、場所とるからなあ

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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