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Diplomat(外交官)は誰のために働くのか?

2019.08.06

Updated by Hitoshi Arai on August 6, 2019, 12:53 pm UTC

7月29日のGoogleトップページ、杉原千畝の肖像がDoodle(記念日などにちなんだ検索エンジンのロゴ)になったことに気が付いた人も多いだろう。

杉原は、リトアニア大使として、第二次世界大戦中に迫害されたユダヤ人に対して、独断で日本の通過ビザを約6000件発行し続けた外交官である。29日にDoodleに採用されたのは、7月29日が杉原がユダヤ人へのビザ発給を開始した日だからである。

そして、2日後の7月31日、八重洲にある「杉原千畝 Sempo Museum」で、特別展「任務を越えて」が始まった。7月31日は杉原の命日(1986年7月31日死亡)であり、その特別な日からの特別展である。

本稿の目的は、杉原の偉業を改めて解説することではない。特別展のセレモニーに参加したことで「今まで自分が気が付いていなかったことに触れられた」とお伝えしたいため、である。

その一つは、多くの国の35名の外交官たち(その中で9名が特別に展示されている)の存在と、杉原の偉業がこの方々との連携作業であった、ということである。大戦当時、これほど多くの良心があったこと、その一部の方々の連携があって実現した「命のビザ」であったこと、はこれまで知らなかった。

▼展示されている杉原が発行した手書きのビザ(複製)
展示されている杉原が発行した手書きのビザ(複製)

もう一つは、特別展の主催者として「NPO杉原千畝命のビザ」と名を連ねている駐日イスラエル大使館のヤッファ・ベンアリ大使のスピーチの中にあった。大使は、「Diplomat(外交官)は、本来は自国民、自国のために働くべき存在である」と指摘した。

よく知られるように、当時の日本政府は、杉原からのビザ発給許可申請を拒否した。従って杉原の行為は、国を代表するべき外交官が国の指示に背いた、ということになる。それは決して軽いものではなく、その結果、日本に帰国後の杉原は外務省から退職させられ、不遇の人生を送った。公式に日本政府からの名誉回復が行われたのは、2000年、死後14年経ってからのことである。

改めて考えてみると、杉原がビザを発給した相手は、外交官として第一義に働くべき日本人でもなく、また、赴任先であるリトアニアの国民でもなく、主にポーランドなどヨーロッパ各地から逃げてきたユダヤ人であった。自らの責任と権限とは何の関わりもない難民のために、彼はリスクを取ったことになる。

展示会のタイトル「任務を越えて」は、まさにこの点を示すものだ。クリスチャン、ヒューマニズム、正義、人道など、杉原の勇気ある行動を伝えるのに多くの言葉が使われるが、展示された様々な資料を眺める中で、それだけでは何かが足りないような感覚にとらわれた。

前述のベンアリ大使は、ご自身の母親が「Holocaust Survivor」だそうである。それだけに、杉原たちの偉業には余計に思い入れが強い面もあるかと拝察するが、同時に外交官:Diplomatの職責と権限を今日において体現している人物でもある。今回の展示のタイトル「任務を超えて(Over the Duty)」に言及するときに大使は、ご自身が困難な状況に置かれたときに「外交官として任務を越えられるのか?」と自らに問いかけているような気がした。

さほど広いスペースではないが、展示されているものが示す意味はとても重い。入館料500円である。一度、見に行くことをお勧めしたい。

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新井 均(あらい・ひとし)

NTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu