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「街場中華」の楽しさは食事だけではない ウイスキーと酒場の寓話(5)

2019.11.01

Updated by Toshimasa TANABE on November 1, 2019, 11:26 am JST

「辣子鶏(ラーズーチー)」という鶏肉と唐辛子の炒め物が好物である。店によって流儀は多少違うが、けっこう辛い鶏肉の炒め物、と一括りにしてしまっても問題はないだろう。本来は四川系の料理であるが、どこへ行ってもメニューにあると、ほぼ必ず注文してしまう料理の一つだ。

辣子鶏

写真の辣子鶏は、長ネギ、ニンジン、キクラゲ、ピーマン、タケノコなどの野菜と、軽く粉をはたいて揚げた鶏肉とが、10本くらいの唐辛子と一緒に炒められている。ビール、紹興酒、ハイボールなどとの相性がとても良い。まずは酒の肴にして、全体の3分の1くらいは残しておいて、それを小ライスの上に乗せて「ミニ辣子鶏丼」にしても美味い。

唐辛子は、酒を飲んでいるときに5本くらい齧って、その後の中華丼や炒飯などのご飯モノに付いてくる小さなスープや麺類に投入して、辛味を増すのに使う。丸のままよりも、齧っておいた方が断面からカプサイシン(辛味成分)が浸出しやすいので、1本を全部食べてしまわずに半分齧っておくのだ。辣子鶏にはたくさんの唐辛子が入っているので、半分齧るくらいで丁度良いということもある。

このように、餃子などをはじめとした気に入っている単品料理でちょっと酒を飲んでから、何か適当なご飯モノやラーメンなどの炭水化物で仕上げられる、という町には必ずある庶民的な中華料理店が、いわゆる「街場中華」である。誰が命名したのかは寡聞にして知らないが、ホテルのバーに対する街場のバー、という表現もあるので、同様に考えて良いのではなかろうか。ちなみに国語辞典の大辞林には、「町場」という表記ではあるが「町の中、市街地」とある。

街場中華の楽しみは、そのお店で作っているちょっと個性のある餃子でビールを飲む、ピータン豆腐(ピータンと冷奴を注文して、自分で勝手にピータン豆腐にしてしまえるなども好ましい)で紹興酒を飲む、などであるが、実は、ご飯モノや定食なんかに付いてくるちょっとネギを浮かせただけの醤油味のチープなスープが重要な存在なのだ。

このスープが目当てで、中華丼や炒飯などを「夜だし、ちょっと多いんだが、、、。塩分も気になるけどね」などと思いつつ注文してしまう、ということもある。胡椒を振ったり、辣油を垂らしたりするのも良いし、蓮華の底にへばりついた中華丼の餡や炒飯の米粒が、じわじわと溶け出していくのも悪くない。蓮華の上でスープとそれらが混じったものを啜ると、なんともいえない美味さだ。

居酒屋でよくあるいわゆる「ご飯セット」だと汁物は味噌汁が普通なので、チープな中華スープとその時に食いたい一品料理を何か選んでご飯を少し、というのは意外に難しいことでもある。ワンタンスープという手もあるが、単品のワンタンだと量が多いのと、餃子とワンタンには「小麦粉で作った皮で挽き肉の餡を包んだモノ」という重複感があるので、餃子を食わないようにしないといけない、という制約が発生する。

とはいえ、こういうモノを出してくれる街場中華は、老若男女と客層が広いので、単に空腹を満たすだけ、あるいは酒を飲むだけではない楽しみもあって、なかなかに退屈しない所なのである。

街場中華のおっさん その1

某お店で、店内にずんずんと入ってきたおっさん一人、メニューも見ずに「野菜ラーメン、醤油味っ!」と叫ぶ。

そんなのメニューにあったかな、と思っていたら、バイトのお兄さんが「スミマセン、塩味のタンメンならご用意できますが、、、。」と伝えに来る。

するとおっさん、またしてもメニューには目もくれずに「じゃ、カニ炒飯っ!」と逡巡の欠片もなく叫ぶ。

服を選ぶのは時間の無駄だから、いつも黒のタートルネックにしている、的な話のようにも思えるかもしれないが、絶対にそうではないだろう。「野菜、ラーメン、醤油味」という三要素のいずれかを妥協して同系統の別のものを選ぶのではなく、メニューも見ずにカニ炒飯へと飛躍するのがよく分からない。どこの店でも、こんな感じで注文するのだろうか?

それにしても、「野菜ラーメン・醤油味」というのもなかなか独創的なメニューだと思う。おそらく、そのおっさんがよく行くどこか別の店の看板メニュー(というか、おっさんのお気に入りということかと思うが)なのだろう。そして、それが世の中のどの店にもあると思っているのが最高だ。

カニ炒飯を食い終わったおっさんは、炒飯の皿の上に、スープの器、水のコップ、おしぼりなどをてんこ盛りに重ねて、またしてもずんずんと出て行くのであった。勝手に器を重ねるのは、特に中華などではグラスや器の糸底が油で汚れるので、店としては勘弁してもらいたいことなんだが、そんなことはまったくお構いなしなのである。

街場中華のおっさん その2

その1とは別の某お店で、店に入ってくるなり「餃子と酢豚!」と、これまたメニューを見ずに叫ぶおっさんがいた。

店の人は「スミマセン、本日、餃子が売り切れてしまいました。酢豚は当店はメニューにありません」。

それを聞いて、「じゃ、ソース焼きそばと半炒飯!」とまたしてもメニューを見ずに躊躇することなく注文する。

この人も、おっさんその1と同様に、何が食いたいのか、そしてそれがダメだったときのオルタナティブへの飛躍が、まったく理解を超えている。共通するのは、メニューをまったく見ないことと、注文に迷いや逡巡がないことだ。

いずれのおっさんも、その店は初めてらしいのだが、例えば「この店は半炒飯を出してくれるのだろうか?」であるとか、「焼きそばはあんかけなのかソースなのか、あるいは上海風なのか、あんかけだったら揚げ麺なのか炒め麺なのか、それともそれらが全部あるのか?」などということを見事なまでに考えていない。

私の場合、店によって特徴のあるメニューを見て「さて、どういう順番で何を食おうかな?」などとビールを飲んで考えるのが楽しいし、その読みが当たったり外れたりするのも外食の楽しみの一つなのだが、「世の中、いろいろな人がいるものだ」と痛感させられるおっさん二人であった。

とはいえ、この二人は一見さんであって「常連」ではないので、「店と客は『ご縁』である ウイスキーと酒場の寓話(4)」で書いたような、常連が後で入ってきた見知らぬ一人客を「テメェ、どこのモンじゃ!?」などという表情で睨み付ける、などということはない。注文がちょっと面白いだけで、何の罪もない存在だ。キレイに全部平らげて、サクッと出て行くのも共通だった。客によっては、ラーメン1杯を麺は伸びスープは冷めても延々と食っていて、しまいに残して出て行くといった調子(体調ではなくて)の悪いこともあるので、短時間で平らげるのは気持ちが良い店の使い方だ。

街場中華での変な注文といえば、テレビの「孤独のグルメ」に出たこともある某お店でも、忘れられない例が二つある。

入ってくるなり、立ったまま、席に着く前にいきなり「熱燗と目玉焼き2つ!」という注文のおっさんがいた。熱燗はまだしも、酒肴としての目玉焼き2つという選択に驚かされた。もう一つは、雨の日にびしょ濡れの合羽を着たまま入ってきて、壁の短冊の前に仁王立ちすること2分。選んだのは「カツ丼」。出てきたカツ丼に塩をかけてまずカツを食い、残ったご飯にまた塩を振って食っていたお姉さん。みなさん、お元気にしていらっしゃいますでしょうか?

もう一人、傑作なおっさんを紹介して今回は終わりにしたい。テレビがある(これ大事。私はテレビが無いからでもあるが、15時半くらいに行くと競馬が見られる。古いテレビが棚の上に置いてあるのがお約束)某お店で、稀勢の里が横綱に昇進して久しぶりの4横綱となった場所。そのおっさんは、早い時間から来て、テレビの前の特等席に陣取っていた。しかし、まだ17時ちょっと過ぎ、稀勢の里が登場するずいぶん前に、既に飲み過ぎて撃沈、テーブルに突っ伏して寝ていたのであった。準備が良すぎるというのも考えものだ(酒についてだけは準備が良い、というのが酒飲みではあるが)。

飲んでよし、食べてよし、一人でよし。単品料理があって、ラーメン屋よりメニューが豊富。餃子とラーメンは必ずあるけれど、変に奇を衒ったりしておらず、醤油味の普通のラーメンが食べられる。本格な中華料理店よりはるかに安いし、たまに抜群のピータンに遭遇したりする。夏には、豪華に過ぎない丁度良い感じの1000円しない冷やし中華を出してくれる(1500円超などの豪華冷やし中華は何かが違うと思う)。

食事の場所というだけでなく、そこに集まってくる人たちを見ていても、街場中華はいろいろと楽しい。ほとんど毎日、年金生活であろう人たちが集まる店がある。「なんで、ここはカラオケがないんだろうね?」「アカペラでやれよ。ま、あんたは素人なんでシロペラだ」などという、いつもの同じ話、同じ駄洒落で賑わっていたりする。これはもう、自然発生的なまだ酒が飲める元気な皆さん向けの「デイサービス」に近い。当然、そんなときは、私はいつも最年少だ。入って行くと「お兄さん、お帰り」などと声をかけられたりする。そういうのが嫌いな人もいるだろうけれど、「テメェ、どこのモンじゃ!?」ではないので気にしない。

こんな感じで、とてもありがたい存在なのが街場中華なのだ。ビールを飲んで、冒頭の辣子鶏とワンタンスープ、小ライスくらいで幸せな食事が完成する。街場中華は、住んでいるところの徒歩圏内に、絶対に必要な存在だ。住むところを決めるときに、駅から何分かなどの不動産の物件情報よりもむしろ、歩いて行ける範囲あるいは最寄駅の近くに街場中華があるか、そこではどんなものが食べられるのか、ということを確認しておくべきなのである。


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出版社
平凡社
著者名
田邊俊雅、メヘラ・ハリオム
新書
232ページ
価格
820円(+税)
ISBN
4582859283
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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。