オーケストラでは、予期せぬ事故が起こります。日本で大変有名になった話があります。かつて『題名のない音楽会』というTV番組で、司会の黛敏郎さんが、ゲストの指揮者山田一雄さんに、ちょっと聞きにくい話なのですが、と断って、公開の席上で尋ねられたことがあります。そのエピソードは、私も前々から聞いていて、本当かどうか知りたかったので、果たして山田さんはどう答えられるか、興味津々で見ていました。ご本人は黛さんの遠慮しながらの確認に、否定をされなかったので、噂は本当だったようです。噂って何か、とおっしゃる?
山田さんは、大変身振りが大きい(ご本人は比較的小柄なのですが)方で、指揮台の上で、結構暴れられる。ある時、指揮台から客席に落ちてしまわれた。そのとき、何事もなかったように、棒を振りながら、舞台にのこのこと上がり、指揮台まで辿り着いた、というお話です。それでも、この時は音楽に滞りはなかったでしょう。
指揮者は、曲の最初、出だしの部分で「空振り」をしてくれる親切な人が少なくありません。「空振り」というのは、聴衆に見えないように、手元で、これから奏でようとする音楽をそっと何拍子か振ってから、本当の音の出だしの合図(アインザッツ、<Einsatz>=独語)に入ることです。
でも、すべての指揮者が、楽団員にこれほど親切とは限りません。自分の音楽を始めるためのアドレナリンが高まって、指揮台に駆け登るやそのまま一気に棒を振り下ろす人もいれば、上の方から振り下ろした棒の動きのどこかで出てくれと、楽団員の機転に賭ける人もいます。フルトヴェングラーとも親交のあった近衛秀麿さんが「振ると面食らう」という綽名(あだな)で呼ばれたことは、クラシック音楽にあまり関心のない人でも知っているはずです。各楽器がばらばらと、あるいはおずおずと、出る、出ないの中間のような惨憺たる状況で曲が始まってしまうことも、無いわけではありません。
近衛さんには、もう一つ有名なエピソードがあります。プログラムは、最初がベートーヴェンの『田園』で、その後に『運命』となっていました。メンバーに配られている楽譜は、もちろん先ずは『田園』のパート譜です。ところが、楽屋から指揮台へと出て来られた近衛さんの姿、表情を見たとたん、コンサート・マスターは「あ、いけねぇ」と思ったそうです。どう考えても、優しく穏やかな『田園』の音楽に取り組もうとする面立ちではなく、『運命』のあの運命的な音楽に取りつかれた表情であり、姿・容であったからです。案の定、指揮台に上がった近衛さんは、えいやっとばかり「ダ・ダ・ダ・ダーン」を思いっきり引き出す仕草で棒を振り下ろしました。まるで違った音楽が、始まったのはいうまでもありません。なお、このエピソードは、別の指揮者のこととしても語り継がれています。
これは、私が実際に体験した演奏会での出来事です。ある三楽章形式のピアノ協奏曲の演奏が終わって、拍手が起こっているのに、ソリストはピアノの前から立ち上がりません。何か指揮台の上の指揮者と話を交わしています。やがて、指揮者は頷くと、楽員に指示を出しました。第二楽章の冒頭から、再び演奏が始まりました。何事もなく終楽章まで終わって(つまり、聴衆は第二楽章から先を二回聴くことになりました)、ピアニストは今度は立ち上がって、聴衆の拍手を受けました。第一回目は、ソリストとして、どうしても満足できない演奏だったのでしょう。ちょっと珍しい経験でした。
協奏曲のソリストは、初演で楽譜の入手が演奏会直前のような新曲の場合を除けば、一応暗譜で弾くことを習慣としています。シューマンのピアノ協奏曲の第三楽章で、ピアノとオーケストラとが上手く合わなくなる難所があります。基本のリズムと譜割が、必ずしもすっきりと合致しているとはいえないように原曲が書かれているからなのですが、ある演奏会では、ここで音楽が停まってしまいました。第三楽章の最初に戻って、再度そこへ差し掛かったのですが、ソリストが混乱していて、再び停まりました。最後に楽屋から譜面を持ったマネージャーが出てきて、ソリストは譜面を置いて弾いたのです。この場面は、実は暗譜の問題ではない、つまりは譜面がある無しと直接関係がない難所なのですが、譜面があることが、混乱から立ち直れる精神安定剤になったのでしょう。これは、特殊な例ですが、そうでなくとも、ソリストが暗譜を忘れて、最後に譜面を持ち出して切り抜ける、というような事態は、時々起こります。
これは私自身の経験ではなく、聞き伝えですから、何処まで本当か保証の限りではありませんが、申し訳ないがとても滑稽な話が伝わっています。ある演奏会で、音楽が高まって行ってアクメに達したとき、シンバルの強烈な一打が鳴り響きました。その次の瞬間、シンバルの革ひもが切れて、片側が舞台に縦に落ち、あろうことか、立ったまま雛壇をトントンと下の段まで独りでに降りていったのだそうです。
私の師匠についての伝説です。演奏中に右手の弓が手を離れて客席まで飛び、受け止めた最前列のお客様が恭しく弓を捧げ持って、舞台上の青木十良先生に手渡された、というのです。
弦楽器の前の方で演奏するプレイヤーには、指揮者から色々なものが飛んでくることがあります。最も頻繁に襲うのは、指揮棒です。普通の指揮棒は、握りのところに、コルクの丸い球がついていて、手から滑り出すことは先ずないはずなのですが。もっとも、指揮者の別名は「棒振り」ですが、棒を持たないで指揮をする人も沢山います。棒以外にも飛んで来ます。亡くなった岩城宏之さんは汗かきで、譜面の上によく汗が降ってきました。
弦楽器でよく起こる事故は、演奏中に弦が切れることです。ソロの演奏会ならば、演奏会の前日くらいに、四本の弦をすべて新しいものに張り替えるくらいの心配りをするのが普通です。もっとも、最近専ら使われる金属弦(スティール弦)ならばともかく、ガット弦だと、張り替えて暫くは弦がある程度延びます。ヴァイオリニストの中には、ヴァイオリンの糸巻きのついた竿だけ、言わば模型のようなものがあって、新しい弦を下すときには、数日はその模型に弦を張っておくことが習慣という方もおられます。とにかく、オーケストラの本番だからと毎度弦を張り替える演奏家は先ずいないでしょう。
弦はやはり、張っている間に疲労しますし、切れるのは止むを得ないことです。多くの場合、プルト(Pult=ドイツ語、原意は書見台、ここでは譜面台ですが、転化して弦五部のそれぞれのセクションの並び)の最後尾の席には、目立たないように、予備の楽器が一台用意されていて、切れた楽器は後ろへ送られ、予備の楽器が前へ前へと手渡されるということで切り抜けます。
何だか、事故の話ばかりが続いてしまいました。オーケストラ特有のことを、少し続けましょう。これも弦楽器に関することですが、ときどき楽譜に<div>もしくは<divisi>という符号がつていて、その部分だけ楽譜が上下二揃いに別れることがあります。既にプルトのことをお話しましたが、弦楽器の並び方は通常一つの譜面台を二人ずつで見るように仕組まれています。そのそれぞれをプルトといいます。第一列の二人が第一プルト、次の二人が第二プルト、という具合です。それぞれのプルトの内側の人が、譜めくりをするのが原則です。それで、皆が同じ音楽を奏するようになっています。
ところが、オーケストラの弦の様子を注意深くみていると、ときどき、各プルトの外側の人と、内側の人が違うことを演奏しているらしいことに気付きます。外側の人だけが弓を動かしていて、内側の人は、何も音を出していないように見える。あるいは、外側の人と、内側の人とが、まるで違う弓遣い、指遣いをしているように見える。そんな時があります。それが<divisi>です。つまり、同じセクションのプレイヤーが別々の仕事を分かれて(divided)するように指定されていることがあるのです。
オーケストラの演奏会で、何よりも大事な仕事を受け持っているといって良いのが、ステージ・マネージャーです。演奏会のプログラムに従って、最初の曲から、最後の曲まで、楽器編成は当然変わりますから、それをすべて熟知していること、それが「ステマネ」(と省略するのが楽隊用語ですが、私はこのような省略語が嫌いなので、ここで意図的に一回だけ使います、そういえば、オーケストラも、しばしば「オケ」と縮められますが、この文章で、私は一度もその略称を使ったことはないはずです)に求められる第一の要件です。
弦五部はそれぞれ何プルト必要か、管楽器の編成はどうなるか、打楽器は何が登場するのか。それらを了解した上で、それぞれのパートに必要なだけの譜面台を置き、椅子をセットする。これだけのことですが、この作業が実に微妙で大変です。当然ながら、一人ひとりのプレイヤーの視野の正面に指揮者が見えるように座席設定が行われなければなりません。弦五部にせよ、ホルンやトロンボーンなど、近隣に座る人たちの運動空間が、充分に確保される必要もあります。弦なら弓の運動が、隣の人とぶつかったり邪魔したりすることは許されません。だから、譜面台と次の譜面台との距離にも、丁寧な心配りが必要です。
今、「社会的距離」が大きな話題ですが、オーケストラでは譜面台距離が、元々とても大事な問題なのです。管楽器では、時に持ち替え(同一のプレイヤーが複数の楽器、例えばオーボエとコール・アングレなどを演奏すること)の可能性があります。その時は、もう一つの楽器の置き場所にも配慮が要ります。
余計なことですが、コール・アングレは、お判りのようにフランス語、英語で言えば「イングリッシュ・ホルン」です。ホルンとはいえ、金管楽器のホルンとは似ても似つかぬものです。二枚リードの縦管で、音はオーボエに近い、しかし、落ち着いた独特の音質を持っています。交響曲で最も有名な出番はドヴォルザークの『新世界より』の第二楽章、あの「家路のモティーフ」として知られるメロディをソロで吹きます。その他、管弦楽曲ではロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』、シベリウスの『トゥオネラの白鳥』などに堂々たる出番があります。
ホルンの名がありながら、金管のホルンとはまるで違うもう一つの楽器にバセットホルンがあります。こちらはリードは一枚、つまりクラリネットの親類のような楽器ですが、より低い音域までカヴァーし、クラリネットが直管であるのに、この楽器は途中でやや手前に曲がった形をしています。この楽器のために書かれた曲として最も重要なのは、普通はクラリネット協奏曲として知られるモーツアルト晩年の傑作(K.622)です。この曲は、一般にクラリネットで演奏されますが、本来はバセットホルンのために書かれました。だから、クラリネットで演奏するときは、低音域で音を原作とは変えなければなりません。
脱線しました。ステージ・マネージャーの話です。その上、ホールには、広さや奥行き、あるいは音響効果などで、それぞれに特性があります。さらに、指揮者の好みも加わります。楽屋から指揮者が登場するときの歩行路線の問題もあります。協奏曲が、特にピアノ協奏曲がプログラムにあれば、当然ピアノの位置、指揮台上の指揮者とソリストのアイ・コンタクトの確保などから、ピアノの客席面に移動中に付くかもしれない掌紋の消去などに至る、すべての要素に気を配り、神経を働かせなければならないのが、ステージ・マネージャーなのです。しかも、出来上がりは、上手くいって当たり前、聴衆の拍手も貰えなければ、指揮者の労いも、楽団員の表立った感謝も、通常はありません。職業的オーケストラには、あらゆる事の細部まで知り尽くした専属の名物マネージャーがいるのが通例だと思います。
もっとも、学生オーケストラでは、とてもそんな真似はできません。現役プレイヤーの誰かが担当することになりますから、なかなか行き届かないことも多く、プレイヤーはそれぞれ自分の席に座ってみて、自らの判断で、座る椅子の位置やら、譜面台の高さやらを調整するのが普通です。
日本にも、職業的オーケストラは数多くありますが、それに入団するのは、大変狭き門のようです。弦楽器では、一つのポストに百人近くの応募者が押し寄せることもあると聞いています。バックに大きな組織(例えばNHK、あるいは読売新聞社など)がついていて、経営上その庇護が期待できる団体は僅かであり、残りは、演奏会の上がりでやっていかなければならないのですから、就職先としても安定した大企業やお役所とはまるで違います。映画やドラマの伴奏(楽隊用語は使いたくありませんが、いわゆる「劇伴」のことです)などに出演して稼いだり、個人レッスンをとって辛うじて生活を繋いでいるプレイヤーの方が多いでしょう。流行歌手のバックで演奏しているプレイヤーの中に、著名なクラシックの演奏家を見出すことは、流石に最近ではあまりありませんが、昔はよく経験しました。
「三・一一」後の仙台フィルハーモニーの苦闘の状況は、NHK-TVのルポルタージュ番組で何回か放映されていましたから、ご存じの方も多いかもしれません。同じことが遥かに広汎に起こっているのが、ヴィルス禍にある今の日本です。
かつて共産圏には「国家芸術家」と称される人々がいて、彼らは、国家によって完全に生活を保障されていました。芸術家だから社会が自分の生活を保障するのは当然だ、という些か夜郎自大な発想は、そもそも芸術家という立場には似合わない、という見方にも私は十分一理あるとは思いますが、オーケストラのプレイヤーが「芸術家」であるか、むしろ「職人」ではないでしょうか。これは決して貶めているのではありません、バッハもモーツアルトも私は「職人」で、「芸術家」ではなかった、と思っています。バレーにせよ、オーケストラにせよ、多くの人的資源(嫌な言葉ですが)がなければ成り立たない文化活動の基礎を、国家が支えるのは当然だろう、という見解を否定することはできないと私は思います。
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登録はこちら上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。