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村上陽一郎

エリートと教養17 「男と女」ジェンダーとは何か? その1

2021.03.23

Updated by Yoichiro Murakami on March 23, 2021, 12:48 pm JST

このタイトルで何を思い浮かべられるでしょうか。私たちの世代ならば、一番先に頭に浮かぶのは、無名の作家だったクロード・ルルーシュを、一躍世界一流の映画監督にのし上げた名画のタイトルです。私は、扱われるテーマの切なさもさることながら、この映画の映像の類まれな魅力に、完全に虜になった記憶があります。

もっともその中に、アヌーク・エーメの魅力も多分に入っていたことは確かでしたが。さらに、ピエール・バルーが歌った「サンバ・サラヴァ」の素朴な美しさ。バルーは、スタントマンとしての事故で亡くなってしまう「女の夫」まで演じているわけですが、結局、この映画に描き出されている世界のすべてが、なんと魅力に溢れていたことでしょうか。面白かったことを付け加えれば、最初のタイトル(邦語)の後に現れる推薦団体の中に、カトリック中央協議会があったことです。

さて、男と女についてですが、今なら日本オリンピック協会の前の責任者、森喜郎氏の舌禍問題でしょうか。あるいは、最近しきりに論じられる性同一性障害の話でしょうか。少しハイブロウな方なら、ユングが提唱した「アニマとアニムス」の対比かもしれません。

少なくとも、このジェンダーの区別を無視しては、人間の歴史は一切語れません。そこで、現在では触れるのが最も危険なこの話題に、ここではできるだけ穏当な形で挑戦してみることにします。

村上陽一郎取り敢えずは、人間ではなくヒトの話から始めます。おさらいをしてみましょう。周知のようにヒトの場合、男女の性の区別の出発点は、ゲノムにあります。ゲノムの判り易い表現は染色体です。ヒトの染色体は23対、23番目が性決定を司るもので、通常「性染色体」と呼ばれます。

生物一般には性染色体は、ヒトのように雄性で異型(ヘテロ)、つまり対になっている染色体が相互に異なっていて、雌性では相同(ホモ)、つまり同じ染色体で対ができているもの、逆に雄性相同で雌性異型のものなど、いろいろな組み合わせがあり得ますが、前述のようにヒトの場合は雄性異型・雌性相同であり、異型の雄性をXY、相同の雌性をXXと表現します。

23対の染色体は、大体はその大きさの順番で番号が振られています。従って21番、あるいは22番などは、1番に比べれば四分の一ほどの大きさです。ところが面白いことに23番のX染色体はかなり大きく、6番のものとほとんど同じ大きさがあるのに比して、Y染色体はヒト染色体の中でも最も小さいものに属します。

つまり、ヒトにおける雌性の基礎は、かなり多くの遺伝関係の素因を含んだX染色体にダブルで支えられているのに比べて、雄性はそれがシングルで、後は性決定情報の他はほとんど何もない染色体しか持たないということになり、雌性に比べて雄性は「欠陥」を持つ、と表現しても良いことになります。

なお、染色体には時に異常が発生します。例えばモノソミー、あるいはトリソミーといわれる異常が一般的です。減数分裂の際の不具合、あるいは受精のときの不具合など、原因は幾つかあるようですが、モノソミーというのは、その名の通り対であるべき染色体がその対だけ1本欠けてしまうことであり、トリソミーというのは、対である染色体にたまたまもう1本染色体が加わって3本になることです。

性染色体以外の常染色体で、しばしば指摘されるのは21、18、13番のトリソミーです。だたしこれは、誕生が可能であったために観察されて記録が残るのですが、これらの染色体にとりわけトリソミーが多いわけではないとのことです。実際に最も起こりやすいのは16番染色体というデータもありますが、先の三つ以外で起こるトリソミーは、16トリソミーも含めてすべて致死因子で、妊娠途中で流産してしまう運命にあります。18、13番も雄性にとってはほとんど致死因子となるようで、21トリソミーは比較的軽微な影響(ダウン症候群)の下に男女ともに誕生を迎えることができるとされています。

当然、性染色体にもこうした異常が起こることがあります。雌性の場合に最も起こり易いのはXXYで、クラインフェルター症候群と名付けられています。場合によってはXXXもあって「スーパー女性」という名で表現されます。雄性の場合はXYYがそれに当り、「スーパー男性」と呼ばれます。他方、性染色体におけるモノソミーは、雌性ではXO、雄性ではYOと表現されますが、この<O>は「オー」という因子ではなく、「ゼロ」つまり欠落を意味します。これらモノソミーでは雌性は「ターナー症候群」という障害を持って生まれることがありますが、雄性では致死因子となり、生まれることはない、と考えられています。

さて、以上のような観察だけからも、生物学的に雄性が「欠陥生物」で、母親の胎内にあるときすでに、雌性に比べて遥かに大きな死の危険に晒された存在であることが判ります。<Frailty, thy name is woman>とはかのハムレットの名台詞ですが、坪内逍遥の「弱きものよ、汝の名は女なり」なる訳が今日まで通っています。ただ、この<frailty>という言葉は、坪内訳がともすれば導き勝ちな、「はかなき」、「嫋やかな」というような意味では一切なく、むしろ徹底した女嫌いであったシェイクスピアらしく、「誘惑に陥り易い」、「過ちに陥り易い」、「悪に染まり易い」という、むしろ悪い意味だと思います(そんなことを今言えば、忽ち森喜郎氏どころの騒ぎではなくなりましょう)が、生物学的にはどうしても、「弱きものよ、汝の名は男なり」でなければならないことになります。

母親での受精の瞬間から、雌性よりも遥かに高い死亡率を持っていた雄性が、男性として世に出たあとの運命もまた、全く同じことであるのはよく知られた事実です。男性の平均余命が、どの文化圏でも女性のそれより有意に、しかもかなり短いことが、それを物語っています。「弱き性」が、雄性であり男性であることは、理論的にも経験的にも、一目瞭然ではないでしょうか。

さて、これまで雄性・雌性と男性・女性(この順番の表現自体も、問題にするとすれば、問題になるかもしれませんが)とを使い分けてきましたが、それは、それなりに意味があると考えたからです。

男性性と女性性とは、性染色体の違いだけで決まるものではないからです。遺伝情報によって定まる特性の発現は、一意的な決定論のようなプロセスではなく、その生体が受精卵から辿る様々な環境によって、多様に変化します。その過程を通常は「エピジェネティクス」と呼びます。雄性が男性に、雌性が女性に、と繋がるプロセスは、完全決定論ではないことになります。性決定に関して最も厳密な意味でのエピジェネティックな現象は、X染色体の不活性化と呼ばれる現象です。トリソミーなどでX過剰を来たしている場合に、X染色体の一つがその作動を抑制される、ということが起こります。それは典型的な、かつハードなエピジェネティクスとして知られています。

しかし、より広い意味でのエピジェネティックな現象は、遺伝子によってもたらされるはずの結果を生体が十分に実現できないというような事態を指します。本来ならY染色体の遺伝子によって充分な精巣が造られるはずが、何らかの理由で不全な形になる、あるいはホルモン形成やその分泌に不全が起こる、など様々な不具合が生体内ではしばしば起こります。それによって、生物学的雄性が(雌性も、ですが)充分な男性性を発揮しない、という結果をもたらすことがあり得ます。

さらに視野を広くとれば、人間の人格が形成される過程でも、生物学的な性と自らの人間としての自覚とが、ずれる場合が生じることがあります。男性性の自覚や女性性の自覚は、完全に生物学が保証する遺伝形質だけではなく、社会環境によっても後天的に形成される部分があり、それが生物学的な性と不一致になることもないわけではないことが、現在、社会的に問題化している性同一性障害を生む原因となっていると思われます。

村上陽一郎

もっとも、有名なジョン/ジョゥン事例(John-Joan)というのもあり、一筋縄ではいかないこともまた確かです。この事件は、一卵性双生児の男児の二人のうち一人が、非常に幼い頃、男性器を失う事故に遭い、両親は医師の協力を得て女児として育てた、という話です。これは、先天性か後天性かという問題を考える格好の例としてしばしば引用されるものです。同じような事例としては、カナダで起こったライマーという人物に関するものがあります。やはり、幼い時に男性器を損傷し女児として育てられ、最終的には男性として生きる道を選んだ人物で、彼は同じような事例で両親が女性として育てることの誤りを世に告げたくて、すべてを公表したというのです。

事程左様に、ヒトでは比較的簡単な性の区別が、人間になった時の自己意識の形成に繋がるとき、極めて複雑な様相を呈すると考えるべきでしょう。

※この稿続きます。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。