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村上陽一郎

スーパー書評「漱石で、できている」8 帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

2020.10.26

Updated by Youichirou Murakami on October 26, 2020, 09:00 am JST

著者は精神医学の専門家で、臨床医でもあるかたわら、現在は九州でクリニックを開いておられる現役の医師。他方、もともと大学ではフランス文学を専攻し、医学は大学に入り直されて資格を取られた、という経歴からも推測できますが、文芸の世界にも独自の世界を切り開かれ、多くの小説を世に問うて来られました。

村上陽一郎中でも、朝鮮半島から北九州の炭鉱に連れて来られた朝鮮の若者が、苦難の生活を重ねながら生き永らえ、戦後韓国へ帰って実業家として成功し、もう一度日本の地を踏むために海峡を渡る(都合三回の海峡渡海です)という物語の『三たびの海峡』(新潮社)は、三国連太郎の主演で映画化されました。数多くの医学絡みの小説もあり、その中の一篇『閉鎖病棟』(新潮社)も比較的最近映画化されています。また、『蛍の航跡』と『蠅の帝国』(どちらも新潮社)の二部作は、戦中の軍医たちの様々な生き方を集めた、ユニークな短編小説集として知られるものです。

『源氏物語』には並々ならぬ関心がおありとお見受けするのは、ペンネームの「帚木」。これは、いうまでもなく『源氏』五十四帖中、最初の「桐壺」の次からの三帖を「帚木三帖」と呼ぶ人もいる、その筆頭の「帚木」であり、さらに、末摘花との再度の関りを扱った「蓬生」(よもぎう)が、ペンネームに使われていることでも、推し量ることができましょう。

ここで、少し異例ですが、『蛍の航跡』が出版された際に、私が毎日新聞の書評欄に書いた文章(2012年1月8日付)を再録しておきましょう。途中の注記は、ここに再録するときに加え、ごく僅か原文を改訂したところがあります。

同じ著者の前作『蠅の帝国』の続編である。現役の医師としての著者ならでは、という側面も含めて、副題「軍医たちの黙示録」が示すように、第二次世界大戦に従軍した陸海軍の軍医たちからの聞き取り調査をもとにした、十五の短編からなる異色の小説集である。前作が、内地と中国大陸での従軍記録が主だったとすれば、本作は太平洋戦争のそれが主となっている。いずれにしても、正月早々にしては、重い内容の書物を紹介することになった。

実は、私の父は海軍の軍医であった。この作品に登場するには、やや早過ぎた年齢で、本作がスポットを当てている昭和十年代後半には、時に本書でも言及される築地の海軍軍医学校で教鞭をとっていた。さらにいえば、「海軍が誇る高速戦艦<比叡>」と書かれている艦には、私自身乗ったことがある。この「比叡」は、珍しい運命を辿った船で、起工は明治末期、巡洋戦艦として建造され、ワシントン条約で、主砲、水雷、航空機などの兵装を下ろした練習戦艦となり、天皇が座乗される「お召し艦」を経て、再武装の上、大改装を行い、高速戦艦(最高速度30ノット*)と謳われたが、太平洋戦争で最初に沈められた戦艦ともなった。四歳のとき私が乗ったのは、いわゆる「紀元二千六百年記念」の観艦式で、この時は「お召し艦」、父親は艦隊軍医長であった。

*今の読者には理解が届かない恐れがあるので、書いておく。当時の軍艦の中で、最も高速を誇るのは水雷艇(魚雷艇)で、最速は40ノットを越えた。駆逐艦がこれに次ぎ、戦艦や空母は重装備なので、精々最速26ノット程度が普通であった。従って当時の戦艦で30ノットというのは、「高速」と呼ばれる資格が十分にあるといえる。因みに、大和、武蔵,信濃の巨大戦艦(信濃は、後に計画変更で空母)の最速は27ノットといわれる。

そのほか、本書では。赤痢症状の改善のための腸管洗滌や湿布など、いろいろな機会に「リバノール液」が登場する。振り返ると、家にいるときの父親は、確かに、何かというと私たち家族にリバノール液を使った。ペニシリンなどのない時代(本書では、一回だけ米軍捕虜が携行していたペニシリンについての記述がある)の、最も便利な感染予防薬の一つがリバノールだったのだ、と今更に思い返す。こんなことを書いていては、肝心の紹介ができなくなる。ただ、私としても、そんなことで、本書には特別の思い入れが生じていることは、記してもよいだろう。

戦記文学としては、私たちは、戦前には岩田豊雄、丹羽文雄ら、戦後には大岡昇平や武田泰淳らを数えることができるが、軍医という目を通した作品というのは、意外に少ない。前作と併せて三十人の軍医たちが、戦争の現場で、何をし、何を見、何を得、何を失ったか、その克明な記録として、大きな価値がある。声高な反戦の声も、高級軍人の回顧録にありがちな自己弁護もなく、小説家としての著者の感性と手を通っているとはいえ、むしろ淡々と綴られている一節一節が、読み手のこころを捉える。

必ずしも、極端に悲惨な話ばかりではない。最初の「抗命」と題された項は、軍司令官の命令を聞き入れなかった中将の精神鑑定を命じられた医官の話であるし、次の「十二月八日」も、題名から判る通り、戦局が悪化する前の話題である。「巡回慰安所」は、事の性質から、医官が関わらざるを得ない場面であるが、そこにはある種のユーモアも漂う。

「杏花」は、中国大陸での話題だが、むしろ医官の人柄から、現地の人々との心の触れあいを描いて、暖かい印象を残す。「死産」も、ビルマでの医官と現地人との交流が主題で、短いが爽やかな読後感がある。「野ばら」は、状況は深刻なのだが、そのなかで、軍医がドイツ語で「野ばら」を歌うエピソードがあって、それが人間味の象徴のような働きをしている。そういえば、軍医だった父親が、最初に幼い私にドイツ語のリートを教えたのが、「野ばら」であった。読みながら、私もそっと口ずさんでみた(Sah ein Knab’ ein Roeslein stehn)。

しかし、圧倒的な力で迫るのは、やはり傾いた戦局のなかで、人命が、芥のように扱われ、ほとんど無意味に失われていく場面を描いた項である。そこでの戦う相手は、もはや「敵」ではなく、飢えと病いであった。「軍靴」(普通「ぐんか」と読むのだろうが、ここでは「ぐんぐつ」とルビが振られている)や「下痢」と題されたものが、その典型である。投降することを最大の恥辱として認めなかった旧軍隊は、事態が絶望的になっても、何とか転進に転進を重ね、泥濘や険路をひたすら進む。目的地は、戦況によって次々に変わる。落伍する仲間を見捨てる以外にはないなかで、生命を救うはずの医官が、どのように感じ、苦しみ、そして行動したか、それを本書は克明に描いて余すところがない。

「行軍」では敗戦後、豪軍の捕虜収容所での地獄のような状況が綴られている。闘いで死なずに済んだ兵たちが、病気と飢餓、さらには乱暴な扱いのなかで次々に亡くなっていく。「私たちは、降伏したあと、眼に見えない攻撃を受けたのだ。それも徹底的に」という言葉は重い。異色なのは「二人挽き鋸」で、これは敗戦後ソ連軍に徴用された兵士たちが、強制労働のなかで死んでいく。そのリストを命がけで守って日本へ持ち帰った医官の物語である。本書は小説ではあるが、事実よりも豊かな真実を告げているものとして、永く読み継がれるべきものと信じる。

さて、こうした小説作家として活動しておられる帚木氏ですが、氏には、例えばフランス、ルルドのマリアの洞窟を描いたルポルタージュ風の作品『信仰と医学 聖地ルルドをめぐる省察』(角川書店)もありますし、ここで紹介する書物のような著作もあります。著者は、この本の主題である「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方をイギリスの詩人キーツ(John Keats, 1795-1821)から学んだといわれています。キーツについては、第一章で詳細に語られます。英文学に無知な私は、詩人としてしか認識していませんでしたが、実は、キーツには医学を学んだ経歴があったのだそうです。

経済的にもただならぬ状況の下で、詩への思いも黙し難く、その窮状の中で<passive capacity>という創作上の鍵となると思われる理念を思い付きます。これは、何か外のものに共感して生まれてくる想像力のようなものであり、その発展させた形が<negative capability>となるのだそうです。

真の才能とは、個性とアイデンティティを持たず、不確実さと懐疑の下での存在であり、そうであって初めて、他者の理解を可能にするだけの創造力が生まれてくる、ということになります。キーツが考えていた文脈は、詩や芸術の分野であったようです。しかし、この言葉は、弟に宛てた手紙の中で一回だけ現れるので、その後の長い間、誰にも気付かれずに眠っていました。

二百年近くが過ぎて、同じくイギリスの、精神科医であるビオン(Wilfred Bion, 1897-1979)が、精神科医としての背景の中でこの言葉を掘り起こし、人々の関心を呼び寄せました。著者は、このことを二重の奇跡とまで記しています。著者の筆は、日本ではあまり馴染みのない精神医学者ビオンが、第一次世界大戦に参戦し、士官として活躍した後、医師になる教育を受け、臨床医としての毎日を送るに至る、その生涯に関する詳細な解説に及びますが、それは、本書に直接当たって確認して下さい。あのノーベル賞受賞の文学者ベケット(Samuel Beckett, 1906-89)を二年以上にわたって治療したというエピソードが含まれています。念のためですが、ベケットは普通フランスの作家として(作品も著名なものはフランス語です)知られていますが、もともとはアイルランド生まれ、若い頃はイギリスで生活していました。

村上陽一郎

著者の分析は、この二人の出会いが、ビオンにとっても(ベケットにとっても)重要なエポックであった、という結論を導きます。ベケットの後の諸作品で示される、言葉への不信感、言葉は意味を決める働きをしながら、決めることによって、常に掬い落して、残されてしまうものがある、二人がその残されたものへの向けた眼差しこそ、そこから表現されたものこそ違え、二人が共通に追求するもとになったのでは、と著者は書きます。

ビオンは、患者との会話を通じて「言葉の力」と「言葉の無力」の双方に気付いたのでしょうか、対話の中に現れる不合理さ、不可解さの中から、性急に結論を求めず、宙ぶらりんの状態に耐え抜く力こそが、臨床の現場に必要なことを悟ったのではないか。それが著者の結論といって良いでしょう。ビオンが一九七〇年に著した『注意と解釈』という書物の中に、初めてキーツの「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉が現れるのだそうです。

こうして第三章までで、この概念が世に出る経緯が懇切に明かされます。その後は、著者が臨床医として、患者との間で生まれた様々な状況下に、この概念が必要な構造になっていく姿が、詳細に語られます。

実際、近代社会においては、問題が起こった際に、できるだけ効率良く、問題の依って来る根拠に迫り、必要な知識を総動員して、その根拠の除去のためにあり得る最善(ユニークで、ベストな)の方法を探し当て、果断にそれを実行する能力が珍重されます。とりわけ、為政者やリーダーなどが、そうした能力を欠くことは、致命的な欠陥と評価されるでしょう。これまでの話の筋道から逆算すれば、こうした能力は「ポジティヴ・ケイパビリティ」ということになりましょう。確かに、この能力を全く持たない為政者やリーダーは、その資格を持たないものとして排除されるでしょう。
しかし、それは「常に」なのでしょうか。

例えば、今日のヴィルス禍を例に採りましょう。我々は(専門家も含めて)、COVID-19なるものについて、当初はほとんど知見も経験も持ちませんでした。しかし現実には、感染は待ったなしで、どんどん広がっていきます。各国の為政者は、それぞれの国情や、それぞれの状況に応じて、良いと思われるいろいろな対応策を講じてきました。

例えばスウェーデンのように、社会免疫が得られれば終息に持ち込めるだろう、という期待の下で、ほとんど何の手も打たなかったところもありました。中国のように、最初から厳しい強権力を発揮して、徹底した管理体制を敷いたところもありました。フランスは、そうした中国の方法に対して<liberticide>という厳しい言葉を使ってまで批判しましたが、そのフランスが今は二度目のロック・ダウンで、違反には罰金を以て臨んでいます。

日本は、早期に学級閉鎖に踏み切り、後は比較的緩い自粛要請だけで対応してきました。結果は、他国に比して、まあまあ「利多く、害少ない」方ではなかったかと、私は評価していますが、もちろん日本のとった政策が「ベスト」だったとはいえないと思われます。今、一年近く経過して、各国は、当初とは異なる方向に舵を切り直しているようですが、客観的に見れば、日本も含めて、決定的、これが理想的、などという対応策は、全くありませんでした。どれも利と害のバランスが、少しずつ異なる程度の差でしかなかったと思います。

こうしたとき、最初から「ベスト」で「ユニーク」な解を求めること自体が、根本的に間違っています。その段階で「ベター」と思える選択肢を探し当てる、しかしそれは「ベスト」ではないと考えている以上は、それよりも少しでも「よりベター」であると思えるものに出会ったらそちらに切り替えるだけの余裕が生まれます。

「ベスト」なものは、英語でいえば<the>を付けなければならないわけで、それ以外の可能性を拒否した、硬直性を備えています。私は兼ねてから、そのような「余裕」を持てる方法を「機能的な寛容」と呼んできたのですが、帚木氏の書物から学んだ「正解のない」事態の中で、待つだけの勇気を持てる能力としての「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、多少の曲解を許して頂ければ、この「機能的な寛容」とも重なるように思います。

機能的な寛容の最も日常的な表れは、男性のワイシャツです。ワイシャツのボタンホールは、胸前のものは皆縦に割れていますが、カラーの部分だけは横に割れています。機械であれば、シャシーに何かを取り付けるためのネジ穴は、高い精度を求められない場合、楕円形に空けられていて、わざと少しルーズに整えられています。こうしたものは、むしろ技術的な寛容(トレランス、あるいはアロワンスですが)といった方が適切かもしれませんが、理念上は「機能的な寛容」の具体例でしょう。

いずれにせよ、帚木氏のこの本は、最近読んだ書物の中でも、最も印象深く、学ぶことの多い書物の一つでした。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力


ネガティブ・ケイパビリティ
答えの出ない事態に耐える力

帚木 蓬生

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。