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TALPIOT以外のイスラエルのエリート養成プログラム(3) Havatzalot(ハヴァツァロット)とBrakim(ブラキム)

2020.12.16

Updated by Hitoshi Arai on December 16, 2020, 08:46 am JST

前回前々回に二つのプログラムを紹介したが、今回は残りの二つ「Havatzalot(ハヴァツァロット)」と「Brakim(ブラキム)」について紹介したい。

Havatzalot(ハヴァツァロット)

ハヴァツァロットとはヘブライ語で「ゆりの花」のことで、イスラエル国防軍(IDF)のインテリジェンス部門のシンボルでもある。

Havatzalot(ハヴァツァロット)

このプログラムは、先行するタルピオット・プログラムの実績と構造に基づいて、特にインテリジェンス、諜報部門の中核となる人材を育成するために2004年に創設されたものであり、IDFの中でも最も名誉あるプログラムの一つとされている。3年間ヘブライ大学で研修を受けた後、IDFのインテリジェンス部門で6年間の兵役に就く。

採用のプロセスはやはり厳しく、繰り返しの試験、面接、心理テスト等を経て、少数の精鋭が選ばれる。発足当初は25名程度だったようだが、その成功を踏まえて、現在は約50名に増員されているという。

研修の内容は、アカデミック・トレーニング、インテリジェンス・トレーニング、バリュー・トレーニング、デベロップメント・トラック、軍事トレーニングから構成される。

・アカデミック・トレーニング
まず、政治学、社会学、中東の歴史などについての授業を組み合わせた60単位の学際的なクラスで、すべての研修生が同じ内容を学ぶ。このクラスを通して研修生は、中東の歴史、アラビア語、社会研究、政治システムに関する幅広い知識を身に付ける。さらに別のクラスでは、各研修生が経済学、数学、哲学、コンピュータ・サイエンスの選択肢の中から個別に選択した科目を、やはり60単位学ぶことになる。

・インテリジェンス・トレーニング
アカデミックトレーニングと並行して3年間行われ、すべてのインテリジェンス専門職のコースを履修する。インテリジェンス・コミュニティの知識、あらゆる場面を想定したフィールドの演習、などを通して、研修生は諜報業務の中核人材に必要となる幅広く、かつ深い知識とビジョンを身に付ける。

・バリュー・トレーニング
ハヴァツァロット・プログラム卒業生が軍の司令官として活躍できるようにするための能力開発を目的とした、リーダーシップ・トレーニングである。

・デベロップメント・トラック
個々の研修生にカスタマイズしたプログラムであり、配属から6年間の兵役期間中にプログラム責任者の准将が常に付いて実施される。各自の能力を個々のプログラムで高めることを目的としている。

・軍事トレーニング
IDFのシステムを理解するために、コンバット部隊のライフル戦闘訓練に始まり、様々な部隊に参加し、フィールド経験を積む。また、この研修を経ることで、従軍するときには中尉のランクを与えられる。どのプログラムでも同様だが、IDFの現場とシステムを理解することが大変重視されている。

・兵役とその後
本プログラムは、諜報機関の中核人材を育成するためのものであり、兵役では8200などの諜報ユニット、軍事情報の研究部門などの関連部門に配属される。研修の3年目では、本人の希望、能力、適性などから、各自の配属が決められる。また、豊富な経験を積むために、多くの人が2年ごとに諜報機関内の様々な部署を移動し、経験値を上げていくという。

他のプログラムでもあるようだが、ハヴァツァロットでは2017年に同窓会(Alumni Association)が組織化された。卒業生間のネットワーク強化、プログラムと卒業生の繋がりの強化を直接の目的とし、2018年にはWebサイト(https://www.havatzalot.org/)も構築された。ハヴァツァロット卒業生としての自負、プログラム価値の維持、そして卒業生支援に役に立っているという。

Brakim(ブラキム)

ブラキムとは「雷」を意味し、あふれるエネルギーを表しているという。

Brakim(ブラキム)

こちらは、機械工学と材料工学の専門家を育てるために2001年に創設された。前々回紹介したプサゴットが電子工学、前回のアロニムがデータ・サイエンスと情報工学、ハヴァツァロットがインテリジェンス、そしてブラキムが機械工学、という構成であり、IDFは安全保障と技術進歩の観点から、必要とされる人材の育成プログラムを分野毎に立ち上げてきたことが良くわかる。

4年間のプログラムの最初の3年間はテクニオンで機械工学の学士号を取得し、最後の1年間で修士号を取得する。他のプログラム同様、アカデミック・コースを受けながら、IDFの訓練も受ける。様々なユニットの経験をすることも、他のプログラムと同様である。採用の資格も、一般にテクニオンの機械工学部に入学する条件よりも高くなっており、高いスコアを必要とするだけではなく、インタビューも含めた様々なスクリーニングを経る必要がある。これも、他のエリート・プログラムと同様だ。テクニオンのホームページの中に、本プログラムを紹介するページがある。

修了後は、5年8カ月の兵役に従事する。2年8カ月は、IDFが大学授業料を含むこのプログラムの経費を負担した分を返済することに相当する義務期間、そして3年は通常の兵役義務、となる。当然、修得した技術知識を活かせる部隊でのポジションに就く。


以上が、タルピオット以外の4つのエリート・プログラムの概要である。共通しているのは、IDFが必要とする人材を育てるために大変力を入れているということである。Academic Reserveという仕組みを作り、通常は兵役終了後に大学で学ぶ専門教育を、兵役前にIDFの費用負担で学ばせている。科学技術の急激な進化とともに、軍隊という組織で求められる人材が、健康な精神と肉体を持つだけではなく、高度な専門知識を持つものへと変わってきた、ということだ。

安全保障に限らず、日本の民間企業でも、例えば銀行だろうが食品会社であろうが、今やAI人材やセキュリティ人材が必要となり、そのニーズに応えるべく大学でも当該分野の教育には力を入れているはずだ。社会のニーズがあれば、自ずとそれを充足させようとする力学はどの分野でも働く。

しかし、IDFが自ら人材育成に力を入れているのは、それを待っていたのでは間に合わない、という危機感であろう。それほどに、科学技術の進歩は速い。また、安全保障の分野では、多額の費用をかけてもより優れた信頼性のある技術を活用しようと志向することは間違いない。例えば、現在の社会の基盤となっているインターネットも、元を辿るとアメリカ国防総省の求めで研究されたパケット通信ネットワーク「ARPAnet」であることは良く知られている。障害が発生しても通信が途絶えないネットワークを国防総省が求めたのである。ある種のイノベーションは軍事研究から起こる。これは歴史的事実である。

一方、Academic Reserveに挑戦する優秀な若者たちにも多大なメリットがある。大学の授業料をIDFに負担してもらって、求める教育を受けられるだけではなく、イスラエル社会では、これらのプログラム卒業生ということは、誰もが称賛するエリートのバッジを胸に着けているようなものだ。兵役修了後は、あらゆる企業から引っ張りだことなる。さらに同窓会が組織され、育った人材間の繋がりが維持されるので、新しい仕事探しや人材探しは、このネットワークの中で解決してしまう。

人材の価値をさらに高める仕組みができ上がっているところが、人を重視するイスラエルらしい。日本の大学や企業の同窓会は昔話に花を咲かせるくらいだが、ここではビジネスの問題解決・課題発掘が可能になる。そして、タルピオットのコンピュータ・サイエンスに始まり、電子工学、データ・サイエンス、インテリジェンス、機械工学とIDFがエリート教育分野を次々に拡大してきたおかげで、育った人材が中核となって起こすイノベーションの分野も多様化している。まさに、イスラエルの経済成長のドライバーとなっているのである。

技術教育について強調して紹介したが、各プログラムの中では、歴史学、社会学、哲学といった分野も学ばせていることにも再度言及したい。世事に疎い専門技術者ではなく、バランスの取れた専門家を育てているといえよう。その意味でも、我々日本が参考にすべき点が多いのではないだろうか。

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新井 均(あらい・ひとし)

NTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu