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ぼんやり上司とガツガツ上司、どっちが良いか

2021.05.21

Updated by Ryo Shimizu on May 21, 2021, 08:45 am JST

「もっと派手に、若々しく」とか「うーん、違うんだよなあ」と、ぼんやりした指示しか出してくれない上司と、「ここは赤で」「明日までに見積書を書け」みたいにガツガツ仕事を進めてしまう上司、どっちがいいか、という問題について最近考えたことがあった。

ガツガツ上司の場合、部下はストレスは感じるがやりやすい。
上司が欲しがるものが明確化されているので、「赤にしろ」と言われれば赤にすればいいし、「見積書を書け」と言われれば書けばいいからだ。

それに引き換え、ぼんやり上司の下にいると、部下は苦労する。
なにしろ何をして欲しいのか明かされない。何をすればいいのか自分で考えなくてはならない。そして、何かやって持って行ったとしても、ぼんやり上司は「うーん」とか「いいんじゃない」とかしか言わない。この、「いいんじゃない」がどういう条件で出てくるのかを突き止めなくてはこの上司にハンコをもらうことができない。何というストレスフルな職場なのか。

結論から言うと、ガツガツ上司とぼんやり上司、会社から見ればどちらも有用だが、出世するのはぼんやり上司の方だろう。
なぜか?

ガツガツ上司のようなやり方、つまり具体的な仕事のやり方を指示する方法、これをマイクロマネジメントと呼ぶが、これは新人や若手を指導する時にはは意味があるのだが、このやり方にこだわる限り良くて課長止まりである。よほど本人に才能があって運が良ければ部長になれるかもしれないが、取締役にはなるのは難しいだろう。

筆者が20代の頃、ドワンゴという会社の立ち上げに付き合った。思えば筆者の上司は、具体的な指示を何もしてくれない人だった。
「コンペで、勝て」とか、「面白い企画を立てろ」と言われ、僕は知恵を絞っていろんな企画を立てるのだが、上司は「うーん、もうちょっと考えたらいいんじゃないか」とか「いいんじゃない」くらいしか言わなかった。

僕は何度も「何が正解なんだよ」と悪態をつきながらも、いくつかの企画をヒットさせ、チームが出来て課長になり、部下ができた。部下は大体が新人ばっかりだったので、指示はかなり具体的に出した。自分の気にいるものができなければ、部下が作ったところを自分で直した。自分で言うのもなんだが、良いものができたことも少なくなかった。

僕は昔から、人の役に立つのが好きだった。人の役に立てば褒められ、感謝されるからだ。人を面白がらせるのも好きだった。

だから中学では音楽祭実行委員長とか、選挙管理委員とかをやるのが楽しかったし、勝手に壁新聞を作ったり、勝手にイベントを開催したりしてクラスメートを笑わせたり、放送委員ではCGや特殊効果を使った番組を作ったりしてみんなを驚かせるのが好きだった。大学でも学園祭実行委員会に入り、もうしっちゃかめっちゃかになりながらも任務を遂行することに熱中した。

学園祭実行委員会では、委員の中の意識の違いや調整に苦労した。要は、ギャラが出るわけでもない仕事で、みんなが楽しい学園祭の期間、ひたすら学内のゲロ掃除をするような仕事が学園祭実行委員である。僕は大学時代、一度も学園祭で酒を飲んだことがない。ひっきりなしに学内のあちこちでトラブルが起き、そのトラブル対応に追われていたからだ。トラブルを解決するのは楽しかったし、みんなが楽しんでくれるのは無常の喜びだった。

しかし学園祭というのは、それまでに決められたフォーマットを大きく逸脱さえしなければ、自動的にみんなが勝手に楽しむもので、学園祭実行委員の創意工夫というのはほぼ意味がない。

それに比べると、会社の仕事というのはちゃんとお客さんが喜んでくれたのかどうかが、実際にお客さんの売り上げが上がったのかどうか、利益が出てるのかどうかで知ることができる。これが何よりも面白かった。お役に立ててることが嬉しかったし、自分のゲームで楽しんでくれる人たちからたくさんメールをもらったり、彼らがブログに楽しくプレイしている日記を書いたりしてくれているのを読んで感激したりしていた。

そんなもんだから、いつの間にか働くのが楽しくなっていて、毎日会社に泊まり込んだ。忙しかったわけではない。楽しかったのだ。

ゲームが何本かヒットした後も上司は相変わらず「うーん」と「いいんじゃない」しか言わなかったが、何年も付き合っていれば、相手がどういうものに「いいんじゃない」と言うかわかってくる。それがわかってしまうと楽だった。

通信会社のパケット量のグラフの形が変わるくらいのヒットを作って、それでも僕は部長になれなかった。
僕の上司となる部長は新しい人に変わったが、彼もやっぱり「うーん」と「いいんじゃない」しか言わなかった。「もっと具体的に教えてください」というと、彼らは決まって、話をそらすのだ。関係のないアニメの話だとか、関係ない会社の話、本の話をされるのである。確かにそこで教えてもらった本なりアニメなりは面白いのだが、それが直接仕事の成果に結びついたかと言うとそんなことは特になかった。

「上司はボケーっとしているだけで、実際に考えてるのは全部僕じゃないか」と思った。これは不公平だと。
もちろん自分より高い給料をもらっている部長たち、下手をすれば社長の給料さえ、僕が作ったゲームで稼いだ金だろう、と思っていた。
部長という仕事がなんのために必要なのか理解できなかった。

ここではやりたいことができないと思って26歳で会社を飛び出して、アメリカに行った。今度は副社長になって会社を経営しようとしたが、カルチャーギャップは想像以上だった。

仕方がないので自分で会社を作って、社長になった。
そもそもそれが良くなかった。

管理能力は課長級なのに、職務権限が社長になってしまったことで僕は「自分の考える組織」というものが「課レベル」に留まることを意識することなく、仕事をとってきて、企画を考え、開発した。人も増やした。どんどん増えた。

社長である僕に苦言を言う人がどんどんいなくなるので、苦言を言ってくれる人を役員に入れたり株主になってもらったりした。
彼らはさらにぼんやりしたことしか言わなくて、僕はどうすればいいのかわからなくなった。

肩書きとしての部長というのは何にもいたのだが、そもそも社長が部長というものを理解しないまま会社を作ったので、それが普通の会社の部長とは全く異なる仕事であることに気づかないまま、突っ走っていた。

結局、120人くらいに増えた結果、管理しきれなくなって会社が内部分裂した。僕の方に残ったのは、わずか20人。ちょうどサラリーマン時代にゲーム開発をしていたチームの人員数くらいだった。

そういう意味では、正直にいって、僕は未だに組織づくりが得意ではない。
そういう訓練を受けていないし、部長と呼ばれる人が実際に何をしているのか考えたこともなかった。

四年前、2017年に立ち上げた新しい会社は、大企業とのジョイントベンチャーで、組織づくりに関しては大企業の人たちが持っているノウハウで作られた。

今思い返すと大企業の人たちの組織づくりは会社の出発時点から違った。

「この会社は将来、大きくなることが予想されるので、部門、事業部、部、課、という大きな枠をまず作る必要があります」

まだ社員が一人もいない会社で、枠から作るのか、ということがまず最初の疑問。
そういう枠を維持するために、人数が少ないので兼務をたくさんつける。最初は事業部長兼営業部長兼営業課長、みたいなことを行う。

まずはそうやって枠を埋めておいて、組織が成長してきたら、少しずつ課長や部長を他の人に禅譲していって組織を作る。
大企業というのはグループ会社を1000社以上作っているので、会社づくりというのはお手の物なのだ。そして、最初に枠組みをしっかり作っておかないと会社を大きくできないことをノウハウとして知っているのである。

「研究と開発、技術の三つは分けておく必要がある」という恐るべき話もされた。

ゲーム業界では研究開発は表裏一体である。その研究と開発を分けるとはどういうことか。そして技術とは何か。

大企業から来た人事部長は、非常にわかりやすい例え話で、根気よく丁寧に教えてくれた。

「事業部とは価値を生み出しお金を稼ぐ部署のこと。事業部の中には開発と技術がある。開発とは、新しい事業や製品を作る仕事。製造業であれば3年スパンくらい。技術というのは、開発された製品を改良していく仕事で1年スパンくらい。そして研究とは、既存の製品や価値観を根底から破壊する仕事。10年スパンくらいのものを言います。研究の仕事を開発の下に置くと、研究が停滞してしまう。だから研究は必ず社長直轄で開発や技術とは離れたところで行わなければならない。社長は研究をする人々を他の事業部から守らなればならない。そうしないと潰れされてしまう」

目からウロコだった。
ゲーム会社でいう「研究」というのは、せいぜい1〜3年スパンだから、「3年後に発売予定の次世代機」やそこで実現できるアルゴリズムを「研究開発」し、ゲームの実装に落とし込むのが普通だった。

携帯電話ゲームの時代になって、その開発スパンは極端に短縮され、落ち着いて研究する暇は無くなっていた。

しかし、大企業の考える「研究」というのは、たとえばカセットテープ全盛時代に光ディスクの研究をするようなことを言う。事業部はライバルのカセットテープ会社との競争に夢中だから、光ディスクなどという将来性があるかどうかわからないものに使う時間も金もない。それよりは電池持ちのいいカセットプレイヤーとか、少しでも軽いカセットプレイヤーを作った方がいい。

しかしある日突然、光ディスクの時代がやってくる。新しい事業部が立ち上がり、人員がグループ各所から集められる。
その時、カセットテープのノウハウはほとんど役に立たない。そもそも記録方式がアナログとデジタルで根本的に違うし、使う部品も違う。

光ディスクの事業部が軌道に乗ると、研究所ではディスクを使わないシリコンオーディオプレイヤーの研究が始まる。フィルムを使わず撮像素子で撮影した画像を直接デジタルデータで保存する研究やGPSを持ち歩いて地図を表示する研究や、画面に手で触れて直接操作する研究、画面に表示された特殊な図形を読み取って情報を復元する研究などが90年代には数多く行われた。

僕も彼らの研究所が90年代にやっていた研究は、よく覚えていて、未踏のPMもそこの研究所出身の人だったし、彼は会話するロボットを作っていた。そうした研究はどれもすごく魅力的に見えるのだが、同時に役立たずのオモチャのようにも見えた。

しかし今はどうだろう。人々はタッチスクリーンを搭載したスマホを当たり前のように使い、気軽にスマホのGPSで現在位置を確認する。コンビニでは、QRコードという特殊な図形を読み取って決済する。

確かにこれは10年スパンだ。90年代というのは、カセットテープがようやく光ディスクのCDやMDに起き変わった時代である。
そんな時代に今のスマホを構成する要素をほとんど全て研究し尽くししていたというのは振り返ると驚きだ。しかし製造業というのは、そうした時代の変遷を100年近くも、何度も乗り越えているのである。

たとえばさらに昔の70年代、カメラの撮像素子が半導体になるには恐るべき投資と時間が必要だった。そして事業部から見ればそれは無駄遣いにしか見えない。少しでも会社が傾きそうになれば、まず最初に減らされるのはそうした「無駄遣いに見える」研究活動だ。

だから社長は「一見すると無駄遣いにしか思えない研究」を全力で守るのである。

さて、こうした組織のミニ版を作る、というのが新しい会社における僕の役割だった。しかし当然、課長級の仕事までしかできない僕にはそんな大それたことはできるわけもない。

だから大企業から来た人たちを中心として組織が作られていった。
僕は大企業から来た人たちに求められるがまま、自分の役割を考えなければならなかった。

そこで初めて知ったのが、「部長」という仕事の役割である。
簡単に言えば、こうだ。

「部長とは、予算の策定と執行、部内の人事、組織編成に全責任と権限を持ち、部に与えられた目標を達成する役職」

である。

部に関わる全ての予算の執行と人事は部長の専権事項であるので、原則として「ああせいこうせい」という細かい指示は社長からは一切できないことになる。特定の作業を特定の人に指示するようなマイクロマネジメントなどもってのほかなのだ。

すぐに僕の直下には僕よりもかなり年上の、大企業の部長級経験者ばかりになった。
僕は部長たちに「こんな感じでいきましょう」と言うことはできても、具体的に「あれをああしてください」とは言えなくなった。
「こんなもの作って欲しいなあ」と部長に言っても、それを実際に作るかどうか、最終的な権限は部長が持っているのだ。つまり、これが権限委譲である。

「実際のところ、僕はいったい、何をすればいいんでしょう?」

そんな質問を大企業の人たちに次々ぶつけたことがある。ほんとうに最初は何をすればいいのかよくわからなかった。
普通はベンチャーの社長というのはお金の心配をするのが中心なのだが、それはCFOが全て引き受けてくれた。事業の心配はCOOが全部やり、人事の心配は人事部長が全部やる。僕は普通のベンチャーの社長が心配することが全部なくなってしまった。

いったい全体、僕の仕事はなんなのだろうか。人事部長に聞いてみた。

「会社が進むべき方向を正しく見極め、社内外にメッセージを発信し、この会社の企業文化を作ってください」

つまり、ぼんやり上司になれと言うことだ、と解釈するしかなかった。
これは非常に不満だった。

気がつくと神輿に乗せられ、自分がこれまで好き放題にやってきた研究開発に関わる人員を全部取り上げられ、自分の研究はアルバイト学生の助手すらつけてもらえず(それは採用計画に関わってしまう)、一人でしなければならなくなった。

またすぐに社員は100人、パート・アルバイト含めて160人の大所帯になったが、直接僕を助けてくれる部下は秘書一人になってしまった。

仕方ないので、僕は会社の方向性を「見極める」と言う仕事にまず集中することにした。何しろ「うーん」と「いいんじゃない」しか言うことがないのであれば会社にいてもやることは何もない。メールだけでいい。

世界を何周もしながら、色々な研究者に会った。そういうことは、学んだこと、思ったこと、感じたことは全て社内ブログで共有した。
とりわけマサチューセッツ工科大学の石井裕先生は何度も追っかけて世界中で彼の研究と彼の研究者マネジメントを研究した。

石井先生がなぜあれほどの研究成果を継続的に出し続けることができるのか。彼は色々な大学の先生とこれまで関わってきた僕からすると、驚異としか言いようがないペースで、恐ろしく野心的でクオリティの高い研究を次々と発表しているのである。

ある日、とんでもないことに気づいた。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中で、石井先生の回を見ていた時だ。
学生が新しい研究計画を先生に認めてもらおうとプレゼンを繰り返している。

その時石井先生は・・・・なんと、石井裕先生は、「うーん」と「いいんじゃない」しか言わないのである。
何か別の話をしたと思ったら、全く関係ないものの話をするのだ。

「あれ?これってぼんやり上司と同じじゃないか」

その時初めて、僕はこれまで自分の上司たちが、根気よく、いや、むしろ超人的とさえ思える忍耐力で、悪態をつく僕に「自分で考える力」を磨かせてくれていたのだと気づいた。

具体的な指示を出すガツガツ上司は、確かに課長級なら結果を出せるだろう。
課長より下というのは基本的には若手で元気のいい人たちと、ベテランの職人のような人たちだ。そういう人たちは、具体的な指示がなければ動きにくい。まさにゲーム会社でいえば、ゲームディレクターは課長級の仕事と言える。

ところが、それでは部下は職人としてしか育たないのだ。管理職になれないのである。
そうした中でも、ものすごく才能のある若手が、企画力を認められて新しい課長になることはあるだろう。
僕がそうだった。

でも、課長としていくら活躍しても、そのやり方を続けている限りは部長にはなれないのだ。

そして部長以上の役職というのは、基本的にはぼんやり上司としての役割を求められているのだ。具体的な指示をできるだけ最小限にしていって、自分の時間をあける。あいた時間でアイデアを練り、新しい事業や売上、利益をもっと増やす方法を考えることに時間を使うのだ。

その時初めて、僕は大企業からやってきた部長たちが僕に期待している役割を理解した。

彼らはこう思っているのだ、具体的でない方向性を考える能力は、この若造の方が自分たちよりも見込みがあるのだと。
つまり僕に求められているのは、時代を読み取り、技術の方向性を見極める嗅覚「だけ」であり、僕が具体的に何かを創り出すのはその「嗅覚」を研ぎ澄ますための鍛錬に過ぎない、ということだ。

石井先生は研究者としてももちろん素晴らしい人物だが、もしも彼が自分の手で発明することに拘っていたら、あれほどの成果を出すことはできないだろう。彼が指導者として学生を根気よく導くからこそ、魔法のような成果が次々生まれるのだ。

そして一見、ぼんやり上司が関係ないような話をしてくる時というのは、「視点を変えろ」というメッセージなのである。
それ自体が直接、目の前の仕事に直ちに役立つわけではないが、視点を変えることで見えてくるものがあるだろうという、彼らなりの「導き」なのだ。

「プロフェッショナル」の石井先生を見ればわかるが、石井先生の指導はこの辺りがずば抜けてうまいのだ。
いわゆるインフォメーション(情報)の反対、エクスフォーメーション(非情報)の使い方が抜群なのである。

そんなこんなで想いのたけを全て社内ブログにぶつけていた。それは虚しい仕事でもあった。
社内ブログというのは闇夜の池に石を投げるようなもので、誰が読んでいるのかよくわからないし、読んだ結果彼らがどう思ったかわからない。

ところが、ある時の展示会で、僕は腰を抜かすことになった。

僕が三年前、まだ自分の役割がよくわからないまま悩み続けていた頃に書いた社内ブログで語ったものが、次々と実現していたのである。
もしも僕が自分の手でそうした発明をすることに拘っていたら、これだけ短期間にこれだけの成果は得られなかっただろう。
しかし展示会で展示されているものはほとんど全て、かつて僕が実現を夢見て、実現を欲したものと、その応用成果だったのだ。
それに実際にお客さんが付き、社会のあちこちで活躍している。

感動するほかなかった。

心配事を全部取り除いてくれた人たちの意図を掴めず、時には恨むことさえしそうになっていた自分を恥ずかしいと思った。

僕から余計な心配事を全部引き受けてくれて、本当に純粋の僕自身しかできないこと、技術を愛し、人様のお役に立つことを無常の喜びとする自分が本当にやりたいことを全力で考える時間を作ってくれたこと、そしてそれが確実にビジネスとして結実する強い組織を作ってもらえたこと。

本当に恵まれすぎていて申し訳なくなる。
彼らに報いるには、僕は最強のぼんやり上司を目指すしかない。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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