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ウランを芸術のメディアとして見ると、なぜ新しい科学のあり方が観えてくるのか? 混沌からの秩序、科学哲学、科学人類学、エコクリティシズム

2023.05.22

Updated by Masahiko Hara on May 22, 2023, 15:40 pm JST

ウランを芸術のメディアとして見ている人たちがいる。もちろん、そのウランは、原子力から核兵器まで使われる元素のウランのことである。

芸術と言われると違和感があるが、例えば「ウランガラス」と呼ばれる蛍光を発するガラス細工がある。大昔のヨーロッパのガラス職人がどのようにしてウランを手に入れ、ガラスに混ぜていったのかは定かではないが、その幻想的な輝きに、高級な調度品として、世に出回るに至った。

その後、ドイツでウランの核分裂が発見され、良くも悪くもエネルギーの供給源として注目されるようになってからは、アメリカからの使用規制に始まり、また、放射性物質のハンドリング規制もあり、ウランガラスは現在では、マニアックな工芸品ないしは芸術作品となっている。

ちなみにウランガラスの放射線量は極微量で、自然界や日常生活に存在する放射線量と同程度であるので、問題ないとされている。

ウランを芸術の、そして社会のメディアとして捉え、議論を展開する人たちがいる。初めは非常に違和感があるが、その違和感をぶつけ、しばらく議論を繰り返すうちに、そうかもしれない、これは新しい科学の一つのあり方が観えてくるのかもしれないと感じてくる。

複雑系、不可逆性、非平衡解放系の統計力学は、1970年代あたりから注目されるようになった。非平衡熱力学、特に散逸構造の理論などの研究で、1977年のノーベル化学賞に輝いた、イリヤ・プリゴジン (Ilya Prigogine) 博士がいるし、物理の分野からすると、海外の研究者からも、久保亮五先生が獲っても良かったのではないかと言われている。

そのプリゴジン博士の名著「混沌からの秩序」 (1979)の共著者である科学哲学者イザベル・スタンジェール (Isabelle Stengers) 博士は、著書である「Reactivating Elements」 (2022)の中で「元素(element)とは何か?」を問う。正直、そう聞かれても困るが、プリゴジン博士はどのように答えたのであろうか? ちなみにその章立ては「Receiving the Gift: Earthly Events, Chemical Invariants, and Elemental Powers」とし、既にelememtを元素から離れた視点で見ている。

この問いに対して、科学に携わるものは、科学の視点から一義的な定義となるように答える。それはそうだろう。それが科学たる所以であるから、そう答えるのが普通である。

ところが、科学哲学者は、常にその答えは正しいのか? と問う。禅問答のようであるが、要は、科学的な一義的な答えに疑問を持ち、多義的な解釈へと展開する。何でそんなことを考えるのか? 何でそんなにこねくりまわして議論しなければいけないのか? 科学を知らないのか? と初めは思う。この違和感こそが、今、科学に求められている。

そうするとウランは、元素という一義的な既成概念を乗り越えて、現代に至る芸術、反核、獲得の歴史などを通じて、新しい科学人類学を議論するメディアとして見るのに格好のelementとなる。ウランの芸術作品の意味、核の歴史、政治戦略的な管理、などを読み解くことから、これからの新しい科学のあり方と「エコクリティシズム」を問うのだという。

いつもと違う腕に腕時計をしたような、利き腕とは反対の手で歯を磨くような、そんな違和感から、いつもは使っていない脳の部分を使い始めることを感じ始める頃、科学の現場を知らず、そんな多義的な解釈で、これからの科学を語らないでもらいたいと思うことこそ、科学の限界を作って来たのではないかと思い始める。

英国にサンドラ・ラヒレ (Sandra Lahire)という実験的映画作家がいた。1986年「Plutonium Blonde」、1987年「Uranium Hex」などの作品を発表した。ここでいう「Hex」とは、六フッ化ウラン(Uranium Hexafluoride)の「Hex」なのか、666につながるような呪縛を込めた意味なのか、何れにしても、ウランというelementで、世の中に訴えようとしたものがあったに違いない。

その流れを汲むかのように、現在、パキスタンとオランダで活動を続ける映像作家、イナス・ハラビ (Inas Halabi) は、今年の3月、アムステルダムで「After the Last Sky」という個展を開き、ウランの核分裂から生まれる放射性物質セシウム137を題材に、植民地問題、政治的権力などについて、問いかけたという。

来年の1月にはギリシャで、メディアとしてのウランに着目したTransnational Activism(国境を超えた活動主義)の芸術と科学のエキジビジョンが計画されていると聞く。そこでは、エコクリティシズムはもちろんのこと、軍事的暴力、女性労働、採掘にかかわる被曝問題などについても掘り下げ、ウランの深い時間の流れと散在する地理にまたがる背景にまつわる物語を語るという。多義的な芸術は、一義的な科学を乗り越え、これからの新しい科学のあり方から社会のあり方までを網羅するという。

何だか分かったような、分からないような、その混沌とした議論から、世界平和に結びつく科学的秩序は生まれるのだろうか?

奇しくも、ゼレンスキー大統領も参加したG7広島サミットを横目に、ウクライナに劣化ウラン弾が持ち込まれるような噂も流れている。ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour) が「We Have Never Been Modern」と言ってから30年が経ち、ようやく科学者が常に最先端ではないこと、そして最先端とは何かを常に問い続け、科学哲学と科学人類学を受け入れなければならない時が来ていると感じる。

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原 正彦(はら・まさひこ)

ドイツ・アーヘン工科大学 シニア・フェロー。1980年東京工業大学・有機材料工学科卒業、83年修士修了、88年工学博士。81年から82年まで英国・マンチェスター大学・物理学科に留学。85年4月から理化学研究所の高分子化学研究室研究員。分子素子、エキゾチックナノ材料、局所時空間機能、創発機能、揺律機能などの研究チームを主管、さらに理研-HYU連携研究センター長(韓国ソウル)、連携研究部門長を歴任。2003年4月から東京工業大学教授。現在はアーヘン工科大学シニア・フェロー、東京工業大学特別研究員、熊本大学大学院先導機構客員教授、ロンドン芸術大学客員研究員を務める。