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「スピリチュアル」ということをどう解すべきなのか?

2024.04.13

Updated by Yoichiro Murakami on April 13, 2024, 14:04 pm JST

カタカナ語としての「スピリチュアル」の元になった英語の<spiritual>は、和語に置き換え難いヨーロッパ語の一つの典型でしょう。この英単語は、語源を辿ればラテン語の動詞<spiro>に行きつきます。この語は「息をする」という意味です。

さらに古典ギリシャまで遡れば、「プネウマ」という概念と関わります。この言葉はローマ字に転化して<pneuma>となりますが、やはりローマ字化して書くと、動詞<pneo>の名詞形で、この動詞は「息をする」という意味を持ちますから、「生きる」ということと「呼吸する」ということとが直結する、という考え方が広く存在することが判ります。

ただ、ギリシャ語の方は、単に動物が呼吸することを指すだけでなく、大自然と関わる方向へ向かい、「風」や「大気の動き」のような現象まで意味したようです。この「プネウマ」という概念は、古代世界では広く拡散して、「プネウマ」学派と呼ばれる一群の学者たちが生まれました。

もう少し脱線すると、古典ギリシャ世界では「生きる」ことと直結するもう一つの重要な概念として、「プシュケー」(ローマ字化して<psyche>)があったことを忘れるわけにはいきません。この語も、もともとは「息をする」ことと結びついた意味を持ちましたが、やがて「生命の根源」というような意味の広がりを示しました。「プネウマ」が、どちらかと言えば「自然」の側での意味合いで、上述のように、時には「大気」あるいは今風に言えば「大気中の酸素」(つまり生命を支える物質的要素)と理解されたのに対して、「プシュケー」のの方は、人間の「生」を「人間的」たらしめているなにものか、「人間性の根源」として把握されることが多かったと思います。

更に脱線すれば、「プシュケー」は、ギリシャ神話では、美しい人間の女性として登場します。美青年神エロースと結ばれますが、エロースが母神であるアフロディテーの思惑を憚って、時折夜にのみプシュケーの許を訪れるのを訝った彼女の姉妹たちが、夫の姿を確かめるために、蝋燭に灯を灯せ、とけしかけ、プシュケーはある夜、とうとう灯りを点けてしまいます。ここに有名な「見たな」伝説が生まれます。エロースは姿を隠し、あくまでも彼を追いかけながらプシュケーの流した涙が、地中に凝って琥珀となった、というおまけもあります。

アリストテレスの時代には、生きているものは<psychon>、生命のないものは<apsychon>として区別されました。念のためですが、ギリシャ語では否定を表わす接頭語に<a>が使われます。「分割する」の否定が<atom>となっていることでもそれは判ります(ラテン語で同じ働きをするのが<in>です)。この語から「心理学」つまり<psychology>が生まれたことは付け加えるまでもないでしょう。

このように、呼吸、あるいはそれによって生命体に取り込まれる大気は、「生きる」ということと密接に結びつく、という考え方は、古典ギリシャ、ローマ、あるいはその系譜を引くヨーロッパばかりではありません。我が日本でも、和語の「息」は、まさしくそのまま「生きる」に通じますから、呼吸が生命と繋がっている考え方を共有していることが判るでしょう。

ただヨーロッパでは、<spiritual>が、単に「生きる」だけではなく、人間が「佳く生きる」(それがギリシャ哲学が目指した最大の目標でした)ことに関わる、という特有の発想が育ちました。ということは<spiritual>というのは、人間を人間たらしめている根本的な要素であり、取り敢えずは「精神的」と訳すわけですが、その「精神」は、「心」(心理学が扱うような、そして英語では<mind>でもあるような)とは一線を画される意味を持ち合わすようになったと言えるでしょう。

取り敢えず簡単な英英辞典で<spiritual>を引いてみると、面白いことが判ります。そこには1)として、
Relating to your spirit, rather than your body or mind
とあって、明らかに<mind>とは区別されていることが判りますし、さらに2)として、
Relating to religion
とあって例文のような形で、次の文章が挙げられています。
The decision was made by the spiritual leaders of the tribe.
あるいは
a spiritual home a place where you feel you belong because you share the ideas and attitudes of that society
とあるのです。

最初の文章は、「その決定は、当の部族の<スピリチュアル>な指導者たちの手で定められた」となりましょうか。ここでの<spiritual>は完全に<religious>に置き換えても、そのまま通じる趣ですし、後者の文は、「その社会における(価値)理念や(人生に対する)諸々の姿勢が、自分のそれと一致すると感じられる場所」が「スピリチュアルなふるさと」の定義となる、ということです。現代における<spiritual>という語の持つ語感は、少し伝わったのではないでしょうか。

宗教との関連で、思い出すことがあります。三十年ほど前、世界保健機構(WHO)の総会に、健康の定義に関してある動議が提出されました。それまでの定義が<physical, mental and social well-being>となっていた<well-being>の形容詞に<spiritual>を加えるべき、という提案でした。その際は採用されませんでしたが、WHOでの、現在の「緩和ケア」の定義は次のようになっています。少し長いですが、直接引用してみましょう。

The palliative care is an approach that improves the quality of life of patients and their families, facing with the problems associated with the life-threatening illness, through the prevention and relief of suffering by means of early identification and impeccable assessment and treatment of pain and other problems, physical, psychological and spiritual.

最後の件に注目して頂きたいのですが、ここでは「身体的、心理的、そしてスピリチュアルな苦痛やその他の困難」に早期に気付き、万全の把握と処置とを行うことで、命を脅かすような深刻な病に繋がる諸問題に直面している患者およびその家族のQOLを、改善しようとする試みが「緩和ケア」である、というわけですが、「心理的」とは異なる「苦しみ」として「スピリチュアル」なそれが、きちんと認められていることに注目しましょう。

こうした広く深い意味を持つ「スピリチュアル」という語は、通常は「精神的」と訳されてしまいますが、それでは、この語の持つ上述のような意味が伝わらない、ということで、「宗教的」という訳語を当てている識者もおられます。しかし、一方で、日本語の中での「宗教」という言葉が、一般に惹き起こしかねない「抹香臭い」とか、特殊な人々だけが関わる世界、などいう印象から免れるためには、そのままカタカナ語で通すほかはない、という判断が一般的のようです。

しかし、このカタカナ語にも別の厄介な問題があります。というのも「スピリチュアル」というカタカナ語は、時に超常現象、あるいはオカルティズムと結びつくからです。そして、一般に既成の組織宗教は、そうした世界に極めて敏感に反応するからです。というのも、多くの組織宗教では、開祖とされる存在の言動に、奇跡というべき性格のものが付き纏うのが普通で、宗教における「奇跡」とオカルティズムにおける超常現象とは、一見重なるという印象があり、そのことに宗教側は非常に神経質にならざるを得ないからです。

一つの例を考えてみましょう。フランス近現代を代表する哲学者ベルクソン(Henri Bergson, 一八五九~一九四一)は、所謂、唯心論の哲学者と目されて来ました。唯心論の定義は、論者によっても一律とは定まらず、難しいですが、要するに唯物論との対比と言えば、大まかな把握は可能かもしれません。そしてベルクソンの唯心論は、しばしば「スピリチュアリズム」と表現されます。というのも、彼は正当な哲学の王道を歩みながら、同時に心霊現象などに常に関心を抱き続けていた人物でした。

実際、一九一三年にはイギリスの「心霊研究協会」(The Society for Psychical Research)の会長の職に就いてもいます。もともと、父親はフランスのユダヤ人の家系の人でしたが、母親はイギリス人で、幼少期はイギリスで過ごしていますし、彼の実妹ミナ(Mina Bergson, 後結婚してMoina Mathers, 一八六五~一九二八)は、イギリス近代の、最も有力なオカルティズム研究者の一人で、秘密結社「黄金の夜明け教団」(Hermetic Order of the Golden Dawn)の創始者マッグレガー・メイザース(Macgregor Mathers, 一八五四~一九一八)の妻となっています。

近代科学が成熟期を迎え、社会への制度化が始まった一九世紀は、対照となる伝統的な神秘思想であるバラ十字会やヘルメス主義の再興のヴェクトルと、逆にそうした分野を科学的に解明しようとするヴェクトルが重なり合って、ある意味では怪しげな世界への関心が高揚した時期でもありました。「スピリチュアル」という言葉は、時にこうした世界の象徴的な概念に当てられる言葉にもなりました。

「スピリチュアル」が「宗教的」であるとすれば、日本社会の常識から言えば、宗教が一般に「超常的」な現象、別の言葉を使えば「奇跡」を内包することに不思議はないように見えるとしても、組織宗教の立場からすれば、「奇跡」と、上述のような「スピリチュアリズム」とは、全く相容れないものとされるがゆえに、そこには厄介な概念上の軋轢が生じることも確かです。

このような議論を踏まえた上で、最も広義には「スピリチュアル」は「人間の魂に関わる」と解せばよいのでしょう。とりあえずはそう理解して、今後の論を進めていきたいと思います。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。

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