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歴史は一度では書けない 〜 『史記』 という、二千年前の経路積分 〜/入來篤史(帝京大学・理化学研究所)

© Shigeru Takeda, Courtesy of Schrodingers.jp

歴史は一度では書けない 〜 『史記』 という、二千年前の経路積分 〜/入來篤史(帝京大学・理化学研究所)

October 29, 2026

入來篤史/帝京大学・理研 atsushi_iriki

1986年東京医科歯科大学大学院修了。同学歯学部生理学教室助手、ロックフェラー大学助手、東邦大学医学部生理学教室助手、講師、助教授、東京医科歯科大学大学院教授を経て、2004年より理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダー、2018年同研究所生命機能科学研究センターチームリーダー、2023年同研究所本部 未来戦略室上級研究員。著書に『Homo faber道具を使うサル』(医学書院)、『言語と思考を生む脳』(東京大学出版会)、『脳科学の教科書』(岩波ジュニア新書)など。現在、帝京大学 先端総合研究機構 AI活用部門 特任教授/理化学研究所 数理創造研究センター 量子数理科学チーム 客員研究員。

今度は「本物の本紀」を開く

前回、自分の研究歴を振り返り、履歴書はその人についての小さな「本紀」だ、と書きました。年と肩書を並べれば人生は妙にまっすぐに見えますが、実際には脇道や行き止まり、後から効いてくる出会いの方が多い。そこで司馬遷の紀伝体を借りて、一本道でない研究歴を描いてみたわけです。

では今回は、比喩の出所である 『史記』 そのものを開いてみましょう。こちらは小さな本紀どころか、全百三十巻。本紀十二、表十、書八、世家三十、列伝七十という、かなり癖の強い構成です。司馬遷は歴史に一つのファイル形式を強制しませんでした。帝王と王朝を追う本紀、出来事を横に並べる表、制度を扱う書、諸侯の家をたどる世家、個人や集団の生を描く列伝。二千年以上前に、五種類の表示モードを実装したようなものです。

しかも、同じ人物や事件が別の巻にまた現れます。劉邦を高祖の側から読むと漢の創業が前景に出ますが、項羽の側から読めば、同じ出来事の重心は少しずれる。将軍の決断は、王朝の年表では戦局の一齣となり、本人の列伝では逡巡や屈辱を伴う一回限りの選択になります。現代の編集会議なら「重複を整理して、記述を統一しましょう」と言われそうです。しかし司馬遷は、その統一を急ぎませんでした。

紀伝体の天才は、人物伝をたくさん収めたことだけにありません。時間を捨てずに、時間だけに歴史を独占させなかったことにあります。同じ過去を別の窓から何度も見せ、少し食い違う像を並べる。その視差があるから、歴史は年表の標本ではなく、人が生きた世界として動き始めます。『史記』 は、結論を一つに畳む前に、複数の記述を複数のまま保持する器なのです。

鴻門の会で、歴史は黙る

その仕組みが最も鮮やかに見える場面の一つが、『鴻門の会』 です。秦が滅びた直後、圧倒的な兵力を持つ項羽の陣営に劉邦がやって来る。ここで劉邦を討てば、後の漢王朝はありません。未来を知る私たちには「千載一遇の好機」に見えますが、宴席の中にいる人々には、まだ複数の未来が開いています。

軍師の范増は、項羽に劉邦を殺せと促します。目配せをし、身につけた玉玦を三度掲げる。ところが 『史記』 の文は、そこで「項王黙然不応」と記します。項羽は黙然として応じない。たった六文字の沈黙が、やけに長い。殺すとも、生かすとも決めないまま、宴は剣舞へ進み、項伯が劉邦をかばい、ついには劉邦が席を抜け出します。

後世から見れば、項羽は判断を誤ったのでしょう。しかし経路積分的に読むなら、この沈黙は単なる「行動ゼロ」ではありません。義侠心、傲慢さ、劉邦への侮り、范増への不信、客を席上で殺すことへのためらい。互いに両立しない力が打ち消し合い、どの経路もまだ決定打にならない。項羽が動かなかった時間は、空っぽなのではなく、可能性の密度が高い時間です。

これに対して、物語の終盤にある 『垓下の戦い』 では、余白が急速に失われます。漢軍と諸侯軍に幾重にも包囲された夜、四方の漢軍から楚の歌が聞こえてくる。ここで「楚」は敵国の名ではありません。項羽自身の故国であり、彼の軍と支配を支えてきた側です。だから項羽は驚きます。漢はもう楚をすべて手に入れたのか、なぜ漢軍にこれほど多くの楚人がいるのか、と。実際に全員が寝返ったと確かめたわけではありません。味方も故国もこぞって漢側へ回った、と感じさせる声が四方から届いたのです。後に「まわりじゅう敵」という意味になった四面楚歌は、もともと、味方の不在を耳で知らされる場面でした。

歌は、兵士の心理と戦況を一つの方向へ同期させ、逃走、敗北、自刎へと状態を絞り込んでゆきます。鴻門では可能性が長く保たれ、垓下では環境の圧力によって一気に閉じる。司馬遷は、出来事だけでなく「決まり方の速度」まで書いているように見えます。

もちろん、楚漢戦争が物理的な量子現象だったと言いたいのではありません。ここで借りているのは、可能性を最初から互いに独立な札として扱わず、文脈の中で強め合ったり弱め合ったりするものとして記述する、量子様の数理です。鴻門と垓下を同じ勝敗表に入れるのではなく、可能性がどれだけ保たれ、どのように失われたかを比較する。そのとき 『史記』 の文章の速度が、新しい研究データになります。

列伝の冒頭に置かれた「伯夷列伝」も、きれいな収束を拒みます。善を貫いた伯夷・叔斉は餓死し、悪人は長寿を保つ。司馬遷はついに、「いわゆる天道とは、是なのか、非なのか」と問います。正義の帳尻を無理に合わせず、問いの位相を開いたまま残す。『史記』 における余白は、書かれていない部分だけでなく、書いてもなお決着しない部分にも宿っています。

『史記』 の外から、石と竹が口を挟む

もっと面白いのは、『史記』 の外側から別の記録が現れたときです。二十世紀以降、甲骨文字、青銅器の銘文、竹簡・木簡が次々に発見され、司馬遷より古い時代、あるいは彼が記した出来事に近い時代の声が聞こえるようになりました。伝世文献だけで組み立てていた歴史に、地中から別の観測者が参加してきたわけです。
よく知られた成功例は、殷王朝の王統です。甲骨文に刻まれた王名や祭祀の系列は、『史記』 「殷本紀」が伝えた系譜の大枠を驚くほどよく裏づけました。二千年を越えて別々の媒体が一致する。これは、観測の仕方を変えても崩れにくい、歴史の頑健な核と言えます。

一方、秦になると景色は複雑です。秦や若き嬴政と聞けば、漫画や映画の 『キングダム』 の風景が先に浮かぶ人も多いでしょう。史実を下敷きにしながら、史料の短い行間を鮮やかな人物像とドラマで満たす作品です。史実との差を逐一採点して、せっかくの物語を痩せさせる必要はありません。むしろ同じ秦が、現代の物語、古代の史書、地中から出た文書でまるで違う顔を見せること自体が、今回の話にはぴったりです。

『史記』 では、秦の膨張と統一、苛烈な支配、そして急速な崩壊が、王朝の興亡と政治的・道徳的教訓の大きな筋として描かれます。ところが睡虎地秦簡などの法制・行政文書を開くと、そこにいるのは「暴秦」という一人の悪役ではありません。報告期限、会計、裁判手続、官吏の責任、物資の配分を細かく定める、几帳面で時に息苦しい官僚制です。

竹簡が秦を善良な国家に変えてくれるわけではありません。厳罰と精密な行政は十分に両立します。重要なのは、同じ秦が、王朝の正統性を問う物語の窓と、地方官吏の机上に置かれた実務文書の窓とでは、別の像を結ぶことです。どちらか一方を「真実」、もう一方を「歪曲」と即断すると、窓そのものの情報を捨ててしまいます。

王国維は、伝世文献と出土資料を突き合わせる方法を「二重証拠法」と呼びました。私たちは今、二重どころか、多重の証拠を持ち始めています。本紀、世家、列伝、『左伝』 『戦国策』 『竹書紀年』、甲骨、金文、秦簡、漢簡。しかも大切なのは、一致する箇所だけではありません。どこで、どの方向に、どれほどずれるのか。その分布自体が、それぞれの史料が何を見ようとしたかを教えてくれます。

ズレは、歴史のCTスキャンである

考え方は単純です。まだ一つの物語へ固まっていない「歴史的状態」を、本紀の王朝・勝敗、世家・列伝の人物・選択、表・書の時間・制度、出土資料の行政・同時代性という、別々の窓から見る。すると、同じ過去が異なる記述として前景化します。

一方向から撮った投影像だけでは、立体の奥行きは分かりません。角度の違う像を重ねることで、内部を再構成するのがトモグラフィーです。量子情報では、異なる測定の仕方で得た統計から、直接には見えない状態を再構成します。同じ発想を史料に移せば、単一の正史を「過去そのもの」とみなすのではなく、複数の史料がつくる像から、その背後にある歴史的状態を推定できるかもしれません。名称だけ聞けば秦漢史というよりSFですが、やろうとしていることは古典的です。史料をできるだけ多く集め、互いの位置関係まで吟味するのです。

ここで「ズレ」は邪魔なノイズではなくなります。一致するところからは、文脈を越えて残る頑健な核が見える。食い違うところからは、編者の立場、ジャンル、時代、勝者と敗者の非対称が見える。一致と不一致の両方が、状態を再構成するための資源になります。

これは「史実など存在せず、どの物語も同じ」という相対主義ではありません。むしろ逆です。史料の違いを曖昧に混ぜず、どの文脈で、何が、どう見えたかを明示する。異なる窓からの像を予測できなければ、モデルは退ける。真偽の判定を急がないことと、検証を放棄することは、まったく別なのです。

AIには、太史公の席を譲らない

この構想で大規模言語モデル(LLM)を使うとしても、AIに「本当の歴史」を判定させるわけではありません。任せたいのは、同じ事件を扱う長い文章を対応づけ、語りの反復や偏り、決断の前後で変わる言葉遣いを、人間が点検できる形で拾い出す仕事です。神託というより、顕微鏡の役に近い。

LLMは、高次元の表現空間で、同じ語にも文脈ごとに違う居場所を与えます。その幾何学は量子論の言葉と部分的に似て見えますが、それだけで普通のAIが量子的に意味を理解していることにはなりません。似ているのは物理現象ではなく、あくまで構造の一部です。この節度を守ってこそ、司馬遷(太史公)の筆致と数理モデルとAIが、互いの席を奪わずに会話できます。

敗者を、ゼロにしない

『史記』 は漢の時代に書かれました。それでも、漢に敗れた項羽を列伝の片隅へ追いやらず、「項羽本紀」を与えます。刺客、遊侠、商人、滑稽の人々も、それぞれの列伝を持つ。勝者の経路だけを残し、他をゼロとして処理する書物ではありません。実現しなかった天下、採用されなかった忠告、決断されなかった一瞬が、別の巻から何度も現在へ戻ってきます。

前回触れたグレーバーとウェングロウの 『万物の黎明』 も、人類史を「小集団から農耕、都市、国家へ」という一本の階段から解放し、過去の人々が試した多様な社会の形を呼び戻しました。『史記』 が示した紀伝体の建築と、現代の人類史が回復した多数の経路は、遠く離れた場所で不思議に響き合っています。

経路積分とは、実現しなかった可能性を、最初から無かったことにしない計算法です。『史記』 とは、敗れた人間と選ばれなかった秩序を、無かったことにしない書き方です。もちろん両者は同じものではありません。けれど、二千年を隔てた二つの作法を同じ机に載せると、妙によく話が合います。

そして、ここにはもう一つの問いが残ります。項羽の沈黙、故国が消えたように聞こえた楚歌、記録されなかった選択肢。これらは「何もない」のでしょうか。それとも、起こり得た行為、抑えられた動き、期待されたものの不在として、次の知覚と行動をなお押しているのでしょうか。

書道の紙面でも、墨のない場所はただの余白ではありません。筆が空中を渡った軌道、引かれなかった線、次の一画を待つ呼吸が、見えないまま作品を組み立てます。余白は物ではない。けれど、関係としては働いている。歴史は一度では書けない。その理由は、書かれたことが多すぎるからだけでなく、書かれなかったものも消えきらないからかもしれません。

次回は 『史記』 をいったん閉じ、白い紙を開きます。「無」は、本当に何もないのでしょうか。(入來篤史/帝京大学・理研)

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