パリの朝、エスプレッソとともにクロワッサンを手に取る。その日常的な行動の一つ一つに、AIと経営が密接に関連しているとは、誰が想像するだろうか。
AIと経営、一見すると無関係な二つの世界。しかし、これらをつなぐのが「習慣」である。ヨーロッパの朝食文化から導き出される、AIと経営の新たな視点。その核心は、組織の「習慣」にある。
クロワッサンとエスプレッソ、それはフランスの朝食の「習慣」。一方、AIの導入もまた、組織の新たな「習慣」の形成を必要とする。組織の文化、個々の働き方、意思決定のプロセス。AIを組み込むことで、これらが大きく変わる。
変化こそが、新しい価値を生む。しかし、その過程は必ずしも容易ではない。パリのカフェでクロワッサンを食べることが、一日のエネルギーになるように、組織にとってのエネルギーは、新たな「習慣」の形成から生まれる。
AIの導入、それは単なる技術の活用ではない。組織の「習慣」を変えることで、初めて真の意味での変革が起こる。それはまさに、クロワッサンとエスプレッソが日々の生活に溶け込むようなものだ。
組織の「習慣」を見つめ直す。それがAIと経営の融合への第一歩。そして、その結果として生まれる新たな価値。それが、AIが経営に与える影響の本質だ。
見た目は小さくとも、クロワッサン一つから見えてくる大きな視野。それがAIと経営の新たな関係を示す。そして、その変化をリードするのは経営者自身。新しい「習慣」を形成し、それを通じてAIと経営を融合させる。その過程こそが、21世紀の経営者の役割だ。
今日の朝食、その一つ一つが新たな視点を生む。クロワッサンとエスプレッソ、それらはただの食事ではない。新たな価値を生む「習慣」の象徴であり、その中には、AIと経営の新たな可能性が詰まっている。
と、ここまでがGPT-4による文章である。お気づきになっただろうか。
「先月まるごとWirelessWireの原稿書いてないな。けど、書くほどのネタもないな」と困ったので、GPT-4に書かせてお茶を濁して原稿料までもらおうという魂胆なのだが、GPT-4に書かせた割にはなかなか面白いコラムになった。
さて、どうやって書かせたかというと、まず最初はこう書いた
AIと経営をテーマにしたコラムで、なんかいい感じのやつを3000字くらいで書いてください
すると以下のような文章が出てきた
タイトル: 『AIと経営: データ駆動型の未来へ』
AI(人工知能)は現代のビジネス環境において、ますます重要な役割を果たすようになっています。その結果、企業の経営にも大きな影響を与え、新たな経営戦略の構築が求められています。
AIは、大量のデータを処理し、分析する能力を持つため、ビジネスの意思決定に役立つ洞察を提供します。これにより、経営者はより情報に基づいた決定を下すことができ、リスクを軽減し、効率を向上させることが可能となります。
さらに、AIは経営者が新たなビジネスチャンスを発見し、競争優位性を確保するのにも役立ちます。例えば、AIは、顧客の購買パターンを分析して、新たな製品やサービスの需要を予測することができます。これにより、企業は市場の変化に迅速に対応し、競争力を保つことができます。
しかし、AIを効果的に経営に統合するには、経営者自身がAIの知識と理解を深めることが必要です。経営者はAIが何を可能にするか、そして何が限界であるかを理解することで、適切な戦略を策定し、その実行を監督することができます。
AIの導入は、企業文化や組織構造にも影響を与えます。AIを成功裏に導入するためには、全社的なコミットメントと、新たな技術に対応するための継続的な教育とトレーニングが必要です。また、データの管理とプライバシーの保護は、AIの導入に伴う重要な課題となります。
未来の経営は、AIとの共存によって形成されるでしょう。AIは、経営者がデータを活用して効率的な意思決定を行い、ビジネスの可能性を最大限に引き出すための強力なツールとなります。しかしながら、その一方で、AIの導入には慎重な計画と実行が求められます。
経営者はAIの潜在能力を最大限に活用するために、その基本的な作動原理を理解し、それがビジネスにどのように影響を及ぼすかを把握する必要があります。そして、それに基づいて適切な戦略を策定し、実行することで、AIを活用した経営の新時代をリードすることができるでしょう。
AIと経営が融合した未来は、既存のビジネスモデルを変革し、新たなビジネスチャンスを創出することでしょう。そのためには、経営者がAIの力を理解し、それを経営戦略に統合することが求められます。
この新たな時代において、AIは単なるツールではなく、ビジネス戦略を形成するための重要なパートナーとなります。そのため、経営者はAIを活用することで、より賢明な意思決定を行い、企業の競争力を向上させることができるでしょう。
AIと経営の融合は、新たなビジネスの可能性を開くだけでなく、社会全体の進歩にも寄与することでしょう。それは、私たちが働き、生きる方法を変える可能性を持っています。そして、それが可能になるのは、経営者がAIの力を理解し、それを最大限に活用するための戦略を策定し、実行することによってです。
AIの時代は、すでに私たちの足元に迫っています。経営者としてのあなたが、この新しい時代に適応し、リーダーシップを発揮するためには、AIと経営の融合を理解し、それを自社の戦略に活かすことが求められます。これが、21世紀の経営の新たなパラダイムとなるでしょう。
以上が私の考えるAIと経営についての見解です。このコラムが、AIと経営の未来を考える一助となれば幸いです。
これでは原稿料をもらうのが申し訳ない。なんというか、誰が見てもAIが生成した文章である。
そこで、この文章に対してこういう注文をつけた。
つまらない。もっと清水亮のWirelessWireの連載っぽく、シニカルな語り口にしてください。また、ヨーロッパの食習慣からAIと経営を考察するなど変わった視点を取り入れてください
するとこうなった。
タイトル: 『クロワッサンとAI: ヨーロッパの食習慣から学ぶビジネスとの融合術』
午前7時、パリのカフェで一日が始まります。クロワッサンとエスプレッソの匂いが店内に漂い、ほろ苦さと甘さが調和した香りが目を覚まします。一見、この風景とAIや経営がどう結びつくのか疑問に思うかもしれません。しかし、実はこの一連の食事の習慣こそが、我々がAIと経営の新たな視点を得る鍵となるのです。
AIと経営を考えるとき、多くの人々はビッグデータや機械学習のような難解な技術の話題に追われがちです。しかし、ヨーロッパの朝食テーブルに目を向けると、AIと経営の本質を理解するための新たな視点が見えてきます。
先ほどのクロワッサンとエスプレッソの例を考えてみましょう。これらは単なる食事ではなく、その国や地域の文化や価値観を反映しています。この点で、AIも同じです。AIは単なる技術ではなく、それを利用する組織の文化や価値観を反映します。
ここで注意すべきなのは、クロワッサンやエスプレッソがヨーロッパ全体の食文化を代表するわけではないという点です。同様に、AIも一概に全てのビジネスに適用できるわけではありません。それぞれのビジネスに合わせてカスタマイズし、組み込む必要があります。
経営者としては、AIをうまく取り入れるためには、まず自社のビジネスや組織文化を理解することが重要です。それを理解した上で、AIをどのように組み込むかを考える必要があります。また、AIの導入は一度きりのイベントではなく、継続的なプロセスであるべきです。それはまさに、毎朝のクロワッサンとエスプレッソのようなものです。
さて、ここまでくると、何となくAIと経営とクロワッサンの関連性が見えてきたのではないでしょうか? 経営者がAIをうまく利用するためには、自社の組織文化やビジネスモデルを理解し、それに合わせてAIを組み込むことが重要です。そして、そのプロセスは一度きりのイベントではなく、継続的なものであるべきです。
AIと経営の融合は、新たなビジネスの可能性を開くだけでなく、社会全体の進歩にも寄与することでしょう。それは、私たちが働き、生きる方法を変える可能性を持っています。そして、それが可能になるのは、経営者がAIの力を理解し、それを最大限に活用するための戦略を策定し、実行することによってです。
以上が私の考えるAIと経営についての見解です。このコラムが、AIと経営の未来を考える一助となれば幸いです。そして、明日の朝、あなたがクロワッサンとエスプレッソを口にしたとき、少しでも新たな視点でAIと経営を考えるきっかけになれば、それに勝る喜びはありません。
もうひとつ足りない。
そこでさらにこう言った。
だ、である体で、体言止めを多く使い、時折断定的に意外な事実を指摘してください
こうして出てきたのが、冒頭の文章である。
ChatGPTは対話式なので、出てきた文章に対していくらでも注文をつけて良い。
要はディレクターとして出てくる文章に注文をつけるわけだ。
こうなると人間に求められるのは、「何が面白い」「何が足りない」かを見極める力だ。
以前、僕はとあるアニメスタジオに通っていたことがある。
僕はアニメ制作に対して一切の貢献ができなかったが、アニメーターの方々の仕事のやりかたをつぶさに観察できたのは、僕にとって何よりの収穫だった。
そこで学んだ一番大きなことは、「観察する力」の大切さである。
事物を観察し、頭の中で理解し、咀嚼し、"身体性"を持って紙にキャラクターを描き出す。
頭の中でその事物のあらゆる性質が再現できる。一種のシミュレータを構築する。このシミュレータの精度が高ければ高いほど精緻にアニメーションを描くことができる。
僕は文章は死ぬほど書いてるし読んでるから、「面白い文章」がどういうものなのかはなんとなくわかる。
AIが出してきた文章に「つまらない」と指摘するだけでなく、「どうすれば面白くなるか」考えることができる。
でも実は、「どうすれば面白くなるか」考えるのは、普通の人にはかなり難しい。
たとえば、映画を例にとろう。
ある映画を見て、ガッカリしたとする。普通の人は、そこで終わる。SNSに文句を言うかもしれない。酒を飲んで愚痴をいうかもしれない。普通の人はそれでいい。
だけど、映画を作る人は、ガッカリするだけでは終わらない。「どうすればよかったのか」を考える癖がついている。もちろんどうしようもないこともある。
文章も同じで、「これ下手だなあ」と思った時に、どういう視点を加えれば面白くなるかを考える。
まあ冒頭の文章も十分下手なんだけど、それでも最初の文章よりはマシになっている。
AIが動画を生成するようになって来たので、今度は動画についても「こうすればもっといい」という視点を持つ必要が出てくる。
画像も同じで、「こうすればもっといい」という画像をどうやったら出せるか、Twitterのタイムラインを眺めていると世界中の人が研究している。実に面白い時代になった。
決定的にAIに足りないし、これからも難しいだろうなと思うのは、「面白いもの」を作る根本的な原理にある。
それは「面白い体験をする」ことだ。
我々のような売文屋は、常に「面白い体験」や「ひどいめにあった体験」を繰り返す。それはもうある程度、意図的に行なっているのである。部屋でじっとしていても面白い体験は向こうからはやってこない。こっちから「見に行く」のである。
面白い体験は、自分の中に新しいキーワードやものの見方を与えてくれる。
大切なのは、どんなひどいめにあっても、その体験を「面白がる」ことだ。
ところが、「面白がる」というのは、実はすごく難しい。
かなりの修行が必要だと思う。
そしてこれはAIには絶対できない。AIが「面白がる」ことができる時代はまだ相当遠い。
人工知能の研究の歴史において、「人工知能」とは逃げ水のようなもので、「近づいた」と思ったらゴールが遠ざかる。
人のように言葉を紡ぎ、絵を描くAIが登場した現在でも、厳密には「人と同じようにはできない」
その違いはなんなのか。
その秘密を知るために、僕はクリエイターを観察し続けている。
そしてクリエイターとは、面白くないものを面白がる天才なのである。
あるとき、こんなことがあった。
とあるクリエイターの仕事場にまたちょっかいをだしにでかけていくと
机の上に二つのクロワッサンが並んでいた。それを大勢で囲んで観察しているのである。
「このパン、どっちが美味しそうに見える?」
と珍しく聞いてくるのだ。
片方は、スーパーマーケットで買ってきたパンと、近所で美味しいと評判のパン。
その二つのどちらがより美味しそうか。それを絵に表現できるか。
こんなことを日常的にやっているのである。
普通の人だったら、どっちのパンが「美味しいか」は気にしても、「美味しそうに見えるか」は気にしない。
生成AIを使う時に重要なのは、まさにこの「観察する」視点であったり、その視点をどうずらせるか、ということなのだ。
面白がるというのは訓練が必要で、僕もあまり得意ではない。
面白がる才能がないから、僕は世界をさすらって「面白いこと」を探すのである。
人類に残された最後の仕事は、旅なのかもしれない。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。