original image: zorandim75 / stock.adobe.com
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「テックブロ(tech bro)」という言葉があります。IT業界で働く男性を指しますが、ケンブリッジ英英辞典によると、社交性に欠けるのに自身の能力を過信する米国の若い男性という含意もあるようです。
最近、この言葉が出てくる文章で気になったものがあるので、それらの紹介から始めたいと思います。
一つはダナ・ボイドの「メタバースは未だシカトさせていただきます」です。これはメタバースがテーマの新刊を送ってきた友人に対し、メタバースには一貫して興味がないと宣言する文章なのですが、彼女の拒否反応には理由があります。彼女は初期のバーチャルリアリティー(VR)の体験者であり、2014年にはVR体験の性差にフォーカスした「Oculus Riftは性差別的か?」という挑発的な記事を著しています。実は、当時ワタシもこれを取り上げ、「男だけの世界──Oculus Riftは性差別的か?」という文章を書いています。
ボイドは、おそらくはFacebookのメタバース構想を指して、以下のように吐き捨てます。
テック・ブロがディストピア小説に出てくるような世界を作り上げておきながら、自分なら違うものにできると思い込みたがるのに呆れを禁じえない。念のため書いておくが、これこそ狂気そのものだ。
ボイドにとって、「テック・ブロ」の自信過剰と有害さは自明のようです。
もう一つは、ポール・クルーグマンの「金持ちはあなたや私よりも狂っている」です。これは、米国大統領選挙に出馬したロバート・F・ケネディ・ジュニアが、新型コロナウイルスやワクチンなどに関して様々な陰謀論を主張しているため当選の可能性はゼロなのに、Twitterの共同創業者ジャック・ドーシーなどテック界の大物がその彼を支持する理由について考察した論説です。
クルーグマンは、ロバート・F・ケネディ・ジュニアに惹かれるテック関係者が多いのは、彼らの「逆張り主義」、つまり従来の常識や専門家の意見を無視する姿勢にあると書きます。
彼らはなんで逆張りをするのか? たいていの場合、従来の常識や専門家の意見は正しいが、それが間違っているポイントを見つければ、経済的に大きな見返りがあるからです。テック界の大物たちは、何かしら当時の常識に逆らう挑戦をして巨万の富を得た人たちと言えます。
クルーグマンは「脳を腐らせる麻薬」という表現を引き合いにしながら、その逆張り主義には副作用があると説きます。
テック・ブロは、脳を腐らせる逆張り主義に特に弱いと見える。(中略)彼らは経済的に成功すると、往々にして自分は唯一無二の秀才であり、問題を理解すべく実地で努力してきた人たちに助言を求めることなく、どんなテーマでも即座に習得できると思い込んでしまう。実際、多くの場合、彼らは従来の常識に逆らうことで金持ちになったのだから、そうした逆張りがなんにでも当てはまると思い込んでしまう素地があるわけだ。
しかも、テック・ブロの金持ちは同じような人種と付き合いたがるので、文化的・社会的フィルターバブルの中で逆張りを先鋭化させてしまう傾向があります。アニール・ダッシュはこの現象を「VC QAnon」と呼んでいますが、ロバート・F・ケネディ・ジュニアみたいにQアノン的な陰謀論に肩入れするテック界の富豪たちは少なくないというのです。
クルーグマンは、そこに彼なりの推測を付け加えます。
莫大な富と影響力を持つ人たちが、エリートが世界を動かしているという陰謀論を受け入れるのは奇妙に思えるかもしれない。連中自身、エリートじゃないのか? しかし、有名で金持ちの男たちは、現実に何が起こるかをコントロールできず、自分がインターネットで嘲笑されるのを止めることさえできないのにとりわけ苛立っているのではないだろうか。だから、世界は誰もコントロールできない複雑な場所だと受け入れるのではなく、自分らを狙う秘密の陰謀団がいるという考えに染まってしまう。
そして、クルーグマンは、昨今のイーロン・マスクの転落ぶりに、自動車業界で空前の成功を収めながら、狂信的で陰謀論的な反ユダヤ主義者でもあったヘンリー・フォードを連想していますが、これはジェームズ・ライゼンも指摘していることです。
今、アメリカ政治でもっともクレイジーなのが(共和党支持の)赤い帽子をかぶったブルーカラーの男たちではなく、大邸宅に住み、自家用ジェット機で飛び回るテック億万長者なのは驚くべきことであり、ある意味とても面白いが、この連中は世界に深刻な被害をもたらすのに十分な金を持っていることをクルーグマンは危惧します。
マーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』や『ラスト・ワルツ』、ヴィム・ヴェンダースの『夢の涯てまでも』、ガス・ヴァン・サントの『誘う女』といった映画の(エグゼクティブ・)プロデューサーを務めた後、テクノロジー評論家に転身した変わり種のジョナサン・タプリンは、新刊『The End of Reality』において、「テック・ブロ」の頂点に立つ、イーロン・マスク、ピーター・ティール、マーク・ザッカーバーグ、そしてマーク・アンドリーセンの4人の億万長者の白人男性をターゲットに据えています。
タプリンの新刊の副題は、「いかに四人の億万長者がメタバース、火星、そしてクリプトというファンタジーの未来を売りつけているか」ですが、タプリンはその4人の億万長者に「テック・オリガルヒ(Techno-Oligarchs)」という呼称を与えており、その寡占性をよく表現していると思います。
イアン・ブレマーもTED講演「次に世界の覇権を握る予想外の存在」で指摘するように、政府でなくIT企業がつかさどる「デジタルの秩序」は、もはや人の才能や性格が、生まれと育ちに加えて、IT企業の手中にあるアルゴリズムによって決まるまでの影響力を有しています。デジタル秩序がますます支配的になり、政府が統治能力を失っていけば、IT企業は国際舞台においてあらゆる面で支配的な存在となり、テクノロジーに一極化した秩序が現れることになります。IT業界の巨人たちは、巨万の資産を持つだけでなく、地球上でもっとも力を持つ人々になりつつあるのです。
ジョナサン・タプリンが名指しする4人の「テック・オリガルヒ」は、長い間技術的に進歩的なヒーローと見なされてきましたが、今では反民主主義的、権威主義的な転回を担っており、独占的地位という現状を維持しながら、数十億ドル規模の財産を増税から守ることに尽力しています(ブルース・シュナイアーの新刊『ハッキング思考』にも書かれるように、ピーター・ティールは税制をハックし、10億ドルの資本利得税を支払わずに済ませています)。
彼らシリコンバレーのテクノクラートたる「テック・オリガルヒ」が、現在我々に売り込むWeb3や暗号資産、AIによる人間とコンピューターの融合、メタバース、火星移住の展望をタプリンは嘘と断じ、それがもたらす代替現実はテクノ決定主義が支配する世界であり、最終的にはAIがすべての仕事をこなし、多数の人間が社会にとって無用の存在となる世界と主張します。
タプリンは、彼らの計画を「迫り来るディストピアの虚無主義」と表現しますが、ピーター・ティールが特に肩入れするトランスヒューマニズム(超人間主義)に、リバタリアンの富豪にのみ追求を許された不平等性と道徳的なマイナス面を見ており、気候変動などの今ここにある問題により損なわれる地球人の同胞の寿命よりも、ティールをはじめとする富豪たちの長寿にフォーカスしていると批判します(マックス・チャフキンによるピーター・ティールの伝記本のタイトルが『逆張り屋(The Contrarian)』であることの危うさを今一度考えてみるべきでしょう)。
そしてタプリンは、マシン・インテリジェンス・リサーチ・インスティテュート(MIRI)を創設したAI研究の第一人者であるエリーザー・ユドコウスキーの「野心家の多くは、世界を破滅させることを考えるよりも、箸にも棒にもかからないことを考えてしまうほうがずっと怖いと思う。私が会った中で、AIプロジェクトを通じて永遠の名声を勝ち取ろうと考える人たちは、みんなそんな感じだった」という言葉を引きながら、現在のAI開発と「神になりたがる」その開発者たちの危険性を指摘していますが、それで思い出した記事があるので最後に紹介したいと思います。
それはRolling Stone誌に掲載された「AIについて警告しようとした女たち」です。
ワタシは以前「美しい友情の終わり」で、AIの倫理面などの問題を最初に警鐘を鳴らしたのは全員女性だったが皆会社を追われた、とメレディス・ウィテカーが苦々しく書いているのを取り上げましたが、この記事は、ティムニット・ゲブル、ジョイ・ブオラムウィーニ、サフィヤ・ノーブル、ラマン・チョードリー、そしてシータ・ペーニャ・ガンガーダランの5人を取り上げています。彼女たちが皆、有色人種の女性研究者なのも意図的に違いありません。
記事は、ティムニット・ゲブルがGoogleのEthical AIグループの共同リーダーとして、大規模言語モデル(LLM)が訓練データのため、白人至上主義的、女性差別的、年齢差別的なアルゴリズムバイアスを問題視する過程で、最終的にGoogleを解雇されるストーリーを主軸としていますが、個人的にゲブルらが、メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』にも描かれる、AIシステムをサポートするために厳しく監視され、低賃金で働く労働者の搾取についても懸念していたことに特に感じ入るものがありました。
ゲブルのマイクロソフト時代の同僚だったジョイ・ブオラムウィーニは、データセットに多様性の問題のため、顔認識技術が白人(男性)に最適化されており、有色人種相手だと途端に誤検知が多くなることを問題視しています。顔認識技術は既にローン評価などの予測分析、犯罪の予測や取り締まり、企業による採用プロセスにも取り込まれています。
「この研究を始めたとき、『なぜ黒人女性にフォーカスするのですか?』みたいな質問をたくさんされました。(自分は人種や性別を分け隔てなく研究しているだけであり)多くの研究は白人男性にフォーカスしてるのに、なんで我々研究者はそれを聞かれないのでしょうか?」「かつて想像され、夢に見られたAIは、機械に様々な知性、コミュニケーション能力、世界を認識して判断を下す能力を与えるものでしょう。しかし、いったん判断を下せば、その判断には責任が伴います。そして、その責任は最終的に人間にあるのです」というブオラムウィーニの言葉は重いものがあります。
彼女の活躍は、Netflixドキュメンタリー『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』で観ることができますが、当初彼女たちの研究は必ずしも好意的に見られていませんでした。この記事でも、今になってAIの危険性を訴える側にまわった大物研究者のジェフリー・ヒントンが、ティムニット・ゲブルの苦境を無視するか、冷淡なコメントしか出さなかったことに触れられていますが、Twitterにおけるアルゴリズムバイアスを研究したラマン・チョードリーは、イーロン・マスクが2022年にTwitterを買収するなり、早速彼女の倫理チームごと排除されてしまいます。
そして、それがクラウドソーシングを使いAIシステムの問題点を探る非営利団体Humane Intelligenceの設立につながります。Googleを解雇されたティムニット・ゲブルも、検索サービスの人種差別や性差別を告発する『抑圧のアルゴリズム』の著書のあるサフィア・ノーブルらとDistributed AI Research Instituteを立ち上げており、シリコンバレーと距離を置き、ビッグテックの影響を受けない独立したコミュニティ主導の技術研究に力を注いでいます。
今ではAIの危険性の報道も多くなり、人工知能の規制についても現実的な話題として論じられるにいたっています。面白いと思うのは、倫理的問題を抱えるAIの危険性を警告してきたティムニット・ゲブルらは、くだんのジェフリー・ヒントンに代表される、AIによる人類絶滅のリスクの軽減はパンデミックや核戦争といったリスクと並ぶ世界的な優先事項であるべき、と訴える「AIリスクに関する声明」公開書簡に署名するような「AI破滅派(AI Doomers)」を好意的に見ていないことです。
AIの危険性は現実の問題なのにそれを見ていないと彼女たちは考えているようで、ラマン・チョードリーは、「AI破滅派」の多くが構造的不平等に苦しんだことがない、早い話が白人男性であり、だからこそ一足飛びに「AIによる人類絶滅」を問題にしてしまうのだと指摘しています。
思えば、今年3月にGPT-4より強力なAIの開発の即時停止を求める公開書簡が出たときも、「インチキAI」を告発するアーヴィンド・ナラヤナンとサヤッシュ・カプールも、AIに起因する長期的な破局的リスクの誇大表現は、現実にあるAIの安全性の問題の対処を逆に難しくしていると批判しており、このあたり彼女たちの視座と重なります。
さて、今回ワタシがこの文章を書こうと思ったのは、上で引き合いに出したダナ・ボイドの挑発的記事を取り上げた「男だけの世界──Oculus Riftは性差別的か?」を読み直し、そのトーンが冷淡なのに、かつての自分は、ティムニット・ゲブルやメレディス・ウィテカーが告発したように、女性研究者の訴えを軽く扱ってきたのではないか、と反省するところがあったからです。
そして、AIの学習データが白人(男性)の情報に偏ることは、日本人である我々にとっても不利益であり、ティムニット・ゲブルらの警告は、まったく他人事ではないのです。Rolling Stoneの記事は、「今度こそ、耳を傾けよう」という戒めの一文とともに終わりますが、その通りだと思います。
さて、TIME誌がAI分野でもっとも影響力のある100人(正確には103人)を先週発表しました。日本人で選出されたのが『サイバーパンク桃太郎』の著者Rootportさん一人だけなのも話題になりましたが、このリストには、メレディス・ウィテカー、アーヴィンド・ナラヤナンとサヤッシュ・カプール、テッド・チャンというこの連載で取り上げた人に加え、Rolling Stoneの記事で取り上げられる5人の女性のうち、ティムニット・ゲブル、ジョイ・ブオラムウィーニ、ラマン・チョードリーの3人が選出されています。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。