© Shigeru Takeda, Courtesy of Schrodingers.jp
October 30, 2026
入來篤史/帝京大学・理研 atsushi_iriki
1986年東京医科歯科大学大学院修了。同学歯学部生理学教室助手、ロックフェラー大学助手、東邦大学医学部生理学教室助手、講師、助教授、東京医科歯科大学大学院教授を経て、2004年より理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダー、2018年同研究所生命機能科学研究センターチームリーダー、2023年同研究所本部 未来戦略室上級研究員。著書に『Homo faber道具を使うサル』(医学書院)、『言語と思考を生む脳』(東京大学出版会)、『脳科学の教科書』(岩波ジュニア新書)など。現在、帝京大学 先端総合研究機構 AI活用部門 特任教授/理化学研究所 数理創造研究センター 量子数理科学チーム 客員研究員。
前回は『史記』を閉じ、白い紙を開くところで終わりました。項羽の沈黙や、記録に残らなかった選択が、歴史の続きを動かしていました。では、紙の上の「何もない」は、何をしているのでしょうか。
書の作品は、墨のあるところだけではできていません。字の内側の白、字間や行間、紙の端へ抜ける空間。筆が離れている時間も含めて、余白が作品全体の緊張感や呼吸をつくります。余白を埋めれば墨は増えますが、その緊張感が失われることもあります。なかなか厄介な勘定です。今回は、この勘定を科学の側へ持ち込みたいと思います。
私は共同研究者の日原(椎名)さやかさんと、この働きを「能動的余白」、英語では active absence と呼び、実験の準備を進めています。墨がない場所が、鑑賞者の知覚や書き手の次の行為を方向づける。ここで扱う余白は、単なる白地ではなく、そこを通り得た筆の動きが読み取られる空間です。
一画を書くとき、書き手の腕や体幹が動き、呼吸も変化します。その身体の動きと連動して、筆先の軌道や速度、筆圧が変わり、穂先も形を変えます。こうした時間をもつ三次元の出来事が、二次元の墨跡になる。ところが空中の運筆は、直接には紙に残りません。書は身体運動の記録であると同時に、記録されなかった運動を含む作品なのです。線が途切れても続く「筆脈」に、私たちは注目しています。
鑑賞者は、線の太さやかすれ、角度、筆画の切れ目から、「こう動いたのではないか」と制作を逆向きに推理します。同じ墨跡を生む運動は一つとは限りません。見る人は、作者の動作を再生するというより、自分の経験から複数の経路を組み立てる。中国書法を用いた実験でも、自分が書く感覚を想像する条件と、外から動きを眺めるように想像する条件で、好みの評定に差が出ることが報告されています。
第一回では、熊手を使うことで身体の周囲の空間表現が変わる話をしました。筆なら、その先へ伸びた行為空間に「届くけれど、触れない場所」も生まれるでしょう。余白は紙面の幾何学だけでなく、書き手と鑑賞者それぞれの身体から開かれる空間でもあります。ここに、私の脳研究の経験と書家の実践との接点があります。
この話を東洋の神秘に閉じ込める必要はありません。ジョン・ケージの『4分33秒』を思い出してみましょう。初演はピアノ独奏でしたが、作品は特定の楽器に限定されません。「TACET(休止)」という指示のもと、演奏者は三つの楽章を通じて意図的に音を奏でません。それでも演奏会では、舞台を整え、演奏者が構え、聴衆が待つ。単なる休憩時間とはずいぶん違います。
演奏者には、始まりと終わりを区切り、鳴らさない時間を引き受ける準備が要ります。聴衆にも、音楽が始まるという構えがある。その期待の前で音符が鳴らないと、咳払いや椅子の軋み、外の物音が、急に聴くべきものになる。全員が事情を理解して静粛にしている必要はありません。戸惑いも雑音も、この時間に入ってきます。無音をつくるのでなく、聴き方を変えるのです。
「無」が意味をもつには、何かが現れるという期待が要ります。ここでは、紙面の白い領域を「余白」、動きと動きのあいだの時間や関係を「間」、期待されたものが現れないことを「無」と呼び分けてみます。書から音楽、さらに日常へと問いを広げるための区別です。絶対的な無を測るのではありません。何を期待し、何が来ず、そのために何が変わったかを測る。この限定によって、無は実験の入口に立ちます。
紙と舞台から外へ出ると、社会は案外、この「無」をつくる仕事で成り立っています。防災は地震を止められなくても、倒壊や犠牲を減らそうとする。予防医療は発症や重症化を、防犯は被害を防ぐ。外交や国防の抑止も、望む成果の一つは戦争が起きないことです。
もっと身近には、校閲者が消した誤植は、読者には最初から存在しなかったことになります。よい仕事ほど、仕事の跡が消えるのです。
空けておくこと自体にも技術があります。前の車との車間距離、荷物を置かない避難通路。空きを全部使い切れば効率がよい、とは限らない。会話で相手に渡す間も、別の行為が生まれる場所を守っています。
これらを一つの現象と決めつけるつもりはありません。災厄を防ぐことと、表現の余地を残すことは違います。ただ、「何もない」という結果だけでは、その成立に必要だった働きが見えない点は共通しています。事故の救助は映像になりますが、事故を防いだ一日は映りにくい。長く無事が続くと、今度は備えが余剰に見えてくる。無事を支えた仕事への感謝はあっても、その貢献が予算や人事評価へ持続的に反映される仕組みは、まだ十分ではありません。これは残念な不均衡です。
評価する手段が皆無なのではありません。既存の因果推論やリスク分析は、対策の有無を比較し、回避された損失を推定します。国連の防災報告も、予防への投資が生む便益と、その過小評価を問題にしています。しかし同じ社会の同じ一日を、備えた場合と備えなかった場合の両方で観測することはできません。介入を差し控える実験が許されない場面も多い。従来の方法でも推定はできますが、一回限りの「起こらなかったこと」の寄与を、仮定に依存せず定量化するのは難しいのです。
この難しさを整理するには、三つの問いを分ける必要があります。まず、対策は損失をどれだけ減らしたのか。その効果を、誰のどの働きにどれだけ帰せるのか。そして人は、その貢献をどれほど高く評価するのか。効果の推定、功績の配分、評価の形成は、別の問いです。「おかげさま」を予算や待遇につなぐには、対策の効果を測るだけでなく、その伝わり方まで調べる必要があります。
そこで、一枚の書へ戻ります。同じ社会を「備えがあった場合」と「なかった場合」の両方で実際に比べることはできませんが、同じ文字なら、見せ方を変え、知覚の違いを実験で比較できます。筆画の形や配置、見せる順序を変え、鑑賞者が墨跡のない余白にどんな筆の動きを読み取るかを調べます。紙の上の「何もない」が、次の動きの想像をどう導くかを問うのです。
私たちの実験では、点画を流れるようにつなぎ、ときに省略する行書を対象にします。前の画から次の画へ向かう、見る人が想像する筆の軌跡に注目します(図1左)。まず、前の画が終わる向き(例えば、薄く示した「跳ね」の方向)と、次の画が始まる位置や向き、画と画の距離を同じ文字として読める範囲内で少しずつ変えます。書の経験者と未経験者に、つながりの自然さを評定してもらいます。さらに、その想像した軌跡を画面上に描いてもらいます。作者が実際に筆を動かした軌跡と、見る人が想像する軌跡は、ここでは区別します。

予備実験で描いてもらった軌跡から、代表的な四つの候補を取り出します(図1右は模式例)。本実験では、前の画と次の画を筆順どおりに提示する場合、逆の順序で提示する場合、同時に提示する場合を設け、さらに、画と画の間に筆の軌跡を示す線を添える場合と、添えない場合を比べます。参加者には流れの自然さを評定し、最も自然に感じる軌跡を四つから選んでもらいます。参加者が選んだ軌跡を記録することで、見る条件や書の経験による違いを、選択の割合として比べられます。
画像の複雑さや読みやすさにも気を配り、書の経験年数や筆順の知識を確認します。提示時間などの条件をそろえ、見る順序や軌跡を示す線の有無によって、想像される軌跡が変わるかを調べます。次の段階では、その選択割合をコンピュータで予測します。筆画の位置や向き、間隔、提示順などを手掛かりに、各候補が選ばれる確率を計算します。
まず、これらの手掛かりから候補ごとの確率を計算する古典的なモデルを作ります。見る順序による変化も、そこで扱います。そのモデルと、候補同士が強め合い・弱め合う関係を扱う量子確率モデルを、同じデータで比べます。この比較から、余白にどんな筆の軌跡が想像されるかを説明する手掛かりを探します。予測した軌跡と確率を画面に示し、参加者の選択と見比べる仕組みも作りたい。将来は書家と鑑賞者が「私はここをこう読んだ」と話し合う道具にできるでしょう。
この設計には書家の協力が欠かせません。「ここは切れたのか、続いているのか」「字の中の余白を変えると、字形や筆の流れの感じ方はどう変わるのか」。何を変えれば本質が変わるかを見抜く知識は、計測機器だけからは出てきません。私たちは、対象文字の選定、変えても書として成り立つ範囲の吟味、結果の読み解きにご協力くださる書家の方々と、研究を進めたいと思っています。作品を測らせていただくだけでなく、何を測るべきかから、一緒に考えたいのです。
では、量子論の出番はどこでしょう。鍵は、画と画のあいだの筆の軌跡について、まだ決まっていない複数の「読み」をどう組み合わせ、一つの判断につなげるかです。先ほどの古典モデルでは、軌跡ごとの確率に応じて寄与を足します。量子論の経路積分では、位相をもつ振幅を足してその絶対値の二乗から確率を得る。この順序の違いによって、可能性同士が強め合い、打ち消し合う干渉項が現れます。
たとえば、余白を大きく回る軌跡と、短く渡る軌跡が候補にあるとします。一方の画から生まれた読みは、もう一方の画を見るとどう変わるか。その変化を、候補間の干渉と提示順の双方を含む数理で表せるか。この問いを、実験で得た回答とモデルの予測を照らし合わせて検討します。人の知覚そのものが物理的な量子現象だという主張ではなく、知覚の変わり方を予測する数理の提案です。
検証は二段階です。まず実験で、余白にどんな筆の軌跡が想像され、その選択割合が見せ方によって変わるかを調べます。次に、得られた回答をもとに、古典モデルと量子確率モデルを作ります。量子モデルでは、小規模な量子回路の働きを通常のコンピュータで再現する「量子エミュレーション」によって、各候補が選ばれる確率を計算します。両モデルに同じ手掛かりと候補軌跡を与え、モデルの調整に使わなかった文字や別の参加者の回答を、どちらがより正確に予測できるか、数値で比べます。
仮に提示順で回答が変わっても、それだけで量子モデルが優れているとは言えません。比較条件と評価基準はあらかじめ決め、モデルの複雑さも考慮して、未知の回答への予測精度を比べます。さらに、量子モデルの干渉項を残す場合と除く場合を、同じ未知の回答について比べ、干渉そのものの寄与を調べます。干渉項を加えて手元のデータに合わせても、未知の回答を古典モデルよりよく予測できなければ、量子モデルを使う意義は示せません。余白に想像される筆の軌跡を、こうして検証可能な数理モデルにしていきます。
同じ数理的な考え方を、予防の評価にも応用できるかもしれません。量子論によって、起きなかった事故を直接知ることができるわけではありません。検証したいのは、備えについての情報と、無事故という結果を示す順序によって、その備えへの評価や予算配分の判断がどう変わるかです。潜在していた危険、備えによって回避されたと考えられる危険、なお残る危険を、人はどの順序で理解し、価値を与えるのか。
因果推論で対策の効果を推定し、量子様の文脈モデルで、その効果が評価へ変わる過程を検証する。さらに、判断を変えた結果、次の備えや危険の分布がどう変わるかを追う。効果、認知、次の介入までを一続きの経路として扱えば、結果のゼロに埋もれた仕事を評価する枠組みに近づけるかもしれません。数式が公正さを決めるのではありません。しかし、評価がどこで歪むかを検証し、制度を設計し直す足場にはなるはずです。
最後に、少し扱いにくい言葉が顔を出します。「目的」です。何もないところに、いつも誰かの意図があるわけではありません。それでも、筆を止めて余白を残す、車間距離を保つ、相手のために間を空けるといった active absence には、「何のために」が見え隠れします。同じ白地でも、書き忘れと、書かない判断とは違う。結果の形だけでは分けられません。
ただ、人の意図を問うことと、自然現象を目的で説明することは別です。自然現象の法則を探る近代科学が強く警戒してきたのは、未来の目的を持ち出して現在を説明し、それで分かったことにする目的論です。石が「地面へ着くために」落ちる、と言っても落下の法則にはならない。この禁忌には理由があります。ただ、その警戒が人の行為の目的まで説明の外へ追い出すと、何かが起こらないよう働き続ける営みは、ますます捉えにくくなります。これは評価の困難のすべてではありませんが、その一角にはあると思うのです。
アリストテレスは、ものを説明する原因を、何からできているかという「質料因」、どんな形かという「形相因」、何が変化を起こすかという「作用因」、何のためかという「目的因」に分けました。書なら、紙と墨(質料因)、字の構成(形相因)、筆を動かす身体の動き(作用因)、どんな余白を残したいかという意図(目的因)が、それぞれに当たります。目的は、制作の途中でも変わり得ます。一画を置くと、その墨跡を見て、残したい余白も次の筆の運びも変わることがある。制作は、目的を実現するだけでなく、目的をつくり直す過程でもあるのです。
目的は、科学から完全に消えていたわけでもありません。制御理論は目標からのずれを使い、最適制御は達成したい状態と、そこへ至るためのエネルギーや時間などの制御コストを数式にします。今回の実験は、鑑賞者が墨跡のない余白にどんな筆の軌跡を想像するかを調べるものです。その先では、書き手が制作の途中で、残したい余白や次の一画をどう選び直すかも調べたい。制作中の選択の記録や、本人による意図の説明を手掛かりに、その判断の変化を量子論的な数理で記述できるでしょうか。
そのとき、未来が過去へ命令しているのではありません。想像された複数の未来が、現在の期待や制約となり、手の進み方を変えています。将棋でも、ある局面を読むことで、別の候補手の魅力が変わるかもしれない。到達点を含む条件のもとで経路全体を扱う経路積分は、こうした関係を考える一つの足場になります。ただし、経路積分には古典的な使い方もあり、目的の変化だけで量子論が必要になるわけではありません。ある未来を考えたことが、別の未来の選ばれやすさをどう変えるか。量子論的な記述が役立つかは、これから確かめる問いです。
この探究では、量子計算機の実機にモデルを載せ、干渉や観測順序の効果を装置上で確かめ、人の判断と照らし合わせることも視野に入れています。心を量子装置と見なすのではなく、その数理モデルを実際の量子過程として動かし、計算と実測を突き合わせるためです。書家が一画の先に感じる可能性が、心のモデルを試す新しい実験へつながるかもしれません。
余白から始めたつもりが、目的因を新しい仕方で実験室へ招く話になりました。何を起こすかだけでなく、何を起こさず、何が起こり得る場所を残すか。そのために、いま何をするのか。次は、この「ために」を、歴史の時間へ持ち出してみたいと思います。筆を止めたところに、次の問いが残りました。(入來篤史/帝京大学・理研)