前の論考「パンデミックをつくったのは誰か」では、「新型コロナウイルス」という“自然現象”と「パンデミック」という“社会現象”の二つを分けて、「まなざしのデザイン」の観点から考えた。
2020.04.27
教養のあるなし、ということのなかに、知識のあるなしが、少なくともある程度含まれていることは、間違いありません。他書からの受け売りですが、ある翻訳書のなかに、「それはあたかも雪の中で聖ベルナルドゥスに出会った想いであった」という一文があったそうです。
相手の正体が一向に判らないままに、日本は戦後初めて「非常時」を迎えている。すべての国民が、明日の自分の命を慮らなければならない事態である。
2020.04.23
未曾有のパンデミックに対していかに立ち向かうことができるのかに世界は完全に頭を悩ませている。この緊迫した事態は予断を許さず、パンデミックに一丸となって立ち向かう流れに逆らうような態度は許されない。そんな空気が世界中に漂っている。
2020.04.14
日本建築家協会(JIA)の東北支部が2006年に創設した東北住宅大賞の審査を立ちあげのときから、およそ10年、担当したことがある。名前の通り、東北六県に建てられた住宅を対象としたアワードだ。そこで審査委員長の建築家、古谷誠章とともに、筆者が担当した10回の歴史を振り返りたい(ちなみに、その後、審査委員長が変わり、筆者は2017年度の第11回まで担当した)。
2020.04.13
変な問いかけだが、ゴミは“いつから”ゴミになるのだろう。最初から最後までゴミであるようなものはあんまりない。使っている間はゴミとは呼ばれないからだ。しかし使い終わって不必要になると、それはゴミと呼ばれるものに変わる。だからゴミは元々あるものじゃない。どこかの段階でゴミに「なる」のだ。
2020.04.06
この警告はすでに50年も前に発せられていた。1972年に出されたローマクラブの「成長の限界」という研究報告には、地球の許容量に比べて今の文明があまりに多くの課題を抱えていることが既に指摘されていた。
2020.02.25
沖縄の建築は、個性的な風土の影響を受けて、独特の表情をもつ。それゆえ、ポストモダンの時代には、象設計集団による傑作、名護市庁舎(1981年)[1] など、地域性の強いデザインが登場した。
2020.02.21
仙台は空襲を受けたこともあり、あまり古い建築が残っていない。ケヤキ並木が続く、定禅寺通りなど、杜の都のイメージも戦後につくられた風景である。冬のケヤキがイルミネーションで彩られる光のページェントも、1985年に始まった。
2020.01.17
「メリハリ」とは、もともと邦楽用語からきている。低い音を「減り(メリ)」、高い音を「上り・甲(カリ)」とよんでいた。この「カリ」が転じて「張り(ハリ)」となり、音楽に限らず表現全般において、強弱をつけることで対象を浮き上がらせ、シャープにするときに使うようになった。
2019.12.26