「2009年12月に世界のモバイルデータ通信量が音声通信量を上回った(2010年3月発表)」「モバイルデータ通信量2016年までに10倍に(2011年11月発表)」これらエリクソンのプレスリリースが象徴しているように、昨今、世界の携帯市場の成長ドライバーは、音声からデータへと急速に移り変わっている。こうした中、モバイル音声市場が再び注目を集めるきっかけになるかもしれない、「モバイルHD音声」と呼ばれる新たなサービスの展開が世界各地で始まっている。「HD」は、「HD:High Definition=高精細度」のことで、テレビの世界では鮮明な映像を実現する技術として既に広く浸透している。モバイルHD音声はこの音声版とも言うべきもので、高品質のモバイル音声通話を提供するものだ。
モバイルHD音声は、3Gの標準化団体3GPPのリリース5で標準化された音声符号化技術、AMR(Adaptive Multi-Rate)ワイドバンドを採用している。音声に含まれる周波数成分は約7000Hzだが、従来技術のAMR(Adaptive Multi-Rate)ナローバンドは300〜3400Hzまでしかカバーできず、携帯電話での音声が聞き取りづらいといった事象は日常茶飯事的に発生していた。AMRワイドバンドでは、これが50〜7000Hzにまで拡大されており、ほぼ全ての音声帯域を取り込める(図1)。
▼図1:AMRワイドバンド/AMRナローバンド 比較
そのため、同技術を用いたモバイルHD音声サービスでは、クリアな品質での通話が可能となる。サービス開始済みの事業者の一つである豪テルストラは、「映像に例えるならVHSとブルーレイの違いに匹敵する。何百何千km離れた場所からの通話も面と向かって話しているように聞こえる。類似した発音の『S』と『F』の違いがよりはっきりと区別できる」と評しており、従来の音声品質から飛躍的な進化を遂げたことが窺える。
世界初のモバイルHD音声サービスは2009年9月、オレンジ・モルドバ(仏オレンジのモルドバの子会社)によって開始された。携帯電話の国際業界団体GSAの最新統計によれば、2011年11月21日時点でのモバイルHD音声サービスの商用提供数は31カ国36事業者。サービス開始年の提供数は僅か1件と出だしこそ遅れたものの、その後一気に増加ペースが高まり、2010年は12件、そして2011年は11月時点で既にこの約2倍の23件に達している。提供数の半数超を欧州が占めているものの、アジア太平洋、中東、中南米、アフリカにまで展開は拡大しており、世界規模でモバイルHD音声サービスの導入が進んでいる(図2)。
▼図2:モバイルHD音声サービス 世界の商用提供状況(紫色=導入済み)
特にオレンジはモバイルHD音声サービスを、各社横並びとなっているモバイル音声サービスにおける差別化要素として活用していく方針であり、海外現地子会社、出資先事業者を通じて積極的に投入を進めている。2011年9月には15番目の市場となるスイスでサービスを開始、同社の提供数は全体の半数弱にも及んでいる。同社はモバイルHD音声市場のパイオニアであると同時に、同市場の主たる牽引役となっている。なおGSAによれば、2011年11月21日時点でモバイルHD音声対応端末が60機種投入されており、同サービスを取り巻くエコシステムも着実に拡大しつつある。
モバイルHD音声サービスの提供事業者には、オレンジを始めボーダフォンなど世界に名だたる事業者が名を連ねている。そのため、今後短期間のうちに提供数がさらに増加する可能性もあり得るだろう。モバイルHD音声サービスによって、モバイル音声に対する既存の価値観を一変させる魅力的なユーザーエクスペリエンスを提供し、成長の鈍化したモバイル音声市場において新たなビジネスチャンスが創出されることに期待したい。
文・松本 祐一(情報通信総合研究所副主任研究員)
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