ロボット

「ロボット」という言葉はもはや無意味なのか?

2015.10.20

Updated by yomoyomo on 10月 20, 2015, 14:01 pm JST

今年の半ば頃、フォルクスワーゲンの工場で働く22歳の工員が、ロボットに掴まれ、金属板に叩きつけられたことによる怪我がもとで死亡する事故がありました。このときは、「フォルクスワーゲン工場の作業員、ロボットに殺害される」と世界中で報じられたわけですが、先日より話題のフォルクスワーゲンのクリーンディーゼル車を巡るソフトウェアの排ガス規制不正問題について、「ロボット」という言葉を引き合いに出す人はいません。

「自動的に一連の複雑な動作を実行できる機械、特にコンピュータによりプログラム可能なもの」というオックスフォード英語大辞典におけるシンプルな定義に従えば、フォルクスワーゲンの案件は両方とも技術的には「ロボットの問題」だと指摘するのが、ケヴィン・ルース(Kevin Roose)の「The word ‘robot’ is meaningless. Why are we still saying it?(「ロボット」という言葉は無意味だ。なぜ我々はその言葉を未だに使っているのか?)」という文章です。

実際には、予めプログラムされた手順に従い大きな物を掴む工場の機械に比べると、エミッションテストが行われる場合のみを検出でき、テストを誤魔化せるオンボードセンサーが備えられていたフォルクスワーゲンのディーゼル車は、より洗練されたものと言えます。言い換えると、労働者を殺したフォルクスワーゲンの工場のロボットが意図せず非道なことを行ってしまったのに対し、フォルクスワーゲンのディーゼル車は、意図的に人を欺くようプログラムされていたということです。

ここで少し余談になりますが、フォルクスワーゲンの工場で起こった「ロボットによる殺人」に関する報道では、映画『ターミネーター』シリーズの登場人物のサラ・コナーに名前がよく似たサラ・オコナー(Sarah O'Connor)というフィナンシャルタイムズの記者が事故についてツイートしたことが、盛大にジョークのタネになるという一幕がありました。

実は今回取り上げる文章の著者ケヴィン・ルースについても、個人的にそれと少し似た経験があります。以前、ブログでこの人の記事を取り上げたとき、ワタシは記事の著者をてっきり Digg の創業者として知られるケヴィン・ローズ(Kevin Rose)だと思い込み、危うくそういう文脈で紹介しかけたことがあります。ケヴィン・ルースは今回取り上げる記事が掲載されているニュースサイト Fusion の編集主任を務めるジャーナリストであり、ウォール街のエグゼクティブたちの生態を暴いた彼の最新刊『Young Money: Inside the Hidden World of Wall Street's Post-Crash Recruits』の邦訳は出ないんですかね?

さて、話をルースの記事に戻すと、彼が指摘するのは、我々の生活を取り巻くデバイスの多くが、「偽名を使うロボット」であるという現実です。例えば「スマートサーモスタット」とは家の温度を上げ下げするロボットですし、「スマートホームセキュリティシステム」とは住人の安全を維持するロボットですし、Bluetooth のチップがついたコーヒーメーカーとは、あなたをカフェイン漬けにするロボットですし、Siri のような「パーソナルアシスタント」はいわゆるソフトウェアロボットで――というわけです。

つまり、家事が自動化されるにつれ、我々の生活を支えるロボットの数が急速に増えつつあるわけですが、ネット接続されたデバイスの勃興は、我々に厄介な意味論的問題をつきつけます。「自動化されたプロセス」と「ロボット」の境界は何なのか? 車の部品を動かす工場機械は「ロボット」とみなされるのに、なぜそれよりずっと洗練されたコードベースを持つフォルクスワーゲン車はロボットでなく「ジェッタ」と呼ばれるのか?

そしてケヴィン・ルースは、あらゆる種類の人工知能を包含可能なように「ロボット」の定義をごまかすのではなく、もうこの「ロボット」という言葉を使うのをすっぱり止めてはどうかと提案します。

ルースの提案の背景には、ロボット工学やオートメーションの専門家に「ロボット」という言葉についてどう思うか取材したところ、その多くがその言葉は寿命を迎えてしまったという意見に同意したことがあります。例えば、『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』の著者クリス・アンダーソンは、「ロボットとは価値のあることを行わないものを指す言葉だ。それがいったん何かしら機能を果たすようになると、我々は「食洗機」とか「トースター」とか「ドローン」とその機能に名前を与える」とまで言っていて、おい、そういうお前が CEO を務める会社は 3D Robotics だろが! とツッコミたくなるわけですが、実は少し前にアンダーソンはその社名を 3DR に変えており、抜かりがありません。ぐぬぬ……。

「ロボット」という言葉は、元はチェコ語で「奴隷」を意味する robata に由来し……と思ったら、調べてみるとチェコ語で「労働」を意味する robota に由来するという話もあります。いずれにしてもチェコ語に由来するのは、この「ロボット」という言葉を発明したのが、チェコの作家カレル・チャペックだからです。

1920年代に英語になって以来、「ロボット」という言葉は、我々の不安を表現するのに使われてきた歴史があります。当時から現在までもっとも人口に膾炙しているのは、人間の職がロボットに奪われる不安ですし、SF に登場するロボットに関しても、それこそカレル・チャペックがこの言葉を初めて使った作品に始まり、『ターミネーター』のスカイネットのような、人間に反旗を翻し、危害を加える存在として多く描かれてきました。

一方でロボットという言葉が、「未来」の象徴として使われてきた歴史もあります。ロボットベンチャー企業 pneubotics の CEO であるケヴィン・アルバートは、その言葉の範囲があまりに拡散してしまったことは認めつつも、最終的にロボットという言葉は、それを手がける企業がイノベーションを目指しているシグナルに過ぎなくなるかもしれないと語ります。つまり、ロボットを作っていると言うのが、我々は未来に向かって仕事してるんです、の簡単な言い換えになるというように。

しかし、ロボットという言葉を巡る最大の問題はそこにはないとケヴィン・ルースは断じます。問題なのは、その言葉が人間の営為を曖昧にする点です。ロボットの不正な動作について語るとき、我々はそのロボットが、人間が書いたひどいコードを実行しているだけなことをしばしば忘れてしまうとルースは警告します。基本的に、ロボットは人間によりプログラムされた通りに動くのです。フォルクスワーゲンの排ガス規制不正問題も、同じくフォルクスワーゲンの工場で起こった殺人も、人間に作られたソフトウェアの問題という点で変わりはありません。

そしてルースは、実はさして取り立てるほどのこともないオートメーションについての記事で、少しでも読者の注意を集めようと、「ソフトウェア」や「コネクテッド・デバイス」のほうが適切な文脈で「ロボット」という言葉を使い、読者の不安を煽るなどして記事に注目を集めようとした自身の過去を懺悔し、これからは言葉の選択にできるだけ正確を期すことを誓っています。この文章は、以下の文章で締められています。

突き詰めると、「ロボット」という言葉を口に出す回数が少なくなればなるほど、我々はその生活を支える機械の仕組みをより理解することになり、最終的に機械をコントロールする人間に対して説明責任を求めることになる。

このケヴィン・ルースの文章を読んで、正直そこまでロボットという言葉を目の敵にせんでも、と思う気持ちも少なからずありますが、一方で少しですが納得するところがあります。なぜなら、今現在何度目かのロボットブーム期を迎えていますが、それこそ人工知能(AI)やディープラーニングといったところから、(クリス・アンダーソンもてがける)ドローンビジネスからモノのインターネット(IoT)あたりまで、様々な方面からの期待が「ロボット」という言葉に向かい、その期待の象徴になっている印象があるからです。

クリス・アンダーソンの「ロボットとは価値のあることを行わないものを指す言葉」という煽りを読み、ワタシが真っ先に連想したのは、実はホンダの ASIMO だったりします。

こういうことを書くと刺されそうですが、ASIMO が2000年代前半のロボットブームの中心にあり、それこそ今年発表されたソフトバンクの Pepper にいたるまでいろんな製品に多大な影響を与えてきたことを認めた上で、未だ海外からの要人の来日時に引っ張り出され、挨拶したり踊っている ASIMO の姿を見て、iRobot が「掃除」という家庭用ロボットのキラーアプリをがっちり掴み、Google がずんずんロボットベンチャーを買収し、実際 BigDog などがどんどん実用的に進化している一方で、いつまでこんなことやってんだと気恥ずかしさすら覚えます。

このあたり「quality」という単語の意味のとらえ方の違いの話を思い出します。日本人が完璧を目指すことの重要性を強調している間に、(クリス・アンダーソンも「何かしら機能を果たすようになると、我々はその機能に名前を与える」と指摘するように)アメリカ人は何より「機能する(It works)」ことに「quality」を見出し、価値を置いているわけです。

さて、以上の観点を踏まえ、先日シャープが発表したロボット型電話 RoBoHoN を評価すると……どうなるんでしょうか?(笑)

正直この新製品のニュース記事を見たときは(芹沢博文風に)「狂ったかシャープ」と思いましたし、ロボットを耳にあてて喋る姿などギャグ以外の何物でもありませんが、そのコンセプトムービーを見ていると、少し違ったことを思ったりしました。

見た目は奇異ですが、RoBoHoN が提供する主要な機能――電話、メール、アラーム、(ビデオ)カメラ、パーソナルアシスタント――自体はそんなおかしなものではなく、言うなればスマートフォンの擬人化と言えるでしょう。いや、「擬人化」ではないな……なんといったらいいのだろう? むしろロボットの擬態?

ともかく、ワタシが評価したいのは、こんな頭のネジが飛んだような製品を来年前半には投入する決断の早さです。上にも書いた通り、これこそがロボット分野で日本企業に欠けたものだと思うからです。

"So crazy, it just might work." という言い回しが英語にはありますが、ワタシにしても、突飛すぎてかえってうまくいくかもしれないのを期待したくなります。まぁ、それはもはや期待というより祈りというかヤケクソに近い気もしますが。

ロボット分野なら「ロボット法学会」の設立などをもっとマジメに論じるべき話題もありますし、気がつくとタイトルに掲げた問いかけとはかなり離れてしまったので強引に戻すと、RoBoHoN のような製品は、果たしてクリス・アンダーソン流の「ロボット」定義の妥当性を考える上でも興味深かったりします。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

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