original image: © kikisora - Fotolia.com
知的情報処理の最前線:日本に「量子アニーリング」が来る日
Welcome back "Quantum annealing"
2016.08.30
Updated by Masayuki Ohzeki on August 30, 2016, 07:00 am JST
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Welcome back "Quantum annealing"
2016.08.30
Updated by Masayuki Ohzeki on August 30, 2016, 07:00 am JST
2016年8月1日、これは日本の量子アニーリング研究、果ては量子コンピュータ研究の記念するべき始まりの日かもしれない。
ハーディス株式会社が日本におけるD-Waveマシンの販売提携を発表した。カナダのD-Wave Systems社が開発した量子力学による計算が可能なコンピュータを導入する窓口が広がったと言える。これを導入する研究機関や企業が、日本の量子アニーリング研究のけん引役となることは間違いないだろう。
D-Wave Systemsは単にマシンを開発するだけではなく、呼び水となるソフトウェア開発に従事する1Qbitsというベンチャー会社と連携をして実社会の様々な問題のソルバーとして浸透するような仕掛けを施している。
今年の9月には、1Qbitが用意するツールの利用者たちの会議が開催される盛り上がりぶりだ。日本でもD-Wave Systems、1Qbitをはじめとして量子アニーリングが拓く新時代を体感する時期が迫っているのだ。
誰が、どこが、D-Waveを導入するのか。そこに注目が集まることだろう。おそらく企業なり、投資家が集まり日本の未来に向けて1石を投じることだろう。
これは量子アニーリング研究をしてきた人間としても、大きな方向転換が迫られる場面とも言える。その流れに乗るか、それとも独自な路線を走るか、である。量子アニーリングがもはや研究や開発段階から抜け出すことを意味するからだ。
大学や研究所の研究者は、概念やその実現可能性、性能限界を突き詰める基礎的な研究を中心に推し進める。対して、その成果を集積したものを利用する、運用するというのはやはり異なるステージであり、推進する人間は異なる能力を有する必要がある。
その意味で、おそらく一番に導入するのは企業であろう。実際のサービスでD-Waveマシンを利用して、恩恵を感じるというのは、やや後の話ではあろうが、やはり日本で一番最初に導入したということになれば大きく目立つ。日本の量子アニーリング研究のメッカの誕生である。
* * *
さて、これまでの記事とは少し趣を変えて、筆者の主観だけで語ってみよう。
自分ならどうするか?
量子アニーリングマシンを手にしたとして、君ならどうするか?
誰から聞かれたかは秘密だ。
実はそんなことを過去に聞かれたことがあった。ちょうどその頃、NASAに設置してあるD-Waveマシンを利用しての研究課題の公募がされていたことと、Googleからも何か共同研究をしないかという「ゆるい」話があったのだ。
日本の量子アニーリング研究は、上記で述べた通り、大学と研究所に籍を置く研究者が中心となっていたため、そのテーマは理論的な性能限界や、計算がうまくいくメカニズムについての深い理解を求めるというものだった。今の盛り上がりから見ると、「じゃあ、それでどうするの?」というところが欠けていたと感じられた。
そんな中での相談であったので、自分が興味を持っていた実社会の問題に対応する問題を解いてみよう、と2つの提案をした。
一つは最適化問題を駆使した画像処理によるサービスの提案。もう一つは機械学習に利用するという提案。ただ実際にやるにあたり、検討する問題が様々に噴出した。
現行の最新機であるD-Wave 2Xでは1000量子ビット、いわば1000個の要素を取り扱うことができる。前者の画像処理の問題であれば、素朴な正方形の画像であれば、白黒の画像で、√1000程度、32×32の画像を扱うことができる。低解像度でも十分に可能な手書き文字認識や、ややレベルの低い顔認識システムの画像処理に適しているくらいだ。確かにD-Waveマシンを利用した手書き文字に関係する最適化問題のデモンストレーションはよく見る。
だが僕が取り扱っていた問題は、3次元の立体の問題であったので、このマシンで扱えるのは10×10×10のサイズ程度のものまでだ。目標としていたサイズはもう一桁上の長さによる立体であったので、現行機では不可能であった。
後者の問題、機械学習についてはどうであったか。当時のD-Waveは最適化問題への適用だけがクローズアップされており、機械学習に利用するという話はほとんどなかった。
機械学習では、その計算で一番のネックとなるところが、いろいろなデータを模擬的に出力するサンプリング部分である。サンプリングでは、最適解を必要とせず、いくつもの解の候補を出すことが求められる。その時にD-Waveマシンの高速性を利用しようというわけだ。
一見、良さそうだ。事実D-Waveマシンは、指定した回数分だけ最適化問題を解いた解を出してくれる。そしてD-Waveは、そのような利用の仕方を多く見せることで、昨今の日本の人工知能ブームと同様に、熱烈に有効であることをアピールしている。
しかし機械学習では、サンプリングを何度も繰り返し行う。異なる状況でのデータの出力を何度もしながら比較して、実際に手持ちのデータとの整合性が取れるサンプリングができる条件を探すことでなされる。
そのためにはD-Waveマシンを酷使することになる。事実、繰り返しアニーリングを行うと、だんだんと熱により温度が上がり、動作環境が変化してしまうという問題がある。この点も克服するべき課題である。
* * *
さて、この話を聞いて、それでもD-Waveマシンを買いますか?
あなたがD-Waveを買おうとしていた企業の担当者だとしたら、臆病になるかもしれない。
それでも僕は「いや、買うべきだ」と強く言いたい。
研究者の多くは必要ないと感じているだろう。
なぜなら欠陥だらけだから。物足りないと感じるからだ。
それは僕もそうだ。D-Waveマシンが出力する最適解を見ると、実際はかなりのノイズにまみれて、真の最適解を出すことには失敗している。そこそこ良い解を出している。または何度も何度も実行することで良い解をたまたま見つけている。そんな機械で何ができるのだろう。
しかし、そのような問題はD-Waveがあるからわかったのだ。
D-Waveを使ったからこそわかるのだ。
マシンがあるからこそ実験できる舞台が揃うのだ。
そしてそのマシンの問題点は、克服するべき課題として突きつけられた挑戦状なのだ。それに果敢に挑戦し続けているのが、D-Waveを中心とした海外の研究者や技術者、サービスに展開しようと目指しているユーザーたちだ。
現在の我々にはよりどころ、挑戦をする舞台がない。
その舞台に集中的にリソースを注ぐ必要がある。
その舞台が日本に用意されるのだ。それを断る理由はないだろう。
量子アニーリングは物理学の研究から創出された技術である。物理学とは実験事実に基づき、その実験事実に矛盾しない原理を追求する学問である。つまり実験が必要だ。
D-Waveマシンは、量子アニーリングの実験機なのだ。
それを用いて、新しい原理を追求する舞台とすれば良いのだ。
D-Waveマシンを使い倒してこそ、克服するべき課題が見つかる。
その時、その課題全てをクリアした、純国産の量子アニーリングマシンを登場させれば良い。
そのマシンはきっと、日本人が作ったからこその精密で高性能で行き届いたシステムを搭載していると期待している。
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登録はこちら1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。平成28年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「機械学習入門-ボルツマン機械学習から深層学習まで-」、「量子コンピュータが人工知能を加速する」(共著)がある。