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シャッター商店街を蘇らせる最高の担い手は「鬼嫁」たち- 鳥取県湯梨浜町松崎

2017.12.04

Updated by Yu Ohtani on 12月 4, 2017, 10:35 am JST

※この記事は「小さな組織の未来学」で2016年10月14日に公開されたものを加筆改訂したものです。

地元のお祭を復活させたシャッター商店街の「鬼嫁」

鳥取県湯梨浜町の松崎では、明治以前から、毎年稲刈りの季節に農耕具や日用品を取り引きする市が立っていました。当時は町外各地から買い付けに来る人が多かったそうです。戦中に一時中断されていましたが、東郷町が発足した1953年に地元の商工会が復活させ、毎年10月の3と8のつく日に市を立てたことから三八市(さんぱちいち)と呼ばれるようになりました。しかし90年代には町の衰退とともに市の活気も低迷し、「外部の業者が地元産でもない安い野菜を売りさばく、地元と関係が切れてしまったもの」になり下がってしまっていたと言います。これをなんとかしようと、2010年に三八市実行委員会が地元有志により結成され、三八市の“復活”が始まりました。

▼復活した三八市の様子(2015年)
復活した三八市の様子(2015年)

三八市実行委員会の柱となって八面六臂の活躍をしているのが、商店街の女性陣です。中心人物の一人、野口智恵子さんは衣料品店を営む松崎生まれ、松崎育ちの女性。商店街で生まれ育ち、実家の3軒隣に嫁ぎました。小さい頃から三八市を体験し、その衰退を間近に見ていた一人です。子育てが一段落したことを機に、野口さんは「三八市をもう一度、松崎の名物にしたい」と立ち上がりました。商店街のお店一軒一軒に声をかけて市への出店を依頼し、2011年以降の三八市は地元の人々が主体のお祭りへと変化していきました。2015年の三八市では20軒以上のお店が開き、松崎以外の町からもおでんやカフェを出す若者が集まり出店しました。「三八市の“復活”以前は、商工会で顔を合わせてもそんなにコミュニケーションは無かったけれど、今ではすっかり打ち解けて、つながりができています」と野口さん。その活動が結晶化したのが、野口さんを含めた5人の女性陣による「鬼嫁」の活動でした。

▼「つの」をたてた野口知恵子さん
「つの」をたてた野口知恵子さん

やり方は「やる」と決めてから考える – マダム・コミュニティ「鬼嫁」の活動

「鬼嫁」としての活動は、2015年の三八市で何か目玉となるようなイベントがしたいと考えていたところ、三八市実行委員会の女性たちが元気なことから「鬼嫁」というキーワードが浮かび、鬼嫁コンテストを開催したことから始まりました。野口さん以外の鬼嫁メンバーも、仕出し屋さん、写真館、自動車販売、八百屋さんと、5人全員が商店街の女性です。鬼嫁コンテストは、参加者それぞれが自分たちで衣装を手作りし、ダンスの振り付けを考えたり、メンバーの写真館で写真を撮るといった本格的なもの。「文化祭をやっているようで楽しいんですよ!」と野口さん。2015年のコンテストでは一般客の人たちの飛び入り参加もあって大盛況。審査員には町長の姿もありました。

▼鬼嫁コンテストの様子
鬼嫁コンテストの様子

「『しようか?』だと、ものごとは動かない。まず「する」と決める。それからやり方を考えるのです」と野口さん。鬼嫁たちの行動力と人々を巻き込むノリによって、三八市は町外からも参加者が集まるイベントに成長しました。「鬼嫁コンテストの出場希望者がすごく増えているので、今後も三八市と鬼嫁の活動を続けざるを得ないのです」と野口さんは嬉しそうに語ります。

▼鬼嫁ファイブのメンバー
鬼嫁ファイブのメンバー

最近では、「うかぶLLC」や中森さんなど移住者たちも三八市実行委員会に入り、イベント企画に参加しています。大工仕事や新しいイベントの運営には特に若い人が居てくれると助かると言います。会議は何を言っても良い雰囲気で、試作料理などを実際につくり、具体的な話し合いを積み重ねます。「ばんばん批判し合う。でも後腐れなくするのがコツです」と野口さん。自営業で培った合理的な思考が生きています。

▼鬼嫁たちの「アジト」、野口さんの実家のおもちゃ屋さん。毎日のように人が集まってくる。
鬼嫁たちの「アジト」、野口さんの実家のおもちゃ屋さん。毎日のように人が集まってくる。

移住者の肩を押す「ええけえ、やってみない」

自身も松崎へ移住し、移住者の受け皿となっている「うかぶLLC」の三宅さんは、「『鬼嫁』の存在が無かったら、自分たち若い移住者の生活はかなり大変だったと思う」と話します。2012年に三宅さんらが「うかぶLLC」を設立し、ゲストハウス「たみ」を立ち上げた際には、商店街の女性が中心となって差し入れをしたり、事業や地元の人との付き合い方などについて様々なアドバイスをしました。「若い人が頑張っているのは良いこと。いつも全力で応援してきました。ときに泣かせてしまうくらい厳しく言いましたが、それは彼らを思ってのこと」と野口さんは振り返ります。

また、移住してきた若者にはまず「物は買うな!」とアドバイスするそうです。野口さんらのネットワークで家電製品や生活に必要なものは自然と集まってくるので、「新品を買ってはいけない。まずは必要なものをリストアップして私たちに渡しなさい」と伝えます。また移住者の若者たちはまだ若く、両親が心配して様子を見に来ることが多いそうですが、鬼嫁たちがもてなし、「私たちに任せてください!」と話すことで、「こんなおせっかいを焼いてくれる人がいるなら大丈夫そうだ」と皆が安心して帰っていくと言います。

松崎には、「汽水空港」という古本屋があります。ここは古本屋ではありますが、移住者の若者たちや観光客、地域の人々など様々な人が訪れています(「空間」と「地元のコミュニティ」がトガった若者を惹きつける - 鳥取県湯梨浜町松崎)。

▼「汽水空港」での一コマ。右からモリさん、野口さん、野口さんのご両親
「汽水空港」での一コマ。右からモリさん、野口さん、野口さんのご両親

実は、汽水空港のモリさんがお店と自宅を建てた土地は、おもちゃ屋さんを営む野口さんの実家の持ち物。モリさんのアイデアを聞いた野口さんのお母さんがそれを気に入り、「ええけぇ、ええけぇ、やってみない、やってみない」と好きに使わせてくれているそうです。

その周囲の土地も、「鬼嫁」とその関係者の持ち物。「ここは鬼嫁コミュニティの心臓部。自由に使えるサンクチュアリなんです」とモリさん。地主である野口さんのお母さんは「モリくんの本屋さんが少しずつ出来ていくのが面白くて、毎日楽しみでしたよ」と懐かしそうに語ります。いまでも頻繁に汽水空港を訪れては、イベントに参加したり倉庫から出てきた年代物のおもちゃなどを寄付したり、野口さんの親戚が広島で被爆したことから、その体験を汽水空港で若い人に向けて話す会を行ったりと、交流が続いています。

▼駐車場のロープの張り替えをみんなで行う。
駐車場のロープの張り替えをみんなで行う。

「嫁いだ嫁」だから伝授できる移住者の作法と知恵

松崎ではこのように、地権者-賃貸者、あるいはもはや地元住民-移住者という関係すら超えた人々のつながりができています。「鬼嫁」に象徴されるように、まちのネットワークの核にいるのは商店街の「嫁」たちです。外から嫁いできた世話好きの女性たちが、おなじく外から来た「子ども」の世代にあたる移住者の若者たちに、まちの作法と自営業の知恵を伝達しています。彼女たちはそのようにして、まちの既存コミュニティと移住者の若者たちを仲介する役割を担っており、行政や商業的サービスでは不可能な質をもって若者たちの活動をサポートしているのです。

さらに「鬼嫁」に代表される女性たちの新しいもの好き、派手好き、変な物好きなセンスが、松崎を刺激的なものにしている側面も見逃せません。「鬼嫁」の活動自体も刺激的ですが、彼女たちは若い移住者たちの活動も「よく分からないけど面白そうじゃないか」と受け入れ、応援しています。このことで「鬼嫁」と移住者の若者たち双方がお互いに助け合いつつ、それぞれが「好き勝手やっている」状態が生まれています。松崎のまちにある自由な雰囲気は、歴史的に培われた自営業の空間と知恵、鬼嫁たちのノリ、そしてこれらに支えられた若者のキレのある活動が作り出しているのです。

▼東郷池
東郷池

[2017年近況]
松崎名物三八市は2017年も10月に開催されました。

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大谷 悠(おおたに・ゆう)

NPOライプツィヒ「日本の家」共同代表。ドイツ・ライプツィヒ在住。東京大学新領域創成科学研究科博士課程所属。1984年生まれ。2010年千葉大学工学研究科建築・都市科学専攻修士課程修了。同年渡独。IBA Lausitzにてラオジッツ炭鉱地帯の地域再生に関わる。2011年ライプツィヒの空き家にて仲間とともに「日本の家」を立ち上げる。ポスト成長の時代に人々が都市で楽しく豊かに暮らす方法を、ドイツと日本で研究・実践している。