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私たちは全員がレイ・エキスパート(lay expert:素人としての専門家)のはずである

2020.12.07

Updated by Shigeru Takeda on December 7, 2020, 10:39 am JST

「学校教育における破壊的なイノベーションとは、個別学習のことである」。これは、クレイトン・クリステンセン(Clayton Christensen)が2008年にその著書『教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する』で主張していたことである。大量に動員した子供に対して同一期間に同一プログラムを提供する学校という制度自体は、「一般大衆にも教育の機会を」を大義名分として、ヨーロッパでは19世紀以降に、そして日本では明治政府による小学校および師範学校の設立が起点になっている。

日本の場合、これが本格的なマスプロ教育になるのはポツダム宣言受諾以降だが、大衆向けの学校という装置自体が比較的最近のトレンドであり、大量生産・大量消費を前提とした市場拡大主義にフィットしていたに過ぎない。文部科学省の「GIGAスクール構想」 も、一見、個別学習を支援しようとしているように見えるが、発想の根底には効率的なマスプロ教育のさらなる徹底と、売れなくなったIT機器の在庫処分という意図が見え隠れする。

これについて「子供の個性というものを一切無視した、国家にとって都合がいいだけの制度だろう」と喝破したのがイヴァン・イチイリ(Ivan Illich)で、名著『脱学校の社会』(1997年、東京創元社)の中で次のように記述している。

脱学校とは、特定の人が他の人に対してある集会への出席を義務づけることができるような権限を廃止することである。それはまた、年齢、性別にかかわりなく、すべての人が会合を開く権利をもつことを認めることである。今日ではこの権利は、会合が制度化されたことによってかえって大幅に制約されてしまっている。「会合」というのは、元来、個人個人が集まる行動をしたことの結果をいった。今では、それは何らかの機関によって制度的につくり出されたものをいうようになってしまっている。(P.172)

さらに、

すべての人に教育を与えるというのは、すべての人による教育をも意味するということである。(中略)脱学校化された社会(deschooled society)は、偶発的な教育あるいは非形式的な教育への新しいアプローチでもある。(p.49)

と述べている。

実は、自分自身がこれを体験していた。実家はいまだに製材業を営んでいる(現在は長兄が継いでいる)が、製材業には、銀行マン、税理士、問屋、建築士、大工など、様々な職業のプロフェッショナルが集まり、頻繁に打ち合わせをする。なぜか幼少期の私は、これに付き合わされていた。無論、何を議論しているのかさっぱり判らないので、さっさと逃げてしまうのだが、後日、この大人たちが個別にいろいろなことを教えてくれる「教師」になるのである。例えば、下校途中にたまたま建築現場を通りかかった私を見つけた大工さんが、「お!? 茂ちゃん、帰るのか。ちょっと寄っていきな。もうすぐ店じまいで掃除が始まるから、腕の立つ大工ほど掃除が上手いことが判るよ」などと誘ってくれたりした。

これに加えて、貧乏性の父親は、材料の配達が終了した後に空荷のトラックで帰るのは忍びないと考える妙な癖があった。自転車で日本一周を目指している大学生など、様々な人を拉致しては1週間くらいアルバイトをさせる、などという乱暴なことを繰り返していた。猫の手も借りたいほど忙しいわけではない。単に面白がっているだけなのだ。これらの偶然に通り過ぎて行った人たちも、私の遊び相手であると同時に「教師」だった。学校で教わったことはほぼ何一つ覚えていないが、これらの「素人としての教師」である職業人や人生の先輩から学んだことは、全てが印象的で記憶に強く残っている。

先日、村上陽一郎先生から「レイ・エキスパート(lay expert:素人としての専門家)」という言葉を教わった。エイズ(HIV感染症)がまだどのような病気なのか専門家にも分からず、米国政府自体も無策・無理解だったことに業を煮やし、ACTUP(AIDS Coalition to Unleash Power)という患者支援団体が立ち上がった。彼らは、医学に関して体系的な教育を受けたわけではない素人集団だが、患者自身がそのメンバーに含まれていたこともあり、患者・家族の心理的状況、社会の中で患者がどう扱われるか、偏見とどう闘うか、などについて医者よりも遥かに深い理解を積み重ねていく。彼らこそがレイ・エキスパートである。最終的には、彼らが提案した治験のフレームワークは、FDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)が、その有用性を認めるに至った。

私の子供の頃の体験とは比較にならない切実さがあるのは、これが医療だからである。例えば300種類を超える厚生労働省による指定難病などについて顕著なはずだが、患者の身体の感覚は患者でなければ分からない。専門家であるはずの医師には、患者以上の深い理解はそもそも無理なのだ。同時に、患者自身がオープンアクセス可能な文献や資料を漁ることになる(インターネットが本領を発揮するのはこういう場面である)。そして、レイ・エキスパートが誕生する。

いわゆる「T字型人材」の縦軸が特定分野の専門性だとすれば、横軸がレイ・エキスパートとしての専門性に該当する。私たちすべては、この横軸の様々な分野について厚みをつけることを要求されている。これが判明したのが、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)である。自分のアタマで何も考えず、専門家会議や行政を非難したり、あるいは従順に従っているだけ、さらには目先の損得に訴えるニンジンに躊躇なく飛びついてしまう、という状態が一番マズい。

比較的最近、似たようなことが2回ほどあったことは私たちの記憶に新しい。2000年前後に日本を含む各国で社会問題になったBSE(牛海綿状脳症、Bovine Spongiform Encephalopathy)問題、そして2011年の東日本大震災だ。12月10日に開催した今年最後の「新教養主義宣言」では、BSE問題(いわゆる狂牛病)での英国政府の失敗を詳しく分析した神里 達博氏(千葉大学大学院国際学術研究院教授)が、「専門家にも分からない問題が起きた時、政治そして私たちはこれにどう向き合うべきか」を解説してくださった。なお、「新教養主義宣言」においては「専門家とは何か」を2021年からシリーズ化を予定している。

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竹田 茂 (たけだ・しげる)

新潟県上越市出身。日経BP社にてBizTech(現在のnikkeibp.net)の立ち上げを皮切りに同社の様々なインターネット事業の企画・開発を統括/プロデュース後、2004年にスタイル株式会社を設立。主にB2B分野にフォーカスしたWebメディアを創刊・運営。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)。著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年)など。