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イスラエル 砂漠 渓谷 イメージ

平時と有事とが連続する世界に生きるには

2021.09.16

Updated by Hitoshi Arai on September 16, 2021, 13:21 pm JST

コロナ禍に振り回されている約2年間、我々はそれまで当たり前と思っていた社会システム(構成要素である自分自身を含めて)の脆弱性を目の当たりにしている。

「日本の病院・クリニックの80%は民間機関である」という事実に代表されるように、平時を前提に組み立てられてきた社会システムは、有事の際には上手く機能しないことをこの1年間多くの人が再認識したのではないだろうか。

先日、ある調査研究機関から「なぜイスラエルのワクチン接種はあれほど迅速に進んだのか?」という問いかけを頂いた。「ネタニヤフ前首相のリーダーシップを始めとして様々な要因がある。その一つに、整備されたディジタルヘルス・インフラが挙げられる。全国民の医療情報がデータベース化されて、どこでも引き出せるような仕組みができあがっている。このことが大きな要素かもしれない」と回答した。

すると、「個人情報の保護に問題はないのか? イスラエル政府は国民から信頼されているのか?」という質問が返ってきて当惑してしまった。

誤解を恐れずにいえば、政府を信頼しているイスラエル国民は極めて少ないだろう。国会議席は120で、最大の政党でもその1/4程度の規模しかない。議席の過半数を獲得して政権を樹立するためには、右から左まで主義・主張の異なる複数政党での「連立」以外にありえない政府であること、過去12年間政権を握った前首相が汚職疑惑で起訴されていること、などからも、それは明らかではないだろうか。

では、なぜそんな政府の国で国民の医療履歴データの共有ができるのか? それは、国民自身が「必要だ(メリットがある)」と考えているからに他ならないだろう。

日本では、マイナンバーのような電子政府の基盤となる個人IDは、長年、個人情報保護/政府の信頼性とセットで議論されてきた。電子政府化という(あまり明確ではない)目標に向けて、巨額の税金と時間を費やしてきたにもかかわらず、今なおマイナンバーカードは30%強の普及率でしかなく、電子化ツールとして活用できるインフラにはなっていない。

もし、マイナンバーが普及していて、電子カルテの一元化とマイナンバーへの紐付けが済んでいたら、各地方自治体が80歳以上、65歳以上などと分類して手作業で「紙の接種券」を郵送した手間を大幅に省き、1カ月、2カ月のプロセス短縮ができていたであろう。

実際イスラエルでは、2020年12月17日にワクチン接種の方針が決まると、翌日には高齢の対象者にHMO(日本の健康保険組合のような組織で、すべての病院・医師はこの傘下に置かれている)から案内メールが届き、接種可能な病院への予約がスマホから可能だった。

仮に、3月からまず医療従事者、その後に80歳以上、という日本のワクチン接種の段取りが変わらなかったにせよ、紙の接種券、電話予約といったプロセスが電子化されるだけでも、全体のプロセスが加速したであろう。若者の接種が問題になっている現在のタイミングも1カ月から2カ月程度は前倒し可能だったのではないだろうか。

メリット・デメリット論は正しいか?

昨年、一人10万円の特別定額給付金が支給された際に、その申請や支給金の振り込みに関連してマイナンバーカードがあると手続きが早いという「メリット」が喧伝されたお陰で、多少マイナンバーカードの普及率が高まったことは記憶に新しい。現状では、カードがあればコンビニで住民票を取得できる、くらいの利便性しか認識されていないが、「メリット」を更に可視化するために健康保険証にしたり運転免許証にしたりといった様々な議論が進んではいる。しかし、果たしてこのアプローチは正しいのだろうか?

電子政府が最も進んでいると評判のエストニアでは、e-Residency という国民IDが発行され、病院、警察、弁護士、不動産、裁判所などのシステムやデータベースが連携して、各種行政サービスがオンラインで提供されている。しかし、国民がハイテクの恩恵を受けた便利な生活をしているわけでは必ずしもない。Wi-Fiがしばしば途切れるなど、通信環境は決して良くはなく、現金支払いで買い物をする人も相変わらず多いという。

旧ソ連の配下にあったエストニアは、今も欧州とロシアの境界に位置する人口わずか130万人の小国であり、国家としての存続は誰も保証できない。だからこそ、物理的に国が奪われたとしても、オンライン上に電子国家を構築しておくことで何時でも再出発できる、という戦略の上で作られた仕組みなのである。いわば、ハードが壊れても、新しいハードを用意してOSを再インストールすればシステムがリカバリできる、というような危機管理の考え方といえる。

イスラエルのディジタルヘルス・インフラも、元を正せば兵役につながる。国民皆兵で、アラブ諸国、特にパレスチナとの紛争が絶えないイスラエルでは、国境地域で若い兵士が負傷することもある。その時にIDF(イスラエル国防軍)は、その兵士を設備の整ったエルサレムやテルアビブの病院まで移動させる時間を掛けず、その場で治療して彼らの命を最大限に守るという方針なのだ。そのためには、砂漠地帯の国境近辺であろうとも「個人の病歴・治療履歴を迅速に参照して適切な治療を施す仕組み」が必要なのである。そのような目的で構築されたインフラが、COVID-19という危機対応にも非常に有効に働いた、といえるだろう。

つまり電子政府化は、補助金が早く貰えるメリットがある、というような些末な議論ではなく、国の社会保障、安全保障として進めるべき施策でもあると、我々国民一人ひとりが理解する必要があるのだ。

境界がなくなった平時と有事

こういう話に対して「いや、日本ではエストニアやイスラエルのような有事を考えるのは過剰だ」と指摘する人もいる。幸いにして戦後70年以上の平和を享受してきた日本では、「有事・危機」というと湾岸危機のような明らかな「戦争状態」が前提となり、平和憲法の下に極めて抑制的な議論がなされてきた。それ自体は誇って良いことである。しかし、コロナ禍を経験した(している)現在、有事とは、戦争と平和のような非連続の対立軸にあるものだけでは必ずしもなく、平時の日常の中にも連続的に起こり得るものである、という認識を持たなければならないのではないだろうか。

アメリカ同時多発テロから20年が経過したが、平時の日常に突然ハイジャックが起こり、貿易センタービルへの激突という有事へとつながった。国家対国家の戦争であれば、そこに至る道程と国連での議論を含めて、平時の日常から有事へと非連続な転換となることが多いが、そういう転換点を誰も認識することなく、テロは日常の中で突然に起こった。平時と有事とが連続していたという厳しい現実である。

繰り返しになるが、新型コロナという有事を経験し、我々日本人も今後は、平時と有事との境界がなくなった世界に生きざるを得ない、と認識すべきであろう。その時に必要となる、有事への備えや危機管理には、「平時の常識」に凝り固まった我々日本人の頭では想像できないような要件があるかもしれない。既に危機を身近なものと捉えて備えを進めているアメリカ、イスラエル、エストニアのような先達の経験を少しずつ学ぶことが、我々には必要ではないだろうか?

平時と有事の有り様についての一例として、昨年の「日本人によるワクチンの治験」を考えたい。「日本人による治験」は、法律に沿って実施した結果、わずか160名の日本人治験に2カ月を要した。平時に定めた法律を有事にも遵守した典型である。前述の電子化同様、もし有事特例として2カ月の前倒しができていれば、現在の景色は違っていたかもしれない。また、16,000人であればともかく、わずか160人の治験がワクチンの安全性検証に本当に有効であり、必要だったといえるのだろうか?

万が一事故が起きたときの厚生労働省の言い訳作りではなかったか? 有事である、と肚を括れる政府・国会議員がいなかったからではないだろうか? 我々国民自身が、有事には重箱の隅のような「部分最適」は棚上げし、多少の齟齬はあれ「全体最適」の優先度を上げる、という意識を持てていないからではないだろうか?

長年、イスラエルのように平時と有事が連続する世界に生きている人々を見ていると、彼らは何でも国に頼るのではなく、自分の責任で自分の頭で判断していることが分かる。彼らに学ぶべきことは多い。

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新井 均(あらい・ひとし)

NTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu