村上陽一郎氏によるオンライン私塾がスタート。専門家とは何か、専門知とはどのようなものなのか、考えを深めていきます。
2021.04.05
少なくとも、このジェンダーの区別を無視しては、人間の歴史は一切語れません。そこで、現在では触れるのが最も危険なこの話題に、ここではできるだけ穏当な形で挑戦してみることにします。
2021.03.23
ヒトの生命維持にとって、絶対不可欠な摂食と排泄。どちらも「人間」ではなく、「ヒト」に関わる機能ですが、それだけに「人間」としては、あからさまにそこに踏み込むことへの羞恥とそれに由来する慎み深さが、私たちの文化の中には確かに連綿と受け継がれてきていたはずです。
2021.03.18
政権側の言葉遣いもまた、言いようがないほどに貧しいものです。使われる頻度の最も高い表現は、ダントツで「しっかり」と「万全の対策を講じる」、それに「・・・と連携して」という言葉でしょうか。
2021.03.10
2020年は、ウィルス禍と学術会議問題とが、メディアを賑わした。学術会議問題というのは、新規の会員登録の際、会議側が示した候補者リストのなかの六名の方について、政権交代したばかりの菅内閣が任命を「見送った」という出来事である。問題にしたいのは、この事件を報じるメディアの言葉遣いである。
2021.03.05
ウイルス禍で、嫌でも家に閉じ込められる時間が長くなった今、やはりTVは生活の中に必要と感じられるものという感覚が強くなっています。それはそうなのですが、今のTV番組には、事前に予想というか期待していたようなこととは全く違っていたことが幾つかあります。
2021.02.02
「私」は漱石によって作られた、とかつて書きましたが、「私」の一部(それも軽視できないほどの部分)には賢治も入り込んでいます。かといって、世にある「ケンジアン」とは、自分は少し違うように思っていますが。
2021.01.13
前回、最後は七・五の詩とそれに重なる歌の話になりました。私の過去の中で、もう一つの七・五の世界は、旧制高校の寮歌です。無論、私は新制度の人間ですが、父親は、四、五歳の私に、一高の寮歌を歌わせようとしました。中でも最も有名なのは『嗚呼玉杯に花うけて』です。後に佐藤紅緑が同名の小説を書いたほど、広く知られた歌になりました。
2020.11.26
賢治の作品を読んで誰もが気付く一つの特徴は、独特のオノマトペがふんだんに盛り込まれていることです。「北守将軍」では、ソンバーユ将軍が人馬もろともに、三人の医者の許を訪れるときの、「ぎっ ばっ ふう」、「月夜のでんしんばしら」では「ドッテテ ドッテテ ドッテテ ド」、「風の又三郎」では「どっどど どどうど どどうど どどう」などなど、枚挙にいとまがありません。
2020.11.09
いろいろな機会に、私がヨーロッパのクラシック音楽には一応の素養があり、なかでもチェロを永年弾いてきたことについては、文章を書き散らしてきました。しかし、このシリーズでは、僅かですが日本の古典芸能である能・謡曲に関しても、むしろ西洋音楽よりも早い時期から学ばされたと述べただけで、その詳細には口をつぐんできました。本稿では少しだけ、その背景をお伝えすることから始めたいと思います。
2020.11.02