群馬県では、磯崎新が設計した高崎市の群馬県立近代美術館(1974年)が大きなホワイトキューブを備えたアートの器として、いち早く登場した。これは立方体のフレームを反復しており、1970年代に彼が展開したフォルマリズム的なデザインの代表作である。
2021.01.07
「非常識」とは一体何を指すのだろうか。それがはっきりと明文化されていそうなのが「法律」である。法治国家に住む私たちは、自分の行動の基準を独裁者に決めてもらうのでもなく、企業に委託するのでもなく、法律に委ねることにしている。
2020.12.25
「常識」というものは、どのようにして生まれるのだろうか。そもそも、私たちが何かを常識として受け入れる時に辿る道筋は、それほど多くはない。考えられるのは、主として二つのアプローチである。
2020.12.24
私たちは、一度現実として受け入れたことを疑いたくない。特にそれがずっと信じられてきたことや、大勢の人々が同じように信じるものなら、なおさら疑いを立てるのに勇気が必要だ。地球は平らであり、太陽や星々は地球の周りを回転している地球平面説は、多くの人に否定された「空想」である。
2020.12.12
前回、最後は七・五の詩とそれに重なる歌の話になりました。私の過去の中で、もう一つの七・五の世界は、旧制高校の寮歌です。無論、私は新制度の人間ですが、父親は、四、五歳の私に、一高の寮歌を歌わせようとしました。中でも最も有名なのは『嗚呼玉杯に花うけて』です。後に佐藤紅緑が同名の小説を書いたほど、広く知られた歌になりました。
2020.11.26
賢治の作品を読んで誰もが気付く一つの特徴は、独特のオノマトペがふんだんに盛り込まれていることです。「北守将軍」では、ソンバーユ将軍が人馬もろともに、三人の医者の許を訪れるときの、「ぎっ ばっ ふう」、「月夜のでんしんばしら」では「ドッテテ ドッテテ ドッテテ ド」、「風の又三郎」では「どっどど どどうど どどうど どどう」などなど、枚挙にいとまがありません。
2020.11.09
いろいろな機会に、私がヨーロッパのクラシック音楽には一応の素養があり、なかでもチェロを永年弾いてきたことについては、文章を書き散らしてきました。しかし、このシリーズでは、僅かですが日本の古典芸能である能・謡曲に関しても、むしろ西洋音楽よりも早い時期から学ばされたと述べただけで、その詳細には口をつぐんできました。本稿では少しだけ、その背景をお伝えすることから始めたいと思います。
2020.11.02
著者は精神医学の専門家で、臨床医でもあるかたわら、現在は九州でクリニックを開いておられる現役の医師。他方、もともと大学ではフランス文学を専攻し、医学は大学に入り直されて資格を取られた、という経歴からも推測できますが、文芸の世界にも独自の世界を切り開かれ、多くの小説を世に問うて来られました。
2020.10.26
新型コロナ・ウイルスの影響によってオープンが遅れた「弘前れんが倉庫美術館」は、コンペで勝利した田根剛が設計したものだ。注目すべきは、フランスにも拠点を置いて活躍する若手建築家による日本国内の最初の公共施設であること。もっとも、新築ではない。築約100年になる酒造工場(戦後はシードル製造所として使われた)をリノベーションしたものである。
2020.10.22
日本国憲法第八九条の内容をご存じでしょうか。そこには「公金」は「公の支配に属しない慈善、教育、博愛」の施設に支出してはいけない、という意味のことが明確に書かれています。実はその前に、「宗教」に対しても同様の記述があります。
2020.10.20