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知的情報処理の最前線:信号処理のピクロス「圧縮センシング」

2016.01.26

Updated by Masayuki Ohzeki on January 26, 2016, 09:00 am JST

ピクロスというペンシルパズルのひとつをご存知だろうか。

格子状に区切られた四角のマスだらけの図面の上と左に数値が並べられており、その数値が示すのは格子内に浮かび上がる画像の限定的な情報である。

その限られた情報だけから、画像を推定せよ、というのがパズルの難しさと同時に面白さに繋がっている。

よくよく考えると不思議なものである。画像を示すためには、どこの場所が白で黒でと細かく指定しないと異なる画像になりそうなものである。画像データを保存するためには、その細かい情報の全てが必要となりそうなものだ。しかしピクロスはそれを否定しているのだ。画像を表すためにはもっと少なくておおざっぱな情報だけで良いということを示している。そのためにパズルを解く労力さえ惜しまなければ。

圧縮センシングと呼ばれる画像再構成技術が、学術界更には産業界に及ぶ広い範囲に渡り浸透していることをご存知だろうか。発想はまさにこのピクロスと同じであり、少ない情報から完全なモノへと復元可能であるという事実にもとづき、敢えて少ない情報だけを取得して、情報量の圧縮や計測時間の短縮、コストの逓減に利用されている。

ピクロスのように、わざわざここが白い黒いという細かい指定ではなく、上からみたときにその画像はこういう特徴があり、左から見たときにはこの画像はこういう特徴があるよ、というヒントだけで正しい画像を得ることができる処理機構があるのならば、逐一画像情報を指定する必要がなくなる。立体物を透かしてみることができるのであれば、それこそ前から上から横から眺めて、中身はどうなっているのだろうかと推定すれば3次元ピクロスとなる。そうやってモノの中身を探るピクロスのような技術、それが圧縮センシングである。

実際上のアプリケーションとして有名なものは、核磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging:MRI)における適用である。MRIは放射線など身体に害のありそうなものを利用せずに、体内の様子を画像化する技術である。

体内の様子を画像化するために必要な情報を丁寧に取得するために、比較的長い時間を要するために、例えば子供の場合、その計測時間の間おとなしく待つことができないという問題がある。

しかし仮にこのMRIによる体内の画像取得のための計測時間を少なくすることができるのであれば、このような問題はなくなる。またどんな被験者に対しても気軽に診察のためにMRIを使うことができるメリットも大きいため、喉から手が出るほとに嘱望された技術なのだ。

MRIの機器自体の改善により、その計測時間の短縮には多大なコストと時間が費やされてきたため、今日では確かにその利用が標準的なものになっている。そして圧縮センシングの登場である、ハードウェアの進化によるものではなく、ソフトウェアの改善による、ピクロスのようなパズルを解く賢い知的情報処理のおかげで、コストをかけることなく計測時間の短縮を行えるとなったらどうだろうか。世界各国で圧縮センシングの利用によるMRIの計測手法の改善が試行錯誤されて、MRI機器の中に搭載する動きが出ている。

この圧縮センシングによる計測革命は、MRIを始めとする医用画像においてだけではなく、ありとあらゆる計測技術で起こっている。

実際に筆者を始めとする研究グループでもMRIに留まらず、3次元構造物を透かしてみることのできる計測機器を利用して、しかしその透けた画像をあらゆる角度から眺めるということをせずに、上から前から横からだけの観察とピクロスを解く一手間で、中身の全てを明らかにすることが可能となる新しい計測技術を完成させた。

これまでは計測機器の性能を引き上げること、そのものに注目した技術革新が進んで来たが、そもそもの原理をかえることで飛躍的な技術革新が起こっているのだ。モノ作りのやり方そのものが変わっているのだ。

そこで必要となるのが知的情報処理である。パズルをとくことで、少ない情報から本当に知りたい豊富な内容を得るように、必要なときに開く仕掛けを施すという考え方に移り変わっているのだ。まるで暗号処理である。

よくよく考えてみると、人間の物体認識というのも中身を見ること無く表面だけを見て、時には透けて見える限られた情報だけで中身を推定している。振り向いたときに目に見える一瞬のものだけで誰なのか何が目の前にあるのかを瞬時に判断できるように、本当に必要な情報はピクロスのように限定された情報程度のもので良いのだろう。

新しい技術を知れば知る程、人間の知的情報処理に驚く毎日である。逆に人間の情報処理機構を学ぶことで、新しい知的情報処理に迫ることができるのは間違いない。

そういえば、あの人なんで急に怒ったのだろう。まだまだあの人のことを分かっていないんだな。

いやいや反省するべきは、あなたの知的情報処理のやり方かもしれない。

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大関 真之(おおぜき・まさゆき)

1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。平成28年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「機械学習入門-ボルツマン機械学習から深層学習まで-」、「量子コンピュータが人工知能を加速する」(共著)がある。

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